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2020年1月

子どもと学ぶおとなの日本史 その2 縄文と弥生

小学校の日本史の時代区分として、新石器時代といった表現はなく、縄文時代である。

ここまでが狩猟採集中心の時代で、弥生から農耕の時代、それはより大きく社会が統合されていく時代となる。

そして、弥生の末期には、あの卑弥呼が登場し、彼女が日本史にほぼ初めて登場する個人であるがここから文字の記録のある歴史が始まる。

しかし、この時代の変化は、日本列島の隅から隅まで年号が変わるようにある日を境に時代区分が変わったというのではなく、より弥生的な生活をしている地域もあれば、より縄文的な生活をしている地域もあり、相当長くこれが混然としていたというべきだろう。

ところで、教科書に紹介される双方の遺跡としては、縄文の三内丸山、弥生の吉野ケ里がある。どちらも一見似たようなものだが、3000年以上の時間差がある。

一方、昭和だ、平成だ、令和だとかそんなチマチマした歴史区分が当然となったのは、ごくごく最近のことだ。つまり、一口に日本史といってもかなり質の異なる区分を、当然に、連続的に扱うことには、本来無理があるとも思う。

また、縄文、弥生の間には、もちろん米作りに代表されるような文化の違いがあるとしても、その主体の人たちには人種的な違いさえあったことをわきまえるべきだ。歴史的には、遠い話のようだが、形質人類学の視点からすれば、縄文人も、弥生人もいまここにいる。たとえば、かく言う僕は、程度的にかなり縄文人である。

この観点を持つか持たないか、これによって歴史観も違ってくる。

子どもと学ぶおとなの日本史 その1旧石器時代

新年の企画の始めてみたい。子どもと学ぶおとなの日本史としてみた。

子どもが学ぶ小学校の社会から、僕なりに考えたことを書いてみよう。

最初の時代区分は、旧石器時代。それは小学生的には、ナウマンゾウ、打製石器、オオツノジカ、マンモス、野尻湖、で学習内容が尽きてしまう。

しかし、、この時代は、人類史とつながっている。人類史は、生物としてのヒトの歴史とも言い換えることができる。それは、理系の歴史である。

日本史、この言葉にとらわれると大きなビジョンを見失ってしまうだろう。そもそも、日本列島すら形が出来上がっていない時代のことである。

人類史の視点からすれば、人名や政治権力の変遷が中心の文系の日本史は、長編小説の最後のページの一行のようなものだ。

思うのだけど、国家だ、民族だとかこだわるその前に、ヒトって何?生物として特別なことってあるの?

こんな問いからも歴史を語ってもいいんじゃない? と、提案する。加えていえば、地理や気候、植生は、この地域の人の歴史に無関係どころか基本の方向性を与えてきたはずだ。

ところで、ヒトが生物として特別なことがあるとすれば、意識化した歴史があるってことだろう。

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