時代精神

都民ファーストから日本ファーストへ

先月の都議選はスゴかった。老練というか老獪というかベテランの議員がボロボロ落ちて、いかにもナイーヴそうな新人に置き換わっていった。

その流れが、国政を担う新政党で日本ファースト。

都民→国民って素直な意味の拡大なら分かりやすいが、”日本”ときた。

これ極右のネーミングだろ、って多くの識者が言ってるそうだが、それならそれで一つの政治的立場である。

でも、本質的に倒錯的ではないだろうか。

日本が一番大切ってことを、”ファースト”なんて外国語を入れて表現しているからだ。

自国の言葉を大切にしないで、地域政党ならともかく、わざわざ外国語を国政を担う政党の名に含めるなんて国辱的に思う。これは、植民地の傀儡土着民の発想であろう。

この風潮まさに、憂国。こんなこと言う僕って極右?

フランス語 一かじりで見える世界

先の記事でフランス語に言及したので、もう少し書いてみる。

この言語一かじりで見えてくるものは、日本での普及ぶりだ。普及といっても、語学教室が盛況なんてことではなくて、「おしゃれ」のレベルではあるが。

例えば、子ども服のデザインに利用していたり、マンションの名前だったりする。

意味がわかっちゃう英語では、ダサい?

平たくいえば、高級そうに見える?

チョコレートケーキなら、自家消費、ガトーショコラなら贈り物。意味同じだよ!

ホワイト歯科は、行きつけの歯医者さんっぽいが、ブランシェ歯科なら、保険の適用のない美容歯科。名のある繁華街にあったりする。

おもしろいのは、同じような感覚は英語圏でもあったりすること。

英語圏の住人にとって、フランス語は格上の言語らしい。

個人的経験もある。

一人でアイルランドを旅行したときのこと、

B&Bの朝食では、外国人間の会話があったりするのだが、欧米系が主流である。

こっちは、「得体の知れないアジア人」みたいに見られたりする。

アメリカ人とおぼしきオバチャンたちに、声をかける機会があって、単に、「マダム、(ここで相手は口に手を当てる)、、、(以下ただの英語)」とか、呼びかけにフランス語が一言入るだけで、オバチャンたちの態度が一変した。

得体の知れないアジア人→文化的好青年、って感じ。書いてる自分が恥ずかしい。

大阪のオバチャンはこんな時、友好の印に飴をくれるそうだが、雰囲気はそんな感じのご婦人方であった。それにしても、なんてギャップなんだ!

映画では、もっとメガなギャップもある。

「ブレイブハート」の一シーンなのだが、

野蛮なスコットランド人、とみなされていた主人公が、フランス語に堪能であると発覚、これが王妃との禁断のロマンスの契機になっている。

実に!コスパのよい言語である。

かつて、カンボジアのポルポト政権はフランス語話者を真っ先に虐殺したけどね、これは例外事項。

これからの欧州の行方、メイとマクロン

フランスでマクロンが勝利し、6日、メイは大きな賭けに敗北した。

マクロンが勝利したとき、フランスからメールが届いたが、彼の若さを心配するものだった。でも、その後の進展は良好である。

結果、EUが独仏の軸で引き締められ、イギリスは厳しいEU離脱条件を飲まざるをえなくなるだろう。

派生的なこととして、スコットランドは、「イングランドなんかとは、付き合いきれない」って考える。そもそも、フランスと組んでイングランドに対抗してきた歴史がある。つまり、連合王国からの離脱、EUに接近の気運だ。

困るのは、北アイルランド。根深い紛争地帯なのだが、「おなじEUだし、、」って、とりあえず妥協してきた。

でも、EUの枠が外れだしている。そのうえ、メイは、北アイルランドの強硬なプロテスタント勢力に接近しようとしている。保守党の負けを補うためである。

結果、気運は不穏になっていくだろう。

すでに、アメリカのヤバイ老人は、「やっぱり、、、」って状況にある。アメリカの影響力も低下していく傾向にある。そもそも、自国中心の自己中毒の人だし。お名前の語源は、「勝利」と推測するのだが。

