思想

永遠性あるいは「SURF BREAK FROM JAMAICA」

最近、寝る前に、「SURF BREAK FROM JAMAICA 」を子どもと聴いている。
これCDなのだけど、昭和の時代はレコードだった。それも昭和の盛りの70年代。音楽というよりほぼ自然の波音なのだけど、いまだに一つのアルバムとして現役の音源としてある。

まったりと眠気を誘うものとはいえ、寝れないでいると、最後まで聴くことになる。最後のころになると、ウクレレの演奏が控えめに入るのでそろそろと分かるのだが、最後にブツっと切れた。何事?と思ったら、、

気づいた。

この場所の波の音は、今も続いているわけだ。なので、録音は、まさに人為的に切るしかない。

ジャマイカのとある海岸でまだ、サーフブレイクが継続中なのだから。

通常、人間の音楽は、それらしく終わりました!って終わるけれども、波音はこの世の終わりまで終わらない。

不自然に音が途切れたことで、永遠の切れ端を感じることができたってわけ。

 

 

 

 

子どもと学ぶおとなの日本史 その2 縄文と弥生

小学校の日本史の時代区分として、新石器時代といった表現はなく、縄文時代である。

ここまでが狩猟採集中心の時代で、弥生から農耕の時代、それはより大きく社会が統合されていく時代となる。

そして、弥生の末期には、あの卑弥呼が登場し、彼女が日本史にほぼ初めて登場する個人であるがここから文字の記録のある歴史が始まる。

しかし、この時代の変化は、日本列島の隅から隅まで年号が変わるようにある日を境に時代区分が変わったというのではなく、より弥生的な生活をしている地域もあれば、より縄文的な生活をしている地域もあり、相当長くこれが混然としていたというべきだろう。

ところで、教科書に紹介される双方の遺跡としては、縄文の三内丸山、弥生の吉野ケ里がある。どちらも一見似たようなものだが、3000年以上の時間差がある。

一方、昭和だ、平成だ、令和だとかそんなチマチマした歴史区分が当然となったのは、ごくごく最近のことだ。つまり、一口に日本史といってもかなり質の異なる区分を、当然に、連続的に扱うことには、本来無理があるとも思う。

また、縄文、弥生の間には、もちろん米作りに代表されるような文化の違いがあるとしても、その主体の人たちには人種的な違いさえあったことをわきまえるべきだ。歴史的には、遠い話のようだが、形質人類学の視点からすれば、縄文人も、弥生人もいまここにいる。たとえば、かく言う僕は、程度的にかなり縄文人である。

この観点を持つか持たないか、これによって歴史観も違ってくる。

子どもと学ぶおとなの日本史 その1旧石器時代

新年の企画の始めてみたい。子どもと学ぶおとなの日本史としてみた。

子どもが学ぶ小学校の社会から、僕なりに考えたことを書いてみよう。

最初の時代区分は、旧石器時代。それは小学生的には、ナウマンゾウ、打製石器、オオツノジカ、マンモス、野尻湖、で学習内容が尽きてしまう。

しかし、、この時代は、人類史とつながっている。人類史は、生物としてのヒトの歴史とも言い換えることができる。それは、理系の歴史である。

日本史、この言葉にとらわれると大きなビジョンを見失ってしまうだろう。そもそも、日本列島すら形が出来上がっていない時代のことである。

人類史の視点からすれば、人名や政治権力の変遷が中心の文系の日本史は、長編小説の最後のページの一行のようなものだ。

思うのだけど、国家だ、民族だとかこだわるその前に、ヒトって何?生物として特別なことってあるの?

こんな問いからも歴史を語ってもいいんじゃない? と、提案する。加えていえば、地理や気候、植生は、この地域の人の歴史に無関係どころか基本の方向性を与えてきたはずだ。

ところで、ヒトが生物として特別なことがあるとすれば、意識化した歴史があるってことだろう。

逆説の社会史 その16 吉本興行と大学病院

今日も吉本興行の件が報道されている。今日は、弁護士の解説つきである。

基本的な次元でずれていると感じる。つまり、法律問題以前、前近代のしきたりから派生した問題なのでいきなり法律論から始まるのが変な感じなのだ。

当の芸人さん、テレビで親子がどうのこうのと話していた。そこからして、当事者の感覚では、雇用関係とか、業務を請負うとか、法律問題の話ではない。

芸人さんと社長がどんな関係で、どんなときその関係が断たれるか、公の社会の流儀なら契約問題なのだが、「古くからある部分社会の土俗的慣習」が優先するらしい。というか、当事者は法律とか外の世界とことと思っているのだろう。こういう場合、内の社会を「土俗部分社会」と僕は名づけたい。

芸人さんが弁護士を代理人として立てた、これは、「土俗的部分社会」を裏切ることなので、社長さんはさらに激怒する。わけだ。

その芸人さんが、「反社会勢力」と関係を持ったとしても、吉本興行自体、不文律の親分・子分関係で成り立っている。それは、古風な(正統な?)暴力団の仕組みとよく似ている。

なので、社長さん的には、社会から非難されたことよりも、「勝手によその組から”しのぎ”を得たこと」が怒りの理由ではなかろうか?

