時事問題

ローマ帝国の崩壊と水爆、あるいは水爆と預金通帳

北朝鮮が水爆実験をしたので、いわゆるテールリスクについて書く。

例によって話が飛ぶが、ヨーロッパ史には、大きな断絶がある。それは、西ローマ帝国の崩壊と文明の再構築である。

文明の再構築には、情報を保管しておく必要がある。当時は、羊皮紙に書き残す程度の手段しかなかったわけだが、それなしに安定した物的媒体であった。

帝国の崩壊に直接巻き込まれなかった当時のアイルランド、それは、ローマの領土でなかったさいはての地だったから。

ここに、多くの文献が運び込まれたそうだ。このような媒体を基に、ヨーロッパの文明再編が始まる。(このブログの名称にある”エリウゲナ”はこの活動した人名)

ところで、現代の文明は、電磁的記録を基盤として成り立っている。この情報は、格段に利便性に勝るが、ただ、強い磁力で容易に破壊されうる点では脆弱だ。

核兵器の破壊力は、爆風、、熱線、放射線のみではなく、電磁波もある。これは、より広範囲に影響がある。

つまり、直接落ちなくても、私たちの生活基盤は、相当に破壊されうる。ごく身近な例でいえば、パソコン、スマホのデータが消える、ということ?このブログも、みなさんとさよならとなる。

個人レベルで対処するには、ベタに、重要な情報は、書き留めるとか、CDに焼き付けるとか、日ごろ奨励される習慣だと思う。もちろん震災同様に、ライフライン途絶も考慮しなくてはならないだろう。

銀行の預金情報って、どうなっているのだろうね。それなりに保全管理がなされていると思うけど。個人的には、通帳にこまめに記帳する習慣が必要と思う。だって、払い戻しの請求に際し、明示された最近まで残高と、本人の言い値とどっちが優先という話だ。

どの道、自身の資産の流れに気を留めておく習慣はそうでなくてもお勧めである。

というわけで、今日の話は、ローマ帝国から貴方の預金通帳に落とし込んで完了。

今日の警告、明日への備え その2 安倍首相のアウラ

久しぶりにTVで首相を見た。「あれっ?」

アウラが変調している。多分、ご持病がストレスで悪化しているのではと思う。

具体的には、治療薬(ステロイド系)をかなり使って症状を抑えているのでは、と推測する。

今後の政局が、突然に、変化しうることに備えるべきだ。

D.トランプの精神分析 その2 トリックスター

(先の記事に続き)というわけで、アメリカの精神状況についてコメントするならば、オバマ的アメリカの理想主義の光が強かった分、陰も濃い。

ユングは出来過ぎた人だからこそ、生じる陰の部分に注目した。アメリカの大衆的心情では、リベラルな理想と現実の乖離が進行していたのだろう。

ユングは既成の構造が再構築されるきっかけとなる原型を、トリックスターと呼んだが、トランプとは、この意味で強力なトリックスターなのだろう。

かくして、Pax Americana/アメリカの平和の構造は、支えていた最後のピンが外れてしまった。

トリックスターは、かく乱それ自体が本質で、それ自体が生産的なのではない。例えば、トランプの政策によって、アメリカ車が国外で売れるようになることは期待できない。

そもそも、売れないだけだ。安くするには、メキシコで生産したほうがいい。日本のヤクザだって、昭和の時代と異なり、”アメ車”に乗ろうとしないじゃないか。

トリックスターの道には、二つある。第一は、新しい秩序を創るきっかけとなる場合。第二は、ただの困った人で終わる場合である。

D.トランプの精神分析

「光りあれ!」するとそこに光が生まれた。(旧約聖書)

「メキシコ国境に壁あれ!」するとそこに壁ができた?(トランプの心の世界)

今一番、「神ってる」のはこの人である。それなりの権限があるし。

C.G.ユングいわく、

「万能の神がいたとしたら、それは無意識である。」

つまり、現実との衝突で意識が生まれるので、望むことがすべて実現するのなら、意識化ができない、現実吟味がなされないというわけ。

実際、彼は神ではないので、刻々と現実との衝突が発生している。

彼の生きてきた現場は、不動産業界であり、そこで鍛えた手法をそのまま大統領として使っているようだ。

この取引には、心理操作がものをいう。心理操作の手腕は、選挙にも応用できた。極端で分かりやすい敵味方の色分けも好感度大?

