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2018年8月

ラテン語の世界 その39 モネータ 女神の警告

「モネータ 女神の警告」とは、日経の連載記事の題名である。
そこで、語源的に深堀りしてみた。
辞書で確認した情報をつなぎ合わせてみよう。
ローマ神話の最高神は、Juppiter/ユピテル(ジュピターは英語読み)。
その妻は、女神、Juno/ユーノー
これは推測だが、ユーノーの神様としての特性(ご利益)は、
警告する、予告するであったのだろう。
この意味のラテン語の動詞として、moneoがある。
そこで、彼女の別名は、Moneta。
なので、Juno Moneta とも称せられる。
この神様の神殿で、なぜか!?、貨幣の鋳造が併設された。
そこで、ラテン語のmonetaは、貨幣の意味になった(と思う)。
この言葉、素直に、英語のマネーにつながっている。
お金=money、今ではそれだけのことなのだが、その背景は意味深長。
ところで、あのリーマンショックから数年経った。
そろそろ、また何か起きるころじゃないか、、、。
日本の神社で、お金儲けに関わるご利益コンテンツはいろいろあるけれど、お金についての警告をしてくれる神社は聞いたことがない。
お金は儲ける、貯めるだけでなく、守る気遣いも必要と考えよう。
そもそも、お金の価値は、社会の仕組みが作っている。

中卒と中学受験 その1下克上

連想上のつながりを考えると、中学受験、下克上、ならば桜井信一氏。となる。
彼の著作を読むと(まだ一冊目だが)、「中卒の私でも、、」といった表現がたびたびあったりする。
彼のいう下克上とは、「中卒の親の子が、有名大卒になる」といった意味なのだろう。
つまり、学歴による身分格差を想定している。
もちろんそれは、暗黙の社会の制度を前提としている。この場合、それなりに安定した”制度”がなければ、序列もつかない。
ここが重要なところだが、戦国時代は下克上の時代であった、といっても、身分の上下変化が流動的になったということで、身分の序列制度自体が壊れたわけではない。
しかし、この先、”制度”自体があやふやになっていくのでは、とも感じる。そもそもこの制度は、なんとなく社会の成員が共同で作り上げた”イメージ”なのだから。戦国時代なら由緒ある律令制が存続していたわけだが、、、。
皆さんはどう思う?
道路工事とか現場仕事は机の上でできる仕事より”格下”なのか?
作業着姿は、スーツ姿よりカッコ悪いのか?
思うのは勝手だが、賃金格差が無い、いや前者の方が高い、ともなればこのイメージは、存続できるのだろうか?
いわゆる、AIは、後者を不利にしていくことだろう。

カトリックとその問題について その1報道

つまり、ペンシルバニアの司法当局が、少なくとも300人の聖職者が、千人以上の未成年者性的虐待をし、かつ組織的隠ぺいを図ったと発表した件について。
単純にいえば、悪事は見過ごされてはならない。裁かれるべきは裁かれなければならない。
それはそうだ。
とはいえ、前触れは数々あったが、不穏な先行きを感じる。
今後、世界中の多くの人々を精神的に束ねてきたこの巨大な組織の権威が大きく失墜していく。そして、世界はより混沌として、極端な思想が無謀な政治行動を誘発していくように感じる。
私、非信者的な視点からみたカトリックはこんなものだ。
①世界が共産主義と資本主義に分裂したときの思想的緩衝帯であった。
(金持ちのプロテスタントに比べ、基本的に貧者の宗教であったからである。)
②アメリカ社会にあっては、民族的少数派の社会的なシェルターの役割を果たしてきた。
(アイルランド系、イタリア系、ヒスパニック系などマイノリティー層と密接である。)
カトリックといえば、こんなエピソードがある。ローマ法皇が、就任後間もなくのトランプ大統領に忠告した。「人の間に壁を作ろうとする者はキリスト教徒ではない」。とか。
この発言は、キリスト教徒破門宣告みたいなものだが、(とりあえずプロテスタントとはいえ)トランプは全く意に介さなかった。この点、世界史で習った「カノッサの屈辱」を思い出してみよう。
この件の報道があったとき、時勢的に、教会の力もずいぶん落ちたものだと感じたが、今回の件では、内部崩壊的な問題が顕在化した。
今後の問題は、カトリックが力を失った空白をどんな類の集団の力が埋めていくのか、それとも真空地帯ができてしまうかだ。
以下余談である。
進歩的な人々、この場合性的マイノリティーの権利向上に熱心な人たちの意味であるが、この進歩派にとってカトリックは遅れた古臭い勢力であった。
ところが、カトリックの聖職者の中には、相当な割合で性的マイノリティーが存在することが顕在化した。問題はその「質」なのだが。

奄美紀行 その7 地域の生活に触れる

非日常の体験、それが観光旅行というものだが、”別な日常”を体験してみることもまた楽しい。微妙な違いを通じて地元の生活を体験できる。
例えば、スーパーマーケット、そこは日常が集約されている場所だ。
入口には、大きなサボテンが実をつけていた。
これも奄美の日常である。
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この実は、れっきとしたくだもの=ドラゴンフルーツである。当然、ドラゴンフルーツは、”普通の”くだものとして販売されている。興味のある方は、賞味の後、黒いツブツブ、つまり種を持ち帰り、撒いてみたら?
なんと、双葉が生え(サボテンは双子葉植物である)、中心からサボテンがニョキっと出ることだろう。

奄美大島にも、動物園がある。

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このスーパーの脇である。そのネーミングとロゴのすばらしさ!中には、ヤギさんとか、ウサギさんなどがいる。

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ただの食パン、、だがカワイイ。

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海産物コーナーは、地域性が発揮される場所だ。「地もの」だけではないが、味噌の使い方にも注目したい。写真にはないが、甘口の醤油も地域性がある。一本買って帰れば、奄美風の一味違った(文字通り!)活用法が長く楽しめることだろう。

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これは(私的には現地ならではの酒類もだが)!絶対のお勧めである。ミキ、この伝統的な乳酸飲料を飲まないで奄美を知ったとはいえまい。夕暮れの浜辺でたしなむのはいかが?ミキ=お神酒と解すれば、日本の原風景に触れることにもなろう。
皆さんが、いつか奄美を訪れることがありますように!
IMORE、AMAMI。

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