博物学

ヒアリと生態学/エコロジー

庭で足をアリに噛まれた。意外と痛いものだが、よく知った種類のアリなので、丁重に払い落す。彼らは、虫の死骸を片づけるなど、立派な役割を担っているが、時々勘違いもする。

イソップは、アリを愛すべき生き物として紹介してくれたが、ヒアリの侵入が問題となっている。確かに、ヒアリは困る。日本の在来生物にとっても脅威だ。

ただし、今のところ日本の民家の庭先まではいない。

ともかく、港湾など水際で駆除することは重大な課題だ。コンクリートの隙間を埋めるとか、なるほどと思う。

ところで、アリを対象とした殺虫剤が異様な売れ行きだという。でも。アリを見たら、とにかく大量殺戮なんて人がいそうだ。

巻き添えで、在来種のアリが殺されたらかわいそうである。また、他の昆虫にも害が及ぶだろう。

やたら殺しまくることは、生態学の観点からも疑問があると思う。

というのは、昆虫界はそれなりにバランスがあって成り立っているので、これをかく乱するとかえって外来種の侵入を助長してしまう惧れがあるからだ。そもそも、在来種のアリのポジションを狙うのがヒアリである。

植物界で例を挙げれば、人間が作った不自然な環境、造成地などだが、こういった環境は外来種が席巻することになる。

ヒアリの巣を殲滅することは人間でなければ難しい。しかし、アリ族が新しい巣を作る際には、雌雄の羽根アリを飛ばさなければならない。そして鳥類や他の虫たちがこれを捕食する役割を担っている。

動物行動学 その2 小鳥たちのバレンタイン

人間だったら”義理”もあるけれど、小鳥たちはそんな余裕なし。この時期、餌が少ない中で、春の繁殖期に向け本命パートナーを探さなければならないからだ。

うちの食卓のすぐ外に、通年稼働のささやかなえさ場がある。スズメは群れになってくる。メジロはつがいでやってくる。そして最近では、ヒヨドリも来る。

このヒヨドリが問題だ。と、いうのは他の鳥たちを執拗に追い払うから。

ジャイアンとのびたその他の関係か?いや、それは擬人化のしすぎである。ヒヨドリとスズメの違いは、生物レベルでは、人間とチンパンジーの差よりはるかに大きい。

で、このヒヨドリだが、とにかく気合が入っている。えさ場を守るべく、近くの塀の上で見張っているが、一仕事終えると、羽毛を逆立て、口は半開き、ぶるぶる体を震わせている。これは、擬人化ではない、彼(たぶん)は、興奮が収まらないのだ。

あるとき、なんと、もう一羽連れてきた。パートナー候補か?

人間だったら、こう言ってるかも。

「僕の守ってるえさ場だよ、雛たちが生まれても食べ物に心配ないよ」

擬人化しすぎか?でも、本質的には、的を外していないかも。

しかし、、こんな金きり声を上げる鳥が、家族ぐるみ毎朝訪問されても困るなぁー。

動物行動学 その1 人と犬の関わりについて

正月中、アシカショーを観た。人間とアシカのお友達関係がほほえましい。けれど、アシカたちは、一芸終わるごとに、魚の切り身をもらっている。

イルカもシャチも同じ。猛禽類の芸もそうだ。一見親密な関係も、常に現物即報酬付きでなければ、維持できない。

そんなところばかり気がつくと、白けてしまうのだが、この点、よくできたイルカショーでは、舞台裏で切り身をもらっていたりする。

飼い犬についても、何か犬にしてもらううえで、報酬でその行動を方向付けることが必要だが、この報酬は、もっと心あるものである。かつ、そんなに頻繁でなくていい。信頼関係こと重要なのだ。

飼い主がほめてやる、それだけで犬は喜ぶ。人間の子どもも同じだ。その時の犬の表情が誇らしげなのは、人間の感情移入だけ?なのだろうか。

そもそもほめられたことが理解しうる認識能力、それは単に知性(イルカは犬に勝るだろう)だけでなく、社会的な感性にも関わるはずだ。

人類とイヌ属は、石器時代からの付き合いがある。狩猟に関わる協業関係であったわけで、異種間契約関係みたいなものだ。

ポインター、セッター、レトリバー、、犬種に関する名称の多くは、その役割分担を表現している。いまでは、愛玩本位であれ、忠誠と保護の関係は持続している。

「このバカ犬ガーァ!」と、トラブルを重ねながらも、飼い犬を最期まで見届けた飼い主は二つの意味で讃えられるべきだ。

一つは、飼い主の務めを果たしたこと、

もう一つは、数千年にわたる人類とイヌ族の盟約を自ら完遂できたことである。

今年も貴方が、そして飼い犬をお持ちならその飼い犬も幸せでありますように!

