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イヤフォンする人、しない人 知覚の統合性について

スマホの普及がそうさせているのだろうけど、少し書いておきたい。

街中でイアフォンを聴く、すると聴覚だけ別な世界に分離する。BGM的に整合することもありうるけど、場違いな知覚を気にする人、気にしない人がいるはずだ。

一つの例。

アイリッシュ・ダンスを習っていた仲間のことだ。この、アイリッシュ・ダンス に重要なことは、ダンス曲の種類に応じたリズムの感覚を体に取り込むことである。彼女は、とにかく音楽を聴こうと思い立ち通勤時間を活用しようとした。そこでイヤフォンである。

ところが、「気持ち悪くて、挫折」ってことになったそうだ。思うにダンサーは、音楽と身体感覚の統合が大切だ。それは、通勤電車の環境とダンス曲との整合性にも関係あるのだろう。

で、気持ち悪い、と感じたと思う。

もう一つ。

ある企画で、出版社の人、写真家とスコットランドの壮大な渓谷をドライブしたときのことだ。

出版社の人は、電子音楽系のCDをかけ続けていたが、あとから写真家の先生が苦言を僕に述べていたことを思い出す。「あの景色の中で、あの種の音楽普通聴くか?変だろ!」

という具合に、その人の感受性が知覚の統合性を求める場合がある。

この違いは、個人の性格特性に関わっていると思う。また気にしない人は増えているだろう。それがその人の生き方や社会の在り方にどんな影響を与えるのだろうか?と僕は関心を持っている。

どなたか、心理学系の研究題材にしてくれないかな。「知覚の統合度と人格特性の関連について」とか。

 

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