オマケの話題なのだが、米英の退潮は、(少しは)英語の退潮になるのだろうか。僕は、特段、反英語主義者ではないが、言葉の世界の多様性には、こだわる。

国際化、じゃなかった、グローバル化は、英語化?やたら英語にこだわる大学が増大しており、第二外国語も必須ではなくなっているそうだけれども、英語圏の力が低下するなら、フランス語とかもっと注目されてもいい。

もっとも、単位取るならドイツ語の方が楽だけれど、如何せんフランス語圏の方がずっと広い。たとえば、目立たない国でフランス語が公用語だったりする。

おじいさんの革命戦士

例えば、、顔まで黒タイツで身を包み(目、鼻、口は白の縁取りで出ている)、エンブレムの付いたベルトを締め、地味な賃貸住宅に隠れながら、毎日「イーッ!」って奇声を上げて、数十年間世界征服を目指す戦闘員を自称する人がいたらスゴイよね。

でも、似たような人がいた。初代仮面ライダーのころから、どこの交番にも、お尋ね者として掲示されている「例のあの人」である。捕まってみたら、変貌したおじいさんであった。

しかし、なんだか小ざっぱりとして、こんな当時の若者の歌が合いそう。就職ではなく、収監だけど。

”就職が決まって髪を切ってきたとき、もう若くないさと君に言い訳したね”

(いちご白書をもう一度)

余談、うちの子は、懸賞金を狙っていたので、残念がっている。

一般的には、指名手配殺人犯。本人の自覚としては、帝国主義と闘い、世界の人民を解放する中核的前衛たる革命軍の戦士だろ?

異様だけど、本人が変わらなかっただけで、変わったのはむしろこの社会だ。

当時の時代精神って興味深く感じる。時間を離れているからこそ、見えるものもあるだろう。今の若者のリアリティも、時代を離れてみれば、どのように見えるだろう。

大玉村とマチュピチュ 大いなる成婚(友好都市調印)

例えれば、このようなおとぎ話になろう。

世界中の王族、貴族、成り上がりの金持ちから求婚が殺到する娘がいた。でも娘はどの縁談も断り続けた。いずれも、心の琴線に触れる相手ではなかったから。

娘は、静かに古い思い出に想いを馳せた。「そうだ、あの方なら、きっと」

赤い糸は、途切れることなく、地球の向こう側に届いた。そこは、美しい山の麓の小さな村だった。

古風な青年がいた。地味だがすがすがしく誠実で、その足はしっかりと大地を踏まえ、その心には凛とした一本の筋が通っていた。

大地と風と空は、わが子のことのように二人を祝福し、この時、大地は金色の収穫を届け、風は、心地良くそよぎ、太陽は、二人を温かく照らし出しましたとさ。

pax hominibus bonae voluntatis/良き心映えの人々に平和を

2015.10.30日経、春秋からのアレンジ

大いなる田舎、大玉村のサイトはここ、

https://www.vill.otama.fukushima.jp/

社会史を考える その1 少年非行集団

今回の川崎の事件で改めて少年非行集団について歴史的に考えてみた。

過去から遡ってみる。

戦後の混乱期

これは、日本の社会が崩壊状態にあったころで、当時の名称では、愚連隊など。警察もあてにならない社会状況なので、やりたい放題。子どもというより、大人的犯罪組織で凶悪事件も多発。

高度成長期

暴走族の時代だ。トップダウンの組織型。男っぽい団結が美学。

バブル崩壊後

チーマーの時代。少人数のゆるい組織だがとりあえずチームではある。”悪さ”を個性的に競い合うような関係性。かつ都市型で繁華街が活動地域。

そして現在

スマホを使用したネットワークが集団の要でとらえどころのない点が特徴。女子も結構いたりする。統制が取れず、そのときの状況で場当たり的に重大な非行もありうる。

今回の事件は、一見、組織を抜けようとする行為への制裁と解釈されやすいが、むしろその場のノリで集団のイベントを行ったような観がある。この未熟さとはそのまま凶悪さである。”状況”を動画撮影している可能性も高い。