シラタマホシクサ いざ、星々の世界へ

この花が咲くと、秋の始まり。

秋になると、空の空気が澄んできて、星もよく見える。この植物の作り出す景観、それは自生地の湿原だが、まさに地上の星空。

これは、ささやかに鉢植えのもの。

Photo 干草、じゃなくて星草である。

その素性は、ホシクサ目、ホシクサ科、ホシクサ属、仲間はたくさんあるけれどこいつが一番星草らしい。

Eriocaulon nudicuspe が学名。

Eriocaulon は、ギリシャ語だろうけど、意味は知らない。

nudicuspe は、ラテン語だろう。たぶん、”裸の”に関連している。

芯がむき出しで、ヒラヒラ花らしい花弁がない様子を表現したように思う。

この秋驚いたのは、この植物が街の花屋さんにかなり出回っていることだ。

通常は、シブい、「山野草」の範疇として扱われるが、このようにかわいくポップな花なので、一般うけしやすいのだろう。

注意すべきは、一年草であること。

つまり、枯れたらおしまい。そのまま、来年下から芽が出る、とかない。

植物本体が枯れても、花の白さは保たれるので、ドライフラワーとして残すことができるはず。また、無事に花期を終えることができたのなら、白いモコモコの中に黒い種子が見つかるはずだ。

いろいろ工夫が必要だが、この種子を育て、また来年咲かすことができる。

消えた湿原とサギソウ(Habenaria radiata)

日本の山野草人気度トップ10、におそらく入ると思う。白花しかなく、また小さな花なのだが、その優美な形状が印象深い。

わざわざ活けてみると、実感する。

Photo 学名、radiata は、放射状の、光を放つ の意味。それなりに豪華なイメージだが、翼を広げた白鷺をイメージした和名の方が気が利いていると思う。

この植物は、本来、温暖な低地の湿原に自生するが、よほど厳重に保護されないかぎり、そんな場所は日本になかなか残されていない。

また、東京、世田谷区では、ご当地の歴史的伝承に基づき、区の花、の指定をしているが、生えていたこと自体、もはや”伝説”。

苗や球根の入手は割と簡単だ。日本の野生ランの中では、栽培しやすく、手ごろな価格で購入もできる。

人気があるので、春から初夏のころ、少し専門的な園芸店なら扱っていることが多い。ただし、ラン類一般にいえることだが、ウィルス感染には注意した方がいい(感染株を買った実体験有)。

野生のサギソウ、、、一度見てみたいと思うが、自生地はかなり限定されている。保護された場所以外で見つけることは、つまり希少生物との遭遇である。近縁(同属)のランでは、ダイサギソウ、ミズトンボなどがある。

