ファンタジー文学

サンタクロースからの手紙

クリスマスも近い。うちの娘が、サンタさんも大変だからお礼のプレゼントをするとはりきっていた。

で、アクアビーズとか折り紙とかで、プレゼントが完成。ずいぶん手が込んでいる。

リアクションも必要と考え、それっぽい手紙を用意した。

サンタクロースは、フィンランドのラップランドから来るそうなので、それっぽく古い紙にインクでごく簡単なフィンランド語で書いてみた。なんとか正しいはず?

Ihme! Sinun söpö lahja!

Kiitos!!

Joulupukki

St.Nicolaus

SANTA

(訳)驚いた!君のかわいいプレゼント!ありがとう!! サンタクロース

Joulupukkiは、フィンランド語でサンタクロース

St.Nicolausは、サンタクロースの原型として知られる聖人

SANTAは、サンタさんのこと

さて問題は、あげたはずのプレゼントなのだけど、記念として本人が成人するまで保管するか、、、

 

ゲド戦記とマイナンバー制度

ゲド戦記、それは、世界3大ファンタジーとして称せられているのだけど、この魔法的世界には、興味深い世界観がある。

人も含め、この世のすべてのものには、それぞれ真の名前がある、ということだ。そのものの本質、同一性にアクセスしうる隠されたキーワードと考えればいい。

そして、真の名前をつかめば、その対象に強力な魔力を行使しうる。

なので、魔法使いたちは、できるだけ多くの真の名前を捉えようとするが、魔法使いを含め、自らの真の名前を明かすことは極めて危険なことだと認識されている。

って、マイナンバーみたいなものだ。

しかし、ゲド戦記と異なる点は、それが国家に掌握されていることである。

今のところ、マイナンバーの利用範囲は限られているが、社会制度上大いに”活用!”できる余地がある。

そして、このマイナンバーが生体認証に関連づけられると、国家は、ゲド戦記の上の行く、大いなる魔法世界を実現することであろう。

たとえば、眼鏡型の端末で人の顔を見ると、その人の生年月日、家族構成から納税状況、刑罰歴から何から何まで、判明するとか。

ドラえもんと科学史 その3 心理操作

ドラえもんの未来アイテムのことなのだが、つまり夢、願望をかなえる道具のことだ。

それらを類型化すると、少し恐ろしいことに気づく。なぜなら、そのかなりの部分が”心理操作”に関わる機械なのだ。だれだって、誰かの意図で勝手に気分を変えられたり、行動を仕向けられたりすることは困ると思う。

ところで、20世紀の感覚では、科学技術の発展の負の部分は兵器だった。それは、21世紀になってもそうなのだが、21世紀になると、心理操作が加わっていくのだろう。

その明らかな傾向は、スマホ依存であると僕は確信している。少なくとも、自転車に乗りながらもスマホはマズイ。

なんて、いうと、このブログをスマホで見てくれる人に申し訳ないが、日常生活に支障のあるほど依存性の高いコンテンツはないはずだ。

僕がこのブログの読者の皆さまに期待していることは、”ささやかな気づき”である。

スターウォーズの社会史、最初の作品

普段、DVDなんて借りることはないが、うちの小娘と最初の作品を見ることにした。

昔、昔、銀河の片隅でみた、アレをもう一度見る。

これ、もはや古典で、教養的に重要だったりする。たとえば、スターウォーズを知らないと、ドラえもんも、妖怪ウォッチも、パロディが理解できないのだ。

通常の配置にはない、、、新作を控えているから、レンタル屋さんも特設コーナーを設けているのだ。

借りる時点で時代を感じる。「一番最初の作品、どこだっけ?」これが、店員さんに通じない。「ファントムメナス?じゃななくて最初の、、」、となる。

原点の1977年公開の作品は、ストーリーの時系列的にエピソード4、なのだ。なるほど。

映像的に時代を感じさせる点は、宇宙人系の登場人物はさておき、人間系は、見る限り全部白人。未来から見て初めて分かる当時のアメリカ映画の文化である。

ハリーポッターなら、最初から人種的割り当てを相当配慮しているが、70年代ってそういう時代だったのだ。

もう一つ70年代的なものを挙げれば、”フォース”、西洋社会が東洋的神秘主義に関心を持っていた時代ということが改めてわかる。

そして次作では、ルークがマスター・ヨーダから秘伝の伝授を受けることになる。

フォースとは、あえて東洋的に置き換えてみるならば、”気”だろう。含蓄のある言葉である。日本の日常語にも相当含まれているが、意識して掘り下げてみるのも面白い。

合気道の”気”でもあるし、東京の高尾山の山門にも掲げられている概念だ。

今日は、この辺で。

みなさんもダースベイダー卿のように”闇落ち”しないよう、良い気を養ってください。

May The Force be with you !