しかし、個々の取引はそれ自体完結する人間間の出来事であって、経済など複雑な、かつ継続的な事象の操作に心理操作は限界がある。

たとえ、大統領権限で”自然な”成り行きを捻じ曲げたとしても、均衡を修復する力がそこにはある。

例として挙げれば、暴言が一時株式市場や為替市場を動かすとしても、次第に市場の反応は鈍くなっていくことだろう。

ただし、彼の憎しみに満ちた言動はテロ業会の支援に直結しているので、トランプの”首取り”ワールドカップ開催の懸念がある(とばっちりは勘弁!)。とはいえこの業界の活性化は、トランプ政策の裏づけでもある。

彼は分別のある意識化ができていくのであろうか?

社会学者P.バーガーいわく、

「独裁者の弱みは正確な情報を把握することができないことにある」

つまり、勘にさわる情報を伝える者が遠ざけられ、ご希望に即した情報だけが伝えられていくわけだ。これは致命的な情報判断の誤りになりうる(本人の前に誰にとって致命的かが重大であるが)。

おまけに、この人、徹底して自分に不利な情報、科学的情報を含め無視しまくっている。というより、罵倒で応じている。

意図的にしているなら、大したものだが、情報判断が本気なら精神医学の問題である。

老人介護施設で職員が手を焼く超頑固老人みたいだ。いや、ホントにそうなのだが。

こういう人、特別な心理操作の一芸に秀でた人が大統領になれちゃう時代精神って何なのか、これぞ大いなる精神分析の課題である。

日本型組織の過労問題について

過労死、過労自殺が問題とされる企業があるとしよう。マスコミで取り上げられ、社会の非難が集中すると、”対策委員会”なるものが設立され、さらに組織の業務が拡大する。通常の業務セクションもこのセクションへの対応に巻き込まれ、結果、さらに仕事が増える。

この委員会の本質は、その名目というより社会の非難を心理的に中和する機能がその本質なのであろう。

本質論でいえば、単純明快に、労働基準法を遵守すれば済むことであるが、事実上それでは済まない”仕組み”があるわけだ。これって、日本の文化に、暗黙のうちに根差しているのだろう。

テレビ中継の中、「今、電灯が一斉に消えました!」と会社の外からレポートされながら、とりあえず、社員は会社の建物を出る、、、が、家に仕事を持ち帰って続けることが、実は!奨励されているかも?

もちろん、この奨励は、文書化されない。優秀な社員は、空気が読める、からである。

しかし、あえて、「空気を読まない勇気を持つ」社員がいたとしたら、ぼくはその方の真価を認める。

余談、

僕の労働法の先生は、どんなに成績が良くても、「A」は付けない指針であった。その理由は、就職に差し支えるからである。

日本とアイルランドの労働観の違いについて

経済統計によれば、個人所得は互角、労働生産性はアイルランドの方がずっと勝っている。日本では荷重労働が問題になっているけれど、命を削るような働き方が報われない、ってわけだ。

アイルランドを訪れておやっと思った言葉の使い方は、Lazy=怠惰の意味である。

日本で怠惰っていえば、人を非難する表現である。

でも、アイルランドでは、良い意味で使われる例が多い。

ジャガイモは、Lazyな作物だからお勧め、とか(手間をかけず収穫できるので)。

Lazyに分かる漫画中心のアイルランド語文法書とか。

自堕落な演出写真を競い合うLazyフォトコンテストとかもあったりする。

少なくとも、本質は非難の言葉ではないし、怠惰ばかりでなく効率の良さも表現することが多いと感じる。

少ない労力でより大きな効果を得られればそれに越したことはない、ってどこの国だろうと同意されると思うけれど、残念なことに日本に於いては、生活上、業務上阻害要因がずいぶんとありそうだ。