ダイサギソウはさらにレア物である。

子ども目線で学ぶ身近な博物学 飛び立つ蟻たちあるいはジューンブライド

その気になりさえすれば、保育園の帰り道は、虫や植物の話題にあふれている。昨日の話題は、アリ(蟻)。コレ何、と、うちの娘がいう、、、

アリといっても、いつもの働き蟻のことではなく、羽の生えた連中のことだ。

これが結構多かった。気がつけばあっちにも、こっちにも。その季節になったのだ。

その季節とは、蟻たちのジューンブライド。

つまり、夏が近づくころ、地下の巣では、羽の生えた雄蟻と、雌蟻が生まれ、やがて大空に羽ばたいていく。

選ばれし、蟻たち。その使命は重大だ。大方は目的を遂げることなく、死んでしまうだろう。幸運にも連れ合いを見つけた蟻は、新たな王国建設に向け、子育てに励む。

つまり、この羽蟻たちは、王と女王の候補なのだ。

蟻といえば、地味な働き者の代名詞なのだけれど、こういったドラマチックな一面もある。

そうだ、この6月、めでたく結婚した人間のカップルにも、幸あれ!希望の羽を存分に羽ばたかせ、新天地を築いて欲しい。

日本の家、ハーブ、そしてドクダミ

ありふれた雑草だ。この時期はあちこちに咲いている。この写真は、保育園のビルの脇に咲いたもの。

Photo ありふれ過ぎてとても有り難味なんてない。名前も誤解を招く。しかし、日本のハーブの筆頭といえば、お茶とドクダミであると僕は断言する(ハーブ→カタカナ洋物とする考えは間違いである)。

旧家が取り壊され、整地され、雑草が生える。どこにでもある風景。多くの雑草は種が飛んできて生えたものだ。しかし、ドクダミは生き残った根から再生する。

ドクダミは里の植物だ。人間の営みとともにある。薬草として、あえて家の近くに植える文化があった、と僕は推測している。

こういった文化は西洋にもあって、ハーブの文化として輸入もされている。人類本来の智恵みたいなもの。

勝手にはびこり迷惑ではある。しかし、驚くべきことに種ができない。だから、人為が関与しなければ、分布が広がることはない。

近代的な発想では、薬は買うもの、支給されるものである。でもそれは社会が豊かになったからであって、公的健康保険制度があるからだ。おまけに、巨大な産業の利権とも結びついている。

いわゆる代替医療について、過剰な期待はすべきではない、とも思う。でも、身近なところから気づいてみてもいい。

ドクダミの元の意味を明確にいえば、”解毒”。生の状態では、殺菌作用であり、乾燥させた状態では、代謝の促進(老廃物を出す)、僕のイメージだが、この草のテイストざくっといえばこうなる。

別名、十薬。とても広範囲の使用方法・・効能がある。興味のある方は、ネットで検索してみればいい。

それって漢方の話ですかといえば、意外に通常の漢方薬のブレンドとしてドクダミが使われていないのは不思議。他の生薬との相性がよくないのかも。

以下、個人的経験のレポート。

1 生でバリバリ食べても死にません(国によっては野菜扱い)。

2 そこらへんからザクザク刈り取って、洗濯ネットに入れ、風呂に入れる。茹で上がったら搾ったりする。においは強烈だが、鼻の通りがよくなる。湯上りは爽快、肌がさらさらになり、蒸し暑い季節特有のベタベタ感からしばし解放。

3 乾かしたドクダミをお茶にすれば、かなりの利尿作用がある。お茶としては、乾燥した根の方がおいしい。体の毒気が抜けていく感じ。肌がきれいになるという人もいるが、ありうることだろう。ただし、”出す”ことが効能なので、下痢に注意かも(便秘の人にはベター)。

普通、野外採取、乾燥処理なんてやってられないから、薬局で十薬として買ってもいい。量的にかなり安い、けど効果はバカにはできない。

注意すべきは、利尿作用といっても、腎臓病の人が医師の意見なしに使っていいかといえば、止めた方がいいだろう。また、15歳未満には服用させるな、と、ある市販の十薬には書いてある。

4 うちの娘には、野外で虫にさされたとき、その辺のドクダミの葉をもみ潰して汁を塗れ、と教えている(あくまで応急処理、虫の毒自体を解毒できるとは思わない)。細菌感染で、後から腫れて膿んだりすることを防止するためだ。もちろん、状況によっては皮膚科のステロイド軟膏も考える(現代医学に対抗する気はない)。

 親的には、”自然の生物から受けた被害に対処するヒントは、自然の中にもある”、と教える意図もある。

清涼な深山の風のイメージ フウラン(風蘭)のこと

マニアに言わせたら、「なんだい、原種じゃん」ってことになりそうだが、コイツとは20年位付き合っている。やっとこれだけの風格になった。これは去年の写真だが、今年もつぼみを付け出した。