映画ドラえもんと科学史 その2 秘密道具博物館

よくできている。ストーリー展開が重厚、最後まで先の読めない謎解きを楽しむことができる作品だ。率直にいうと、「コナン」を超えている感じ。

消えたドラえもんの鈴をめぐるシリーズとしては珍しい推理物。舞台は博物館。この点も異色だが、謎の秘められた場所のイメージがある。複数の伏線が思わぬ結果をもたらすが、締めくくりは心温まる過去のエピソードに帰結するなんて気が利いている。それは、ドラえもんらしさでもあり、いつものドラえもんにたどりつく安堵感を感じさせてくれる。

未来の社会の外れ者の科学者たち、これがゲストキャラクター。このドイツ系の名前のいわゆるマッド・サイエンティストたちが、科学史上の”錬金術師”のイメージに重なりこの作品に奥行きを与えてくれている。

偉大な発明の暴走を止める力は、一見意味のない無駄な発明にあった。このオチは知的な示唆に富んでいる。

映画ドラえもんと科学史 その1 宇宙英雄記

子どもとの付き合いである。この春は35作目だそうだ。映画版の方向性は、非日常な世界での活躍だ。この作品も、別な星が舞台となっている。

”ヒーローは、キミの中にいる。”これが副題で、失敗ばかりののび太くんだからこそ、このテーマが光る。というか、これがドラえもんのそもそもの主題だろう。

パロディ的ヒーロー戦隊物で、ある意味穏当な作品。悪の組織との対決の末、ボスキャラを倒して平和が戻るというお決まりのパターン。

昭和が遠くなるにつれ、ドラえもんは懐かしくなっていく。昭和の時代に輝いていた科学のイメージがまだここに残されているような、郷愁?

今、ドラえもんがやってきた22世紀にはまだ遠いけれど、私たちは、すでに”未来”にいる。この距離感は微妙。

20世紀を過ぎ、ドラえもんの世界は、だんだんと魔法とファンタジーの世界に近づいていくようだ。

ところで余談を2つ。

1 空気砲、これドラえもんの戦闘アイテムなのだが、唯一”科学的”に実用化されている。射程距離40㎝位。圧縮空気が一瞬放出されるすぐれもの。映画館のグッズコーナーで買ったがうちの子どもにはうけている。

2 なんと、この映画、ケルト系の音楽が使われている。ポックル星の人たちの楽しげなイベントで流れるジグは、ティンホイッスルで演奏されていた。装飾音の入れ方もそれっぽいが、僕の知ってる人の演奏かも。

ベイマックスを批評する 残された心

海外の視点だからできたサイバーな和、これがベイマックスの世界描写。外国人が注目しそうなコンテンツを、十分に消化して創造的なアレンジとして緻密に構成している。街の光景は、都内に思いつく場所があちこちあったりする。