思いつく一つには、過剰な同調性。

仕事をチームワークで助け合うことは良いことだが、土台無理な仕事に対し、それ自体見直さずにみんな一緒に苦しむことそれ自体に価値を感じるような場面とか。

上司の残業にわざわざ付き会わされるような心理的圧力とか。

この時期、忘年会、新年会で忙しくなるけれど、これも仕事だったりする。ただ楽しむなら人生の元がとれるけれど、同調を強いる儀式とするならば、仕事どころか強制宗教行事だ。

この行事、何が御利益かといえば、ホントは業績に貢献していない人でも、その罪が赦される機会のなりうる点である。

まだまだありそうだけれど、原因探求は壮大な社会学の研究になりそう。

歴史に亀裂が入る日、イギリス国民投票が迫る

浮世離れしたこのブログであるからこそ、あえて記事を書く。

ファイナンシャルタイムズ/Financial Times https://next.ft.com/ 

の電子版一面には、離脱をめぐる国民投票の直近世論調査(Latest Polls)が記載されているが、離脱派が1ポイント上回っている(昨日は双方同じ数値だった)。

たとえ、離脱しないにせよ、この背景は深刻である。同様の根は、アメリカの大統領選にもあり、少なくとも”いままでどおりの世界”は、継続しない。

Carpe diem,quam mimimum credula postero

23日朝追記(日本時間):おそらくFT最終世論調査結果 残留47% 離脱45%

ジョージ・ソロスとその哲学 金融界の闇の帝王が復活

久しぶりに、「ヘッジファンド 世紀末の妖怪」浜田和幸 文春新書 を読み返してみた。

なぜならジョージ・ソロスが業会復帰したからである。で、中国の経済崩壊に警告を始め(中国経済に呪いをかけ)、人民日報もむきになって反論を始めている。つまり金融戦争が始まろうとしているのか。

来週の英国のEU離脱是非投票はその引き金になりうるだろう。

彼には、1992年、ヘッジファンドを率い、イングランド銀行に激しいポンド売りを浴びせてこれを屈服させた伝説がある。この勝利の結果、ヘッジファンドの利益は、10億~20億ドルと推定されている。

その背景は、当時の欧州通貨制度の縛りによる金融上の無理(ポンドが高すぎる)がその一つだ。この経緯もあって、ポンドはユーロに統合されていない。

そして1997年、タイのバーツ売りに始まるアジアの通貨危機も彼の仕業である。

この様子を見ると、今の人民元の現状はよくにている。

ただボロ儲けするだけではなく、彼には哲学がある。その哲学者カール・ポパーの思想である。彼はその直系で学んでいる。

カール・ポパーは、科学哲学の分野で知られているが、反面、全体主義の政治思想を徹頭徹尾反駁する政治性を持ち合わせている。

その代表的な著書は、「開かれた社会とその敵」。これが若きジョージ・ソロスのバイブルであった。彼の得た収益は、独裁的な国家の民主化運動家に流れているそうだが、その受け皿の名前は、「オープンソサイエティ財団」、そのまんま、だ。

統制的な経済が生み出す矛盾を突く、これがかれの投機手法の基本だが、共産党が主導する資本主義なんて彼が心情的に(かつ、利益的に)ほっておくわけがない。

実は、カール・ポパーの信奉者は、日本経済の中枢にもいる。在学中試しに司法試験を受け、合格するなどしたが、結局、その筋には関心がないらしく金融道に入り今は日銀総裁してる。