学名、Neofinetia falcata、江戸時代から注目され、多様な品種もある。園芸品種の場合、偉そうに富貴蘭と呼ばれる。

最近では外国産の近縁種との交配が盛んになっている。古典的かつ、先進的な園芸植物の一面も。

Photo

上品な香りがいい。昔は、この花を籠に入れて道中を楽しんだ殿様もいたそうだ。僕的には、深い、静かな山のイメージが広がる。

この蘭は、セッコクと並ぶ日本の着生蘭の双璧でもある。

つまり、地面に生えるのではなく、高い樹上の枝に張り付き生育する。そこには涼しげな風が渡っていくことだろう。

小学生のときの鮮明な記憶がある。この蘭が、中津川市の街角で、大きな木の切り株(長い風雪を経て風化したもの)に植えられていた。一抱えほどに育っていたが、おそらく数百年物だろう。真っ白な花盛り、それはほとんど神秘的でもあった。

サボテンが語る人間の難しさ

もし「未経験だが、サボテンを育ててみたい」と尋ねられたら、コイツを推薦したい。

とにかく、強い。水を控えめにして、日によく当てること。これだけで、毎年初夏に沢山花をつけ、秋には赤い実をつける。うちの娘はこの実を使って、ママゴトを楽しんでいる。

松霞という名前も風雅だ。まるで古き良き日本の原風景。

Photo

なんでうちに来たか、といえば長い話になる。

ある実業家がいた。業会では名の知れた名士だった。独力で事業に成功し、自社ビルまで建てた。

しかし、性格的に難しい人だった。後継者もなし、家族もなし。事業が不調になっても一切何も変えようとせず、人の忠告も聴かなかった。

認知症の兆候が出始め、社内は散らかったまま、いくら人を雇っても、従業員はすぐに辞めていった。

殺伐とした環境の中で、かろうじて生きてきたのがこのサボテンだ(助けを求めているように感じた)。こういった事業所にありがちなことだが、植物たちは今何が起きているかを如実に語るものだ。

かろうじて5ミリの芽がまだ青かったので、ここだけもらいうけた。そして6年後、育った様子がこの写真。

老人ホームの担当者に呼ばれ、最期に社長ご本人にお会いしたとき、彼女はほとんど話すことができない状態だったが、かろうじて言葉を聴くことができた。

「いい気味だと思っているでしょう」

正直にいえば、残念な必然、そして「人間って難しい」ってことだ。

このサボテンを観るたびにこの社長を思い出す。もっと方策はなかったのか、とも考えるが、答えはまだ見つからない。

テルマエ・ロマエと日本人(平たい顔族、濃い顔族)

一般論でいけば、日本人(人種上の)=弥生系+縄文系。

この映画では、弥生系=平たい顔族、縄文系=日本人演じるローマ人(いわば濃い顔族)なんだよね。

ここまでコミカルに人種論に踏み込んだ映画というのもスゴイ。ちなみに僕は濃い顔族出身である。

上戸 彩はまさしく弥生系だ。たとえば、仲間 由紀恵を配役するならローマサイドしかない。仲間 由紀恵といえば、沖縄出身なのだが、西南諸島は今でも濃い顔族が非常に優勢だ。

弥生系は大陸系、コンチネンタルなテイストがあり、より古い縄文系は北上する黒潮の流れに関係がありそう。ポリネシアな香りも残る。

古代日本史でいえば、北方の蝦夷たち。その英雄アテルイの顔も彫像(お面?)で残されているが(実写ではないだろうが)、やたらに”濃さ”が強調されている。

ヤマトの側からすれば、これが蝦夷の基本イメージなのだろう。

ところで、ローマ帝国。

なにしろ大帝国なのだから、ローマ帝国人=(南部の西欧系)とは言い切れない。北はイングランド、南はアフリカ、東は小アジアまで含まれていたし、最近の発掘では東アジア人の人骨まで発見された(2010.2.5の新聞記事)。

重要なことは、人種に関わりなく市民権が与えられていたことだ。生粋のローマ人だけで、帝国が成り立つはずはない。それを基礎から支えるものの一つが、共通語たるラテン語。

文明とは、こういうものだろうね。

余談、うちの娘は、よく見ると左右の眉毛がつながりますます濃い顔だちとなった。この点、弥生系の母親は、少しばかり不満を持っている。

2017年11月
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