ただし、基盤はアメリカンなおたく世界であって、この”風土”のテイストではあくまで洋物。

悪と戦うロボット物とありきたりの範疇に入れることもできるが、悪にもいろいろあって、かつ、どの悪もそれなりに了解可能なありうる悪なのだ。

悪は、三つ登場する。見えにくいところなのだが、このアニメの良くできた点は、悪の描写だと感じる。

企業の強欲、個人的復讐心、そして、与えられた才能の無駄遣い。最後の一つは、主人公の心の成長に関わるものだが、いずれも実はヒューマンなもの。

そして、これらに対するものが、ベイマックスに封じられた愚直な良心。

ベイマックスが、まさにロボット的に!良心を行動化する姿勢が観る人の心を打つという筋書きだ。

以下ネタばれの要素を含むけれど、、

クライマックスで、うちの娘が大泣き始めた。「ベイマックスかわいそう!!」。僕の隣のお姉さんもグスグスしている。

でも、残されたベイマックスの右手に握られたものがあった。

僕、「ベイマックスは心を残してくれたんだよ。」

娘、「その心は命なの?」

僕、「そう、命でもある。だから大丈夫」。

なんて、やりとりがあったりした。

このアニメはとことんサイバーで、破壊の描写も激しいが、死の描写は一つしかない。けど、その死は、善き魂の不滅を表現している。

そして、、、

映画館を出たら、”人身事故”で電車のダイヤが混乱していた。これが東京の日常である。ある意味、これも心の残し方なのだけれど、現実はむなしいね。

サンタクロースを信じる心について

両親が疑われている。これは、名探偵コナンを見すぎたせいだろう。「外から入った形跡はない。密室だから内部のものがやったんだ」と、娘が本気でいう。

去年は、「鈴の音が聞こえたみたい」と、神秘なことをいっていたが、サンタクロースのリアリティもそろそろ限界か。

とりあえず、「サンタさんはね、人間じゃないからそんなことわからないよ」、と答える。

そう、リアリティの次元は人間同様ではない。

そのリアリティは、子どもたちが素直に信じる心によって強まったりもするし、弱まったりもする。

とはいえ、去年に続き、「サンタさんにもプレゼントを用意しよう、おなか減ってそうだからクッキーがいい」と、心配もする。

彼は、彼というのは、サンタクロースの原型、実在の聖人である聖ニコラウスのことだが、将来イエス・キリストをさしおき、あたかもクリスマスが自分の日のようになるなんて、知ったら驚いただろうなぁ。

妖怪ウォッチと召喚の魔法

「しょうかん!」ってケータ君が妖怪を呼び出す。「召喚」なんて、非日常な言葉だ。裁判の手続で呼び出された、つまり召喚された人なんて多くない。

昭和の時代にも同様のことがあった。仮面ライダーが、「へんーしん!」しなければ、変身なんて言葉は広まることはなかっただろう。

同様に、今後、「召喚」は日常の言葉になっていくと思う。このアニメ、それだけの影響力は残していくだろう。

日本語として、そもそも召喚は、特段に妖怪を呼び出す用語ではない。というか特別なアイテム、秘術として妖怪とかその類のものをこっちの世界に呼び出すような文化は西洋的である。

英語で、社会的でフォーマルな意味での召喚は、summons だが、死霊とか妖怪、悪魔とかこの世的でないものを呼び出すなら、conjuration、invocationの語が適切になる。

魔法陣を描いて、呪文を唱え、たとえば、「エロイムエッサイム、我は求め訴えたり」とか。これは、水木しげる、「悪魔くん」のネタだが、それなりに正統な文化的根拠がある。そういえば、妖怪ウォッチって携帯魔方陣なんだね。

この召喚について、恐るべき結果を招く様子を描いた物語をあげるとしたらゲド戦記だ。それに比べ、妖怪ウォッチは明るいなぁ。いやいや、ゲド戦記のように、想定外のとんでもないものを出してしまった、という筋書きは映画版的バリエーションとして使い得る。

ところで、この僕程度のものでよかったら、このブログの書き込みとか、Eメールとかで電子的に召喚できる場合がある。その呪文は、、、

妖怪ウォッチを批評する~子どもの文化史

つまり子どもとの付き合い上、このアニメを観ている。幼稚園から小学校低学年までが視聴者の中心だろう。

アニメといっても、多角メディアの題材で、玩具であり、コミックでもあれば、ゲームソフトでもある。子ども的には、キャラクターメダルの収集がポイント。

日経新聞によると、メダルの販売が年内に1億枚とある。巨大事業だ。

メダルというのは、妖怪メダル。主人公(ケータくん)が、妖怪と仲良くなるとその妖怪からメダルが貰え、ウォッチを使うと呼び出すことができるって筋書き。

つまり、ポケモンの延長にあると考えていいだろう。しかし、ストーリー上、妖怪ウォッチを持っているのは、主人公だけ。身近な人たちを困らせる妖怪と闘うときに、ウォッチとメダルを通じて必要な妖怪を呼び出す(召還する)形である。

また、ウォッチの機能は、通常見えない妖怪を発見することでもある。世界観、というほどでもないが、日常の不自然な現象には、妖怪の関与がある、という設定だ。オリジナルな妖怪が多いけれど、妖怪って本来そういうものだろう。

闘うといっても、退治ではなく、通常は和解して、友達妖怪が増えていくことになっている。

場面は小学生の日常世界である。テイスト的にはゆるい。下品な面もあるけれど(たとえば、学校でウンコしたくなった男の子の葛藤)、クレヨンしんちゃんほどではない。

アニメのエンディングのダンスにも注目したい(ようかい体操第一)。バカっぽく簡単で、覚えやすい。うちの娘の保育園では園児たちが歌って踊っているらしい。

これ、大人の飲み会の二次会で使えるんじゃないかな。頭にネクタイ巻いたりして。

メディア上のキャラクター収集の点で、ポケモンの延長と書いたけれど、おそらくその元祖は、昭和の仮面ライダーカードだろう。

かくして子どもの文化史が続いていく。その背景を読み解くことも興味深い。

で、少し大げさに言おう。仮面ライダーの時代は科学の時代だったけれど、妖怪ウォッチには、アニミズムの復権の気配がある。

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