思想

子どもとの会話 宇宙人の存在その2

私:で、チンパンジーは人とほとんど同じ、大腸菌だって結構ダブってる。DNAで見ればね。

娘:いきなり何の話なの?

私:宇宙人ネタの続きだよ。つまり、地球の生命って、そもそも元が同じで遺伝子の表現の仕方でこれだけ多様ってことだ。

とすると、地球外の生命は、「人」がどうだとかのレベルではなくて、ある意味大腸菌より別物、ということになる。知的生命体としても、「人」なんて”それを”とても呼べないだろ?

娘:まあね。理屈じゃそうだけど、結局知的生命体として、よその星に行けるくらいの文明を持つほどの生物なら人間型に”収斂”するって聞いたことあるよ。

私:収斂ってか?やるね。これもありってことで進めてみよう。

宇宙のどこかに地球と似た環境の星がある、、そして人類みたいなものが進化して宇宙に進出する文明レベルに到達する。

これだけ星があればね。確率的に認めよう。その意味で(形はこだわらないとして)宇宙人はいる、と認めよう。

娘:でしょ!

私:ついでに特別な科学力で、100億光年でも到達しうるとも仮定しよう。

ごめん、訂正を思いついた。さっきの話、正確には、「いる」というより、「いた」とか、「これからいる」、だけど。

娘:一体何を考えてるの、ブキミよ、その言い方。

私:ごめんな。お互いに接触できるほど、文明って長続きするのかってことだ。

宇宙レベルの時間感覚でいえば、今の人類史なんて一瞬のキラッの1万分の一だよ。

この人類を基準にすれば、核兵器増えまくり、環境汚染深刻、ホーキンス先生はAIが人類滅ぼすと言ってたし、文明存続のネガティブ情報が増え続けてる。そう考えると、お互いに確率的に同時に存在できないため、別な人類=宇宙人に出会える可能性はまずない。

 

 

 

子どもとの会話 宇宙人の存在

娘:宇宙人っていると思う?

私:そこなんだ、この場合の「人」ってどんなものが人なんだい?

娘:またきた、ほんと素直じゃないね。

私:最初が肝心だ。言葉で答えてくれたまえ。人といえるのはどんなもの?

娘:言葉を話して、、、立ってあるいて、、

私:妖怪みたいなのでもいいのかね?

娘:そう言われると困るなー。でも、今っぽい服とか、未来っぽい服着てたら人でしょ。

私:昔の絵に描かれた妖怪だって、今は普通の服を着てるかも知れないよ。宇宙服みたいなファッションが好きなのもいるかも。

妖怪ウォッチには、ほぼ宇宙人のイメージの妖怪も出てるぞ。

娘:でもやっぱ、宇宙人の方が、妖怪よりリアルなものでしょ。そうそう、科学的な。

私:こんな説明はどうだい?昔の人は妖怪をリアルに感じていた。今ほど、科学が発達していなかったから。今の人たちは、科学を信じているので、妖怪はリアルでなくなり、その代わり宇宙人がリアルになった。

結局、たとえ同じものであっても、その時代背景によって、妖怪と解釈されたり、宇宙人と解釈されたりしうる。

 

子どもとの会話 妖怪の存在

娘:妖怪っているの?

私:うちの、かまちゃんやかぶちゃんみたいには「いない」ね。

(うちで飼っている虫たちのこと)

娘:もし見たら信じる?

私:見るだけで「いる」ことになるのか?

娘:確かに、それだけじゃね、、。

私:そうなんだ、「いる」とか、「ある」ってことどうやったら確実にできるのだろうね。

いや、「いる」とか、「ある」 って実際いろいろなパターンがあるんじゃないかな。

娘:うーん。けど、昔の人は妖怪を信じていたよね。

私:かなり本気で信じていた人は多かったと思うよ。文献があるし。

娘:いなくなったとしたら?

私:そういう説明もアリだけれど、そのころとは、信じる背景が変わってしまったと思うよ。

今は、妖怪より宇宙人を信じている人が多くなったみたいだね。将来は、また別物になったりして。

 

 

子どもとの会話 エロス神の降臨

(やれやれ、くそ面倒な思春期か、、)

娘:「エッチ」と「エロ」の違いって何?

