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2019年5月

山頭火と、存在と時間

山頭火お決まりの、ぼそっとした句の一つとして、「まっすぐな道でさみしい」。

なんだか、分かる、としても鋭い解釈もありそうだ。

「なるほど!」と、川上未映子のエッセイで知ったので書いておきたい。

そこで何が起きようが、だれが何をしようが、永続的に刻々と、冷徹に流れていく時間を「まっすぐな道」と考えればよいのだろう。

人の生は、後ろのどこかでなんとなく始まり、その死はその先にある。

ゴチャゴチャした日常にとらわれていると、そんな事実はかすんでしまうが、視界を超えるほど先のある道に出くわすと根源的なさびしさが沸き起こる。いつか自分はこの道を下りるが、道はでもずっとある。

M.ハイデッガーの存在と時間/Sein und Zeit この題名を思い出した。

幼児の経験世界 園庭とお散歩

あの事件、以後保育園の子どもたちのお散歩中の安全に関心が高まっている。

当然、その安全性についてである。より実効的な安全性の確保が必要であることは当然として、この場では、お散歩の意義について書いてみたい。

自身の例から述べると、子どもに決まった保育園が園庭なしであったことは、がっかりであったが、その分積極的に外に連れ出すと聞き、その配慮に安心はできた。

幼児が遊ぶ公園って、規模が全く問題がない。なので、天気が良ければ、大小さまざまな公園にツアー旅行のようなものである。

また、行きつくまでの過程も、この”世界”にすれていない子どもたちにとっては、心躍る新鮮な経験の場である。この経験は、担当者の適切な方向づけがあればさらに充実したものになる。

その裏付けといえば、メモがあるからである。できるだけ子どものエピソード(保育園からの連絡も含め)、子どもが語ることを記録してきたが、はっとする記録の多くのうち、保育園の外で体験したものの割合はかなり大きいと今更に納得した。

幼児の経験からの視点でいえば、遊具が充実していればよい、というわけでなく、つまり、そのような場所に交通量の多い交差点をいくつも超えていかなくても、雑草の茂る草地程度であっても、子どもにとっては神秘と驚異にみちたドラマの場でありうる。

トコトコとテントウムシさんが、子どもの小さな指先を駆け上がり、天道虫の名前そのままに、薄い飛翔用の羽をカッと開いて天空に飛び立つさまに歓声が応えるなら、子どもたちに貴重な子ども時代の体験を加えることになるだろう。

「つぐみの想像の中ではこの小さな漁師町は無限の世界であり、砂のひとつぶも神秘のかけらだった。」

吉本ばなな TUGUMI から

 

 

 

PTAと日本の社会、ボランティアの本当の意味

朝からメールが携帯電話に入る。その趣旨は、「明日、子どもにPTA会費を持たせるべし」。

もちろん、持たせる。が、支払を怠ったとしてもPTAから退会を強いられることはない。というか、任意団体という発想が欠落している。

新学年が始まると、子どもがPTA役務の申し込み用紙を持ってくる。通年のPTAの役職、これは6年間に一度が「義務」とされ、毎年就く必要がないものの、より軽微な役務として、子どもの農作業を手伝えとか、盆踊りを運営せよとか、その他学校間のイベントを手伝えとかである。

それらが、良いこととは理解している。つまり、しないより、した方が望ましいという意味で。しかし、人件費の予算、のような歯止めがない。

ここで、僕なりに信じる健康な見解を述べておきたい。

保護者が、子どもをきちんと学校に通わせ、狭義の勉強以外に、学校主体の運動会とか遠足とかにも保護者なりの関与をすることは義務である。

しかし、PTAがPTAの名のもとに行うオプション的な活動は、ボランティア活動である。

さて、、、ボランティアの意味なのだが、今の日本では、「タダ働き」の意味が前面にあるようだ。そこで、このサイトらしく語源を確認しよう。

その語源は、ラテン語のVolo~私は望む、である。つまり、自ら「それ、私やりますよ!」って気持ちが重要なのだ。

ところがPTAなどでは、極めて念入りに、全ての関係者に、有無を言わせず、できる限り均等に役務を割り振る仕組みが確立している。

これ自体、社会学の研究対象になりそうだが、それはさておき苦役の度合いが高まっていると思う。

PTA って、一見洋物だが、日本古来の村落共同体を基盤にしたものだろう。それは、等質な家庭の集まりを前提条件にしていた。また、戦後昭和の時期には、専業主婦の活躍も期待できた。

だからうまく動員できたのだが、共働きの家庭、一人親の家庭、日本的な暗黙の前提にうとい外国人の家庭なども昭和の時代に比べぐっと増えている。だからいつまでも昔ながらってわけにはいかない。

学校の教育現場も大変だ。いじめを根絶するために道徳教育、グローバル化だから英語教育、日本の伝統を見直す教育、地域とのつながりを深める活動、自然にもっと触れ合おう、、続々課題が増え、子どもたちのランドセルは重くなるばかり。PTAへの期待も大きくなる。

さてどうなるPTA。根本的な発想の転換が期待される。

おまけの話。以上に関連し、スマホの普及は、生活の利便性に貢献しているというより、より仕事を増やすことに活用されている。動員に便利だからね。

 

 

 

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