心理学

猛暑と同調行動

あまりに暑い(熱い?)ので、日傘(といっても雨傘で代用)をさして外出することにした。汗だくで通勤したりすると、着替えを考えなければならないので、それだけでも負担になるからだ。
最近は、ネクタイの習慣も気温を配慮することになってきた。これは、いいことだが、さらには男の日傘も普通になっていい。
やってみると、人目が気になるものの、やはり自然だ。そこで考える、普段どれほど人目をはばかり無用な苦労を負っているか?なんとなく周囲に合わせなければいけない、同調の圧力は、若年層ほど強くなっているように感じる。大学生の就職活動など見ていると、如実ではないだろうか?
”とにかくみんないっしょ”、メダカやイワシの群れ行動は生き延びる術であるが、人間社会では、そこまでしなくてもいい。だろ?
思い出すのは、初めての海外、アイルランドのダブリンの街だ。夏の終わりの気候で、そこそこ涼しかったり、暑かったりするが、人の服装はまさに勝手気ままであった。Tシャツと初冬のような厚着が混在していた。まあ、ビジネスマンならお決まりだろうけど。
そこで気がついたことは、日本で暗黙に感じていた同調の圧力である。

子どもの自然体験 その2 学校で川に行く

つまり、アクティブラーンニングってやつ。本来子どもってこういうこと自発的にやってるものだが、最近では学校先導となっているわけ。
川辺で網をガサガサ入れることも課題なので、それなりに所定の準備もする。加えて、川辺の生き物につき予習もする。魚の種類、鳥の種類(留鳥、渡り鳥の区別も含め)など。
とはいえ、大したものは採集できないだろう。すでにうちでは実践済みである。護岸工事が行き届き、川もできるだけまっすぐ流れるように造作されているので、多様な生物が生息する環境が損なわれているからだ。川エビ、ヤゴ、稚魚くらいか。
ただ、稚魚については、面白いエピソードがある。この時期、正体不明、最大2㎝くらいの稚魚が採れたりするが、実際育ててみたところ、鯉だった。10㎝を超えたあたりで、子連れで川に戻してやった。子どもは、この鯉に出会うことを楽しみに登校して行った。
再会できたらファンタジーだけど。

子どもの自然体験 その1 庭のできごと

登校時、家の玄関先で、うちの子が騒いでいる。「かなちゃん、いたー!」捕獲を手伝えということだ(出勤時だからいそがしいのだが)。そこで、近所の小学生も興味を持って参加する。
かなちゃんとは、うちの庭のあたりにいるカナヘビのことである。
やもちゃん(ヤモリ)もいるが、こっちは夜行性なので遭遇が難しい。
うちのハーブで育ったキアゲハの幼虫たちは、そろそろと思っていたが、案の定、姿を消した。どこぞでさなぎになり、飛び立つ日に備えていることだろう。その光景は劇的である。
小さな庭であっても、毎日何かが起きる。
今月生まれの、メダカの子は、全長3mmだが、けなげにエサを食べている。今出産ラッシュなので、もうすぐ保育園状態になることだろう。
この時期、子どもキャンプの案内など来たりするが、気を付ければ、身近で豊かな自然もある。大切なことは、気づく感性を身に着けることだと思う。

小学生の地理と知識の構造化

子どもが地理の勉強をしているので、僕なりの取り組み方を書いてみる。
例えば、最近の課題は、台地。
北からいくと、根釧台地がある。
さて読み方からして難しいが、とりあえず頭に入れる。
すると、根室、釧路にも関連づけられる。
ここには、子どもと行ったことがある。牧場に宿泊して馬に乗る体験などがあったことを思い出させれば、酪農の場であることがしっかりわかる。
地質的には、水はけも押さえよう。水が溜まらないなら、水田には不向きである。
なら、どんな活用の仕方があるかも考えさせる。
次は、牧之原台地。
今はともかく、牧場(酪農)にちなむ名前だ。
静岡→温暖+台地は水はけ→お茶の産地この公式も応用がきく。
鹿児島のシラス台地。
ここも畜産、お茶と推測がつく。鹿児島ならサツマイモきわめつけは桜島大根だ。鹿児島の旧地名は、薩摩。これも重要。歴史にも関連がある。
イモはイモでも、サツマイモとジャガイモはかなり異なる。
これは、理科の生物の題材である。
これが、知識の構造化ということ。
すると、地味な暗記もののイメージがある社会化も面白くなるし、膨大な固有名詞も記憶に入り込みやすくなる。
そして、積み重なった因果関係のロジックが応用的な記述問題に対応できる。
 