もちろん、ヤクザではないので、「指詰め」はない。でも、社長の一存で「破門」はあり。この「破門」の有効性 を法律用語であれこれ弁護士が語るのは(悪いけど、、)滑稽である。あえて、専門用語を使うなら民俗学方面が適当だろう。

でもでもでも、、、この会社は日本の娯楽文化の中枢を担っている、真実すごい会社なのだ。吉本の芸人さんの名前を一人も知らないのなら、社会生活にも支障があると思う。

さて、話題代わってもつながるのだが、大学病院で、無給で働く医師がたくさんいるそうだ。かつ、過労死ラインを前後する場合も。これは、無休オプションである。

好きでやるわけでなく、それをしないと不都合なことが大きいので、、それは医師法でも労働基準法でもなくたぶん、先の「土俗的部分社会」の流儀による。

マトモな教養のある西洋人なら、これを単純に「奴隷労働」と解釈すると思う。もう少し好意的にその文化を認めるなら「封建的徒弟制度」かな。

進学校が、医学部への進学率を競い合っている現状がある。そこは、人生の栄えある先?でも、その先にはこんな社会の異様な別枠がある。

日本の社会は、奥が深いね。日本は法治国家で、法律が定めたルール、価値観が当然に日本中にいきわたっている、わけでなく、ところどころ特段辺境でもない重要な場所であっても、ぽっかりと国家の定めた法の及ばない空間が散在している。

 

 

 

 

子どもとの会話 宇宙人の存在その2

私:で、チンパンジーは人とほとんど同じ、大腸菌だって結構ダブってる。DNAで見ればね。

娘:いきなり何の話なの?

私:宇宙人ネタの続きだよ。つまり、地球の生命って、そもそも元が同じで遺伝子の表現の仕方でこれだけ多様ってことだ。

とすると、地球外の生命は、「人」がどうだとかのレベルではなくて、ある意味大腸菌より別物、ということになる。知的生命体としても、「人」なんて”それを”とても呼べないだろ?

娘:まあね。理屈じゃそうだけど、結局知的生命体として、よその星に行けるくらいの文明を持つほどの生物なら人間型に”収斂”するって聞いたことあるよ。

私:収斂ってか?やるね。これもありってことで進めてみよう。

宇宙のどこかに地球と似た環境の星がある、、そして人類みたいなものが進化して宇宙に進出する文明レベルに到達する。

これだけ星があればね。確率的に認めよう。その意味で(形はこだわらないとして)宇宙人はいる、と認めよう。

娘:でしょ!

私:ついでに特別な科学力で、100億光年でも到達しうるとも仮定しよう。

ごめん、訂正を思いついた。さっきの話、正確には、「いる」というより、「いた」とか、「これからいる」、だけど。

娘:一体何を考えてるの、ブキミよ、その言い方。

私:ごめんな。お互いに接触できるほど、文明って長続きするのかってことだ。

宇宙レベルの時間感覚でいえば、今の人類史なんて一瞬のキラッの1万分の一だよ。

この人類を基準にすれば、核兵器増えまくり、環境汚染深刻、ホーキンス先生はAIが人類滅ぼすと言ってたし、文明存続のネガティブ情報が増え続けてる。そう考えると、お互いに確率的に同時に存在できないため、別な人類=宇宙人に出会える可能性はまずない。

 

 

 

子どもとの会話 宇宙人の存在

娘:宇宙人っていると思う?

私:そこなんだ、この場合の「人」ってどんなものが人なんだい?

娘:またきた、ほんと素直じゃないね。

私:最初が肝心だ。言葉で答えてくれたまえ。人といえるのはどんなもの?

娘:言葉を話して、、、立ってあるいて、、

私:妖怪みたいなのでもいいのかね?

