心の防衛術

心の防衛術 その3 空気を読まない勇気

先日ある大きな会議があった。長時間、2回に及ぶ会議で、自分はヒラの代議員(つまり議決権のみを有する)の一人。

議案の参画に関わっている背景もあるので、特段反対する理由もなく、わざわざ意見を述べて会議を長引かせる意図もない。

つまり、結果的には委任状で済む状況であった。ただし、最初の方は、重要な来賓が多く、空席を多くするのは組織体面上望ましくないので、出た。

次の会議は、前もって委任状提出をして、とっとと帰ろうとする。他に、すべきことがあるし。

そこで、問題となる。「みんな頑張って残っているのに何事か?」

確かに、こういった場合同調すべきとする空気は強い。ただし、「空気」だ。こういった空気は、多くの場合、感じる以上の実害はないと考えていいだろう。

制度上、適正な手続を踏み、結果にも影響がなく、他にすべきことがあるなら、特段関わり合うべきではない、と僕は思う。

誰だって、かけがえのない自分の時間を持っている。これを生かすことは幸福感に直結する。そうすると、この幸福は他にも増幅されるものだ。

その点、我慢大会みたいな会議は負の連鎖だ。

形式的な「お付き合い」で、時間と気力をすり減らすべきではない。他者のために、自分の時間を使うのなら、どれだけ自分が本当に必要とされているか、その度合いを「読む」ことを、行動の選択基準としよう。と、みなさんに提案。

今日の警告、明日への備え その1 ありのままで

「ありのままで」、つまりアナ雪の日本語主題歌であるが、この歌の歌詞に特段の思い入れを込めて歌う人につき、特段の共感しうる事由がある場合を除き、他者の”ありのまま”に、寛容であることを期待してはならない。

心の防衛術 その2 セグメント化

結婚後、姓が変わっても職場でそのまま使い続ける人がいる。それは、仕事上の便宜でもあるが、心の防衛にも役立つだろう。

つまり、職場のできごとを私的領域まで持ち込まない技術の一つでもある。名前とは特段に重要な社会生活上のタグなのだが、名前を使い分けるということで、別な自分を演出することにもなる。

名前に限らず、たとえば服装だってそうだが、意識的に行うかどうか。これが肝心だと思う。

こういったことが、経験世界のセグメント(segment)化である。

比喩的に軍艦を考えてみてもいい。軍艦は攻撃にさらされることを前提に設計されている。本来、鉄の船は、船体に穴が開いたら、沈没してしまう。しかし、浸水を最小限にするために、軍艦の場合とりわけ多くの防水区画(セグメント)が装備されるものだ。

したたかに生きている人は、なかなかこのあたりが周到だ。老獪な政治家なんてそう。反対に、やたらパニックする(沈没騒ぎ)人って、そういった装備が未発達なわけだ。

職場環境などがずいぶんドライになっている最近の状況からすると、セグメント化の推進が必要になっているのだろう。

ただし、やりすぎると、自分を見失うリスクがあるのかも。

だから、「心から自分が自分でいられる領域」の確保もまた重要なのだろうね。

心の防衛術 その1 はじめに

アイルランドもいいけれど、長く温めたテーマがあるので始めてみよう。

ここ、いわば教養サイトなのだが、このカテは結構実用的かも、と思っている。

この名称は、「ハリーポッター」にちなんでいる。ホグワーツ校の授業科目の一つ「闇の魔術への防衛術」だ。この防衛って発想、重要と思ってきた。

心といえば、カウンセリング?で、受容し、ケアしたり、癒したり、成長させたりってわけ?ぼくもその筋の人だから理解するけど、ぬる過ぎって感じることもある。

たとえば、いじめ(問題のある表現だが)。もちろん心をケアすることも必要だろうが、「防衛術」を教えてはいけないのだろうか。

理不尽な扱いに対抗する術(すべ)、それは個人の心のありかたでもあり、社会的スキルや社会制度を活用するノウハウでもあろう。

あんまりやりすぎれば、こっちも「悪」になってしまうが、刑法には正当防衛って考えがある。反撃ってそれ自体”悪”なんだが、度を越さず、やむを得ない状況なら容認ってことだ。

かといって、ブログで護身術始めるわけにもいかないので、あくまでニュアンスとして。

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