私:エッチの元の由来は知らないけど、エロならわかるよ。元々、「エロス」っていう古代ギリシャの神様の名前だよ。

娘:その神様ってヤバくない?

私:ってどんな神様想像してるんだか。理想、真理、美とかに憧れ、近づこうとする強い気持ち、つまりこれこそピュアな愛とされていたのだけれど、この気持ちを具現化した神様なんだ。

昔、ギリシャのアテナイという国で、この神様について議論をしあった記録も残されているよ(実際は、ほぼプラトンの創作で「饗宴」と記されているもの)。なんなら、うちにもこの記録があるから後で見せてあげてもいい。

娘:へー、今とずいぶん意味が違ってるね。

私:このころにくらべ、人類はずいぶん知的に退化したからね。

(補足)

最近、ほぼ最高度な学歴を有し、かつ、民間人としてほぼ最高度な社会的地位を有する日本人(立派な学歴の衆議院議員)が、こともあろうに、北方領土を公の立場で訪問中、夜中にこの神様(かなり劣化してる)に取り憑かれ「性的買い物」に行くと騒いだ事例がある(世界の注目)。古典的教養の重要性がよくわかる例。

 

 

 

山頭火と、存在と時間

山頭火お決まりの、ぼそっとした句の一つとして、「まっすぐな道でさみしい」。

なんだか、分かる、としても鋭い解釈もありそうだ。

「なるほど!」と、川上未映子のエッセイで知ったので書いておきたい。

そこで何が起きようが、だれが何をしようが、永続的に刻々と、冷徹に流れていく時間を「まっすぐな道」と考えればよいのだろう。

人の生は、後ろのどこかでなんとなく始まり、その死はその先にある。

ゴチャゴチャした日常にとらわれていると、そんな事実はかすんでしまうが、視界を超えるほど先のある道に出くわすと根源的なさびしさが沸き起こる。いつか自分はこの道を下りるが、道はでもずっとある。

M.ハイデッガーの存在と時間/Sein und Zeit この題名を思い出した。

書評1 子どもの読書 「ソフィーの世界」

就寝前のひとときに読ませているもの。北欧の10代の女の子が主人公で、日常の謎めいた出来事から、何と!西洋哲学史の全貌が語られていく。
この本は、相当なボリュームではある。でも、それなりに子どもを意識した語り口であり、食いつきは悪くない。なんとか、読破させてやりたく思っている。
今のうち、これだけの一貫したストーリーを読んでおくなら、本について恐いものなしにもなることだろう。
こっちも付き合いで、拾い読みしかしていなかった、B.ラッセルの「西洋哲学史」をもう少し真面目に読むことにした。「ソフィーの世界」に、エピソードとか、解説を付けるうえで役立つこともあるだろう。
余談だが、今日トイレで読んだ部分は、ローマ帝国の崩壊のあたり。これ、他人事ではないよ、まだ、アメリカの政府機関の多くの部分が停止したままだろう。アメリカ中心の秩序が、少しづつ崩壊に向きつつある。こんなときだから、しっかり考える習慣を鍛える。それは多分変化に適応するうえで有効だ。

子どもとの会話 論理階系をずらす

(久しぶりにシリーズ再会)
娘:おとーさん、超能力を一つ使えるようになるとしたら、どんな超能力がいい?
やれやれ、”斉木楠雄のΨ難”見すぎだよ
私:超能力を無効化する超能力!
娘:こわっ!
ところで、
新聞で読んだ。天才少年が人工知能の開発に関わる話だ。
人工知能が、天才が関わらなくてもより高度化していく傾向に変わりはない。
産業的利権が関わっているからだ。
”天才”と呼ばれる人たちは、これを加速するだけである。
単純にいえば、できなかったことを、できるようにしていく。より早く、できるようにしていく。
で、その先に、何があるか?
こういった月並みな”天才”、というのも変だが、もっと面白い天才が現れないかな?
人工知能・AIの効果を無効化する天才とか。
とてもイメージできないが、だから本当の天才なんだ。
PS:先の私の答えは、あとで考えてみたところ、藤崎竜の封神演義、老子のパオペエがネタ元だったかも。