寝入りの技法 その1 波音

波音、もちろん、生音なら申し分ないが、CDならあったりする。就寝時に無音であるのはかえって寝づらいので、CDを流したりもするわけだ。

こういった自然音は、雑音といえば、雑音なので、当然ながらメッセージ性はない、気まぐれだが、リズムがそれなりにある。つまり、意識を高めることなくぼんやり聞いていられる。これがいいのだろう。

擬音語では、「ザー」、「サラサラ」、「ザブン」とか、さ行で始まる音が中心になる(尾崎織女さんの記事から)。

買い物のレジでもらうビニール袋があるが、赤ん坊がぐずる時、これを「シャリシャリ」鳴らすと、落ち着かせることができることが多い。

これも、さ行の音感。

これらの音は、胎児が母の胎内で聞く音を想起させる? って、話がある。

豊田議員の精神分析

この録音は、非常に重要なサンプルである。

シリウス ブラックいわく(本の中で読んだ記憶にあるもの)、

「その人がどんな人を知りたければ、立場の弱い者を扱いを見ればいい。」

こうして、シリウスは、ハリー・ポッターに人の本質を見抜く術を教えている。魔法ではない。

録音の中で重要な点は、相手を心理的にいたぶることそれ自体を、多様な表現を使い意図していることだ。

ただの癇癪ではなく、無頓着で病的な底意地の悪さがある。

表裏を使い分ける気苦労や、野放図な自己の暴言に良心の責を感じていない印象を受ける。病的と表現したけれど、このような心性は、その分思い煩うこともないわけで、ある意味実務的有能さを発揮できる面もあろう。

それは、多様な課題を処理し、目標に向かって進むうえで、効率的だ。事実、ダントツのエリート道だった。

けど、有能さとは、人によって異なるが、何を切り捨てるかの問題でもありうる。

今回の事案は、有能さの陰の部分が、本人にとって予期せぬ形で顕在化したものと考える。

えぐい表現だが、人心を読み、操作できなければ、選挙に勝利できない。当然、その能力には長けていたはずなのだが、責め苛まれた人に”素朴”に共感することは苦手だったようだ。社会的な地位、肩書、賞讃は、時としてこういった感性を鈍麻させうる。

C.G.ユングは、できすぎた人の深い陰の部分に言及しているが、これはその好例だろう。彼の原型論的には、シャドー、ペルソナとの関連となる事例と解釈できそう。

我々凡人的には、思いやりを忘れず、あれこれ悩みながら生きていればいいのだけどね。孔子だって、一日三回反省したそうだから、凡人はもっと多くていい。

子育ての技法 その9 初めての社会科

小学生の社会科は、地理、歴史、公民分野が丸ごと一つになっている。加えていえば、漢字で人名、地名を読む、書くことが伴っている。

さらに加えていえば、ごく身近な地域も以上の重点の一つになる。

どんな地名であろうと、歴史がある。掘り下げれば、日本史の源流につながっている。

というわけで、以上を関連づけることがとても重要と考える。知識と経験で社会を構造的に考える習慣があれば、とても役立つ。

まずは、基本的な理解のスキームを作ってみたい。目のつくところに、日本地図を貼る。なんてのはお勧めだ。地理的ビジョンがまず大切。

テレビのニュースになった場所を探すとか、夏休みの家族旅行の場所など、話題があったら日ごろ確かめることをお勧めする。

先日、クイズを出してみた。

日本の都道府県で、「府」は二つあるよ。どこだろう?

日本の県で、「福」が付く県はどこだろう?

日本の県で、「愛」という漢字が付くのはどこだろう?