黒田総裁はちゃんと、カール・ポパーの政治思想を翻訳してもいる。その本は、「歴史主義の貧困」。これは、ただの余芸なのだろうか。

彼の金融政策とポパー主義者であることがどのようにかみ合っているか、そもそもいないのか僕にはわからない。

ただ、気になることがある。前回のサミットの会議で、うちの首相がリーマンショック並みの金融危機の到来を訴えていたが(冷ややかな受け止めとともに)、その程度はともあれジョージ・ソロスなら合意するだろう。

安倍首相の見解が、単なる消費税増税先延ばしの理由づけならよいが、黒田総裁も絡んでいるとしたら穏やかではない。

で、庶民的には、来週の英国イベントである。嵐が来るのか来ないのか。数値的には、ポンド価格、日経平均は当然だが、人民元、円、金(きん)とか、普段経済の関心のない人も、気にしておいたらいいと思う。

ついでに、日本では特段の信頼が置かれている預金・現金とはあくまで金融資産であることを再確認してみよう。

社会教育、小学生税務署に行く

税務署に仕事上行く。社会教育も兼ねて娘を連れていく。

建築中の家の横を通る。僕が尋ねる、「このお家を作ってる人に誰がお金を払う?」

娘、「この家の人!」、だよね。

じゃ、「この道、横断注意って書いてあるよね、それに道を作ったりするよね、このお金誰が払う?」

娘、「わかんない、、、」

大きな橋を渡る。「きっとすごいお金がかかっているね、これ誰が払う?」

娘、「わかんない、、、」

「今からそれを見せてやろう。」

税務署に着く。折しも、確定申告の真っ最中。納税の様子を見せる。

「ほら、ここがそのお金を払う場所だ。たくさんの人がいるだろ、みんなで払ったお金がいろいろなことに使われるのだ」。

、、、、残念ながら、この娘、謎を解いた感動なさそう。

この先、何にどれだけお金(予算)を使うのか、それは次のセッション、政治の話になる。

一年生に、まだ社会科の科目はないけれど、生の現場を見せれば、分かりやすいだろう。

税務って、社会の根幹だ。けど、あまりに抽象的な世界である。だから、今日は「生」で行ってみた。

余談である。

税務署ほど、道に多くの案内表示がある役所はない、と言っていい。そして迷うことなく、納税窓口へと誘導されていくのである。

余談の続きである。

娘はよろこんだ、「ここの自販機の飲み物安い!」

あった!税務署にも感動はあった。

大学と教養 その3 多様性

世界の秀才が集うハーバード大学で、志願者を選ぶ基準に異変があったそうだ。アジアが豊かになり、アジア各国からの志願者が増えているが(日本からはそうでもない)、なにしろ数が多いので、単純に試験の点数を基準とすると、”アジア大学”化してしまう。

人種による差別、との批判もあるが、学生の多様性を担保する意味で、それなりの枠を設定しているのだそうだ。

日本の場合、長引く不況のため、親の財力低下、自宅通学の学生が増えている。つまり、大学の地元志向。早稲田大学は、「全国から集う学生の切磋琢磨が力強い学生を育成する」との、伝統があるそうだが、この傾向に危機感を募らせている(新聞記事から)。

東京の名門大学に入学する学生の内、地元中高一貫校出身者の比率が圧倒的になっている。これも多様性の問題である。幕末の幕府直営、昌平坂学問所の方がより開かれた教育機関であろう。

これは、学生の均一化を招くだけでなく、日本のエリート階級の固定化につながっていくはずだ。反面、江戸幕府の懐の深さを再認識してみたい。

阿部謹也といえば、ヨーロッパの社会史の権威だが、教養を興味深く定義している(彼の本の中で読んだ記憶がある)。

それは、「自分が何者かを知っていること」。

とても含蓄のある言葉だ。

思うのだけど、異質な他者と関わること、これが自分を知るための大きな手だてではないだろうか。

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