娘:そう言われると困るなー。でも、今っぽい服とか、未来っぽい服着てたら人でしょ。

私:昔の絵に描かれた妖怪だって、今は普通の服を着てるかも知れないよ。宇宙服みたいなファッションが好きなのもいるかも。

妖怪ウォッチには、ほぼ宇宙人のイメージの妖怪も出てるぞ。

娘:でもやっぱ、宇宙人の方が、妖怪よりリアルなものでしょ。そうそう、科学的な。

私:こんな説明はどうだい?昔の人は妖怪をリアルに感じていた。今ほど、科学が発達していなかったから。今の人たちは、科学を信じているので、妖怪はリアルでなくなり、その代わり宇宙人がリアルになった。

結局、たとえ同じものであっても、その時代背景によって、妖怪と解釈されたり、宇宙人と解釈されたりしうる。

 

子どもとの会話 妖怪の存在

娘:妖怪っているの?

私:うちの、かまちゃんやかぶちゃんみたいには「いない」ね。

(うちで飼っている虫たちのこと)

娘:もし見たら信じる?

私:見るだけで「いる」ことになるのか?

娘:確かに、それだけじゃね、、。

私:そうなんだ、「いる」とか、「ある」ってことどうやったら確実にできるのだろうね。

いや、「いる」とか、「ある」 って実際いろいろなパターンがあるんじゃないかな。

娘:うーん。けど、昔の人は妖怪を信じていたよね。

私:かなり本気で信じていた人は多かったと思うよ。文献があるし。

娘:いなくなったとしたら?

私:そういう説明もアリだけれど、そのころとは、信じる背景が変わってしまったと思うよ。

今は、妖怪より宇宙人を信じている人が多くなったみたいだね。将来は、また別物になったりして。

 

 

子どもとの会話 エロス神の降臨

(やれやれ、くそ面倒な思春期か、、)

娘:「エッチ」と「エロ」の違いって何?

私:エッチの元の由来は知らないけど、エロならわかるよ。元々、「エロス」っていう古代ギリシャの神様の名前だよ。

娘:その神様ってヤバくない?

私:ってどんな神様想像してるんだか。理想、真理、美とかに憧れ、近づこうとする強い気持ち、つまりこれこそピュアな愛とされていたのだけれど、この気持ちを具現化した神様なんだ。

昔、ギリシャのアテナイという国で、この神様について議論をしあった記録も残されているよ(実際は、ほぼプラトンの創作で「饗宴」と記されているもの)。なんなら、うちにもこの記録があるから後で見せてあげてもいい。

娘:へー、今とずいぶん意味が違ってるね。

私:このころにくらべ、人類はずいぶん知的に退化したからね。

(補足)

最近、ほぼ最高度な学歴を有し、かつ、民間人としてほぼ最高度な社会的地位を有する日本人(立派な学歴の衆議院議員)が、こともあろうに、北方領土を公の立場で訪問中、夜中にこの神様(かなり劣化してる)に取り憑かれ「性的買い物」に行くと騒いだ事例がある(世界の注目)。古典的教養の重要性がよくわかる例。

 

 

 

山頭火と、存在と時間

山頭火お決まりの、ぼそっとした句の一つとして、「まっすぐな道でさみしい」。

なんだか、分かる、としても鋭い解釈もありそうだ。

「なるほど!」と、川上未映子のエッセイで知ったので書いておきたい。

そこで何が起きようが、だれが何をしようが、永続的に刻々と、冷徹に流れていく時間を「まっすぐな道」と考えればよいのだろう。

人の生は、後ろのどこかでなんとなく始まり、その死はその先にある。

ゴチャゴチャした日常にとらわれていると、そんな事実はかすんでしまうが、視界を超えるほど先のある道に出くわすと根源的なさびしさが沸き起こる。いつか自分はこの道を下りるが、道はでもずっとある。

M.ハイデッガーの存在と時間/Sein und Zeit この題名を思い出した。

書評1 子どもの読書 「ソフィーの世界」

就寝前のひとときに読ませているもの。北欧の10代の女の子が主人公で、日常の謎めいた出来事から、何と!西洋哲学史の全貌が語られていく。
この本は、相当なボリュームではある。でも、それなりに子どもを意識した語り口であり、食いつきは悪くない。なんとか、読破させてやりたく思っている。
今のうち、これだけの一貫したストーリーを読んでおくなら、本について恐いものなしにもなることだろう。
こっちも付き合いで、拾い読みしかしていなかった、B.ラッセルの「西洋哲学史」をもう少し真面目に読むことにした。「ソフィーの世界」に、エピソードとか、解説を付けるうえで役立つこともあるだろう。
余談だが、今日トイレで読んだ部分は、ローマ帝国の崩壊のあたり。これ、他人事ではないよ、まだ、アメリカの政府機関の多くの部分が停止したままだろう。アメリカ中心の秩序が、少しづつ崩壊に向きつつある。こんなときだから、しっかり考える習慣を鍛える。それは多分変化に適応するうえで有効だ。

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