3番目はひっかけ問題。愛媛県は、発音だけでは見つけられない。

案の定、子どもは悔しがっているが、だからこそ、身に着く。

子育ての技法 その8 野外活動

キャンプから帰った日の夕方、庭から「ドスッ」って音が断続的に響いている。

うちの子が、ダンボール紙に弓を射ている音である。出てみると、ザクザク刺さってる。

キャンプ場では、やたらクマザサの茎を刈り集めていたが、手を切りながらナイフで加工し、矢柄を準備した成果がこの音だった。

伏線はいろいろある。

○日ごろから刃物の使い方を教えていた。

○弓の撃ち方を教えた(弓→子ども用だが、強力なもの)。

○岩魚の釣り方を教えた。

○火をおこし、岩魚を含め野外で調理することを体験させた。

○新聞記事として、イノシシが増えて困っている地域状況を、読み聞かせたことがある。

○キャンプ場の近くで、鹿が出た。

○キャンプ場の近くで、野生動物のフンを見つけ、どんな動物か話し合った。

○よそのグループのキャンプファイアーに混ぜてもらい、ジビエの話題を聴いた。

○縄文時代の生活を本で学んだ。

結果、狩りに目覚めてしまった。

しかし、この父では、鹿やイノシシの解体までは教えられないぞ、、、、。

マタギの集落で研修するってか?

小学生と道徳教育 基本的な共感性の視点から

土曜日に授業参観があった。「うちの子はマトモにやってるか?」ってそれは重点だが、環境を丸ごと見てみよう。

窓辺に植木鉢が二つ、そこに花が咲いている。とはいえ、どちらも水切れで瀕死の状態。私的には、悲鳴が聞こえそうだ。沈黙の命が、多くを語ることがある。

先生も大変だ。これだけの保護者の視線にさらされて、授業を行う重圧。

一方、この偏屈な保護者は、植物の悲鳴に気がついてしまった。

いまどきの小学校の重い課題は、道徳教育とか、いじめ対策だろう。どちらも微妙な価値観の調整がある。

社会規範をたたき込む方策もアリだが、形式的規範に言いなりになるだけでは、教育というより調教であろう。それに実質を求めるなら、思いやる感受性の問題になりはしないか?

例えば、子ども同士のからかいは、子どもの”自然”ではあるが、行き過ぎれば、心ない嫌がらせとなる。その一線を越えないために、相手の心情への感受性が必要だ。

そういえば、いまどきの小学校は、動物の飼育小屋が廃墟になってる例が多い。いろいろ管理上の問題もあろうが、惜しいことだと感じる。

個人的見解として、政治的主張を織り込んだ文系的教育論は、今話題のなんとか学園の例のように胡散臭く感じる。一方、”人間以外の命ある対象を適切に扱うことは、人の道徳性の涵養に関連性があるか”、と問うなら、これは科学の対象でもある。

そして、後日譚。

うちの子は、植物水やり係だった!

水やりといっても、屋外で管理している植物なので、分かっているけど、しなかった、、、、

で、泣きだした。規則と良心の狭間か。

「いいことは、気持ちのままにすればいいんだよ」と教える。

子育ての技法 その7 本の読み聞かせ

子どもに自発的な読書習慣をつけるうえで、漢字学習を先行させることが効果的と先に書いたが、耳で聴く読み聞かせもよい事だと思う。目で追うことと、耳で聴くことが言語学習の両輪と考えている。

これは保育園時代から続けている子どもを寝かしつける方策でもある。思えば、遠くに来たものだ。

子どもが勝手に読むような本はさておいて、少し難しめの本、時節に合った本を選んでいる。

最近の本では、ハリーポッター。そのハイライトシーンを選んだりする。このシリーズは、学校が舞台なので食いつきがいい。同じくファンタジー系としてゲド戦記も試してみたが、これはシブ過ぎて中断、まぁ仕方ない。

K.ローレンツも自然科学分野として聴かせてみた。まさか、ノーベル賞受賞者の論文とはいかないので、その一般向けの著作、”ソロモンの指輪”。動物たちとのやり取りのおもしろさは、さすがである。

この親自身、この筋から影響を受けていると思い至ったし、子どももいつの間にかその影響を受けていた。そういえば、この前の学校の作文は、「ヤモリの飼い方」なのであった。

先のクリスマスイブは、新約聖書からイエスの誕生シーン。クリスマスの大元の意義を知ってもらいたいからだ。ここを押さえなくては、クリスマスにならない。と、親の思い入れあり。

以上の読み聞かせは、もちろん親の解説付きである。

より以前の記事一覧