世界観という言葉について

思わぬ場面で耳する言葉として、少し気になっている。たぶん、○○の世界、なんて表現されてきたものに、幾分思想的な深みを多少加えた感じかな、っと思っている。

僕自身定義すると、

個人の具体的な作品等の背景となっている一つのまとまりのある観念的背景。

思想といったら大げさだし、強く主張を表現するものでもない。

だから、こっちの世界観が正しいとか、間違っているとかそんなことは野暮であって、この世界観おもしろいよね、共感できるよね、なんて軽い批評に向いている。

鋭く批評するとお互い傷ついてしまったりするから、それもアリかもね、で済ましておく。

この感覚、とても今風に感じる。

ただし、本来の意味で世界観とは、個人においては価値観や生き方を決める要因だし、国家も特定の世界観で成り立っている。

あのイスラム国をめぐる問題は、世界観の衝突でもある。

改めて世界観を意識して、このブログも続けてみようと感じる。

沙羅とSARAH のネーミング論

ソチオリンピックの二人のライバル、二人のサラの話である。

沙羅って名前は、一見奇抜だけれど、しっかり、日本の文化に即している。広辞苑にずばり出ている言葉だ。

SARAH(サラ)は、欧米の正統な名前。正統というのは、標準的な女子名であるし、旧約聖書に由来している。

SARAHとは、もともとアブラハムの妻の名前である。ヘブライ語由来で、”王女”って意味があるらしい。

一方、沙羅も宗教的に重みのある名前だ。沙羅双樹といえば、釈迦の入滅に際し、白い花を満開に咲かせた二対の木のこと。

SARAHが聖書なら、こっちは仏典由来。まるで、漫画の「聖☆おにいさん」。

この神秘的なイメージとは別に、沙羅には庭木として知られている「ナツツバキ」の意味もある。これ、わりと身近な花である。

なかなか意味が深く、サラとして海外でもそのまま通用するなんて気が利いている。

似たような話がある。

アイルランドを旅行したマイコさんって女性が、思わぬ歓迎を受けた。

「Oh!俺もマイコ(Micho)だよ」。

ただし、このマイコ(マイコー)は男性名だ。

TOEFULとWASPそして古典の日

今日の日経、「一億総TOEFUL時代!?」とある。

国家公務員試験にTOEFULを使う指針が決まったからだ。

TOEFULの本来の意義は、北米の大学・大学院入試基準なんだけど。

このブログでは、グローバル化は、WASP化じゃないか、といろいろ書いてきた。つまり、露骨にいうとアメリカ基準に従うことの地ならしである。

一方、今問題になっているアメリカを中心とした国家的スパイ活動、メルケルが怒ってるあれだ。その参加国は、みなWASPな国である。

そこには、明確な枠があって日本やドイツは入る資格がない。この”スパイ同盟国”すべてに多くの移民を送り続けてきたアイルランドも入っていない。アイルランドは、「WCC」だから(白人、ケルト、カトリック)。内輪で「入れようか」と話したこともあったかも、しかし、イギリスは強く反対だろうね。歴史的に。

とはいえ、英語は大切である。このブログ(英語に対抗的)の書き手が言うのだからほんとうだ。

でも、自分たちの根っこ、固有の文化を守るってことがその条件。そうだ、今日は「古典の日」である(古典の日に関する法律、平成24年9月5日制定)。

アイルランドの例は参考になるだろう。数百年の植民地支配で浸透した英語を第二共通語として活用している。ユーロ圏で英語圏の国はアイルランドしかない。

それでいて、古来の言語、ゲール語は相当無理して守り続けている。

この時代、「古典」を失った国は、文化的植民地になってしまうだろう。先の法律でいう「古典」とは、源氏物語とか、ばかりではなく、「価値のある継承された生活文化」も含まれることが肝心なところ。

デジタルな感性、アナログな感性

最近の日経記事で知ったこと、それはカセットテープが音質的に見直され復権しつつある事実。

大きな音楽ショップの片隅に、その多くは演歌系だがカセットテープのコーナーがあって、「まだ、カセットで聞いてんの?」と思ったことが恥ずかしい。あー時代に遅れていた。

新しければ、よし、って、それは20世紀的な限界なのかも。

そういえば、最近写真家の方と話したことだ。写真の質上、デジタルとフィルムの違いについて。

確かに、デジタル一眼レフの最新機種の画像はすばらしいが、我々自体、画像を見る感覚が、すでにデジタル慣れさせられている、と聞いた。

なるほど、注意してみよう。と、思った。

鈍感さと利便性は、相補的な関連があるのかも。

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