A.E.ハウスマンの詩集 シュロップシャーの若者 から

秋が深まってきたので、しっとりと心に沁みる詩をご紹介したい。
...
From far,from eve and morning
And yon twelve-winded sky,
The stuff of life to knit me
Blew hither; here am I.
...
Now-for a breath I tarry
Nor yet disperse apart-
Take my hand quick and tell me,
What have you in your heart.
...
Speak now,and I will answer;
How shall I help you,say;
Ere to the wind's twelve quarters
I take my endless way.
...
私なりに解釈すれば、
wind's twelve quarters、/この十二方位の風とは神秘的だが、神様ではない。
一時も休まず変化を続ける宇宙の原理の描写だ。この風が万物を織りなしている。
東洋の思想として、一番近いものは、「造化」だろう。
そして、私たちの心ある出会いは、その中の一期一会である。
...
このような訳がある。
遥か彼方から、夕べの方、朝の方から
 十二方位の風ふきめぐらす彼方の空から、
私を織りなす生命のもとが、
 ここへ吹き寄せた、私は今、ここにある。
...
さあ-----一息の間、私はとどまる
 まだちりぢりにならずに----
疾く私の手をとり語りたまえ、
 君の心のうちを。
...
さあ話したまえ、私が答えよう、
 君の助けとなるように、さあ、
風の吹きめぐりゆく十二の方位へ
 果てしない道へ私が旅立たぬまに。
...
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小尾芙佐他訳
風の十二方位 早川書房刊
アーシュラ・ル・グインの小説集冒頭から

アニミズムについて その1 ぬいぐるみと刀剣

子連れで女子高の文化祭に行ったりする。ゲームの企画があったりすると、その景品としてやたらにぬいぐるみが多かったりする。
子ども的には、うれしいものだが、親的には、続々増加するので勘弁、という気持ちもある。
おまけに、アニメの「トイストーリー」、このせいでどれだけ人型・動物型玩具のリサイクルが推進されたのだろう。
馴染みのぬいぐるみを捨てるに忍びず、せめて景品として新しい持ち主にもらってもらう、この乙女心は理解可能だ。
命のない物体に命や精神性を感じる、これがアニミズム。
一方で、個々の刀剣の精神性に魅入られるおじさんもいる。
これもアニミズムの範疇だと思う。
アニミズムは、人とその文化を深く理解するためのキーワードだ。
こんなわけで、この概念を掘り下げてみよう。

多言語の学び方 その2 英語の偏重

司馬遼太郎の受け売りだが、福沢諭吉は、英語の必要性を自覚し、「英語が少しできる」幕臣のもとへ、その出勤前の時間に教えを受けるため、夜明け前、文字通りの野原であった秋葉原を駆け抜け通い続けたという。
西南戦争に参加した薩摩の若者たちは、自らの命とともに英単語帳も散らして死んでいった。
そして、明治維新から150年。
昨日の日経新聞には、3割の公立小学校で、英語授業を2020年度の本格導入前に増やしているとされる。
このように、今でも、数ある外国語の中で、英語だけが突出した重要視をされている。
これからの社会は、そこまで英語中心になっていくのだろうか?
実利的にも根拠はあるのか?
東京23区に入ると外国語の会話を聞く機会の多さに驚くが、中国語の割合は英語を凌駕していると実感する。
それは、経済のデータにも合致する。
どこの国が好きかって?そんな問題ではないだろう。
薩摩の若者は、その志のための必要性として英語を学んだはずだ。
ドライに語学は手段と考えるならば、外国語学習は、もっと多様な選択があった方がいい。その方が、国益にもかなうと感じる。
ついでに、小学生の親として言おう。
最近の小学校はやること多すぎである。
自身のころと比べ、複雑で過密なスケジュールになっているようだ。
確かに、時代に合わせた課題があり、教育も対応する必要性があるとしても、これが累積していくのではないか。
国語力の低下が深刻、といった話は新しいが、すると”試み”が始まるだろう。
単純にいえば、足し算ばかりで、引き算をしない。
教師は疲弊し、親も巻き込まれる、、、
長くなるので、今日はこのへんで。



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