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2018年6月

ラテン語の世界 その38 バスの語源

なぜ、バス(自動車のbus)は、バスなのか?
これも、ラテン語の問題になる。ローマ帝国にバスは走っていなかったので、直接ではないけれど。
omunia、この言葉、万物、全ての人の意味なのだが、ラテン語の場合変化形が多様なので、この言葉だけでも、20パターンの活用形(重複あり)がある。
その一つが、omnibus(オムニブス)、英語なまりであるとオムニバスと発音される。omnibusは、全てのもの(者)に、って意味だ。
オムニバスは、CDとか全作品を編集したものの意味として使われるが、全ての、の意味がつながっている。
で、バスってつまり、この言葉の最後のbusが残ったものなのだ。たしかに、公共交通機関であるバスはそうでなくてはならない。
乗合バスとかで、運転手の方が、車椅子の乗客を援助する様子は、この言葉に即している。バス会社の経営理念もそうであるべきである。
しかし、語尾の三文字が残ってバス、とはホントか?という疑念もあるだろう。
と、僕も少し感じていたが、最近、こんな言葉を発見した。
omnibus=乗合自動車、バス、これはスペイン語である。
ただし、スペイン語といっても、通常は、autobusがバスの意味で使われる。omnibusは中南米の地域限定の表現である。
推測であるけれど、スペイン本土から遠く離れているので、古風な表現が残り得たのではないかな?
以上、マニアックな話なのだけど、語源をたどると時代を超えた重要な意味があるということ、この例でいえば、乗合バスの公共性に行きつく。これが伝えたいことなのだ。

占いについて その4 占いとは、そして占いの未来の占い

シンプルに考えて、「将来を予測すること」。
では、気象予報士の天気予報とか、遺伝子解析による将来の疾病確率の推定とか、どうなるんだ?
”今では”占いの範疇ではない。理由は単純だ。科学の進歩の結果である、と社会的合意があるから。詳しい仕組みについてはほとんどの人は知らないけど。この点は、占いと大して変わらない。
でも、とりあえず占いとは別枠になる。
では、この先、人工知能の開発が進むと、占い業界は危機になるのだろうか。たとえば、カップルそれぞれのデータを解析し、離婚確率、幸福度の長期変化予測なんてもなされ得るようにもなるだろう。
しかし、僕の予測では、占い業界は安泰である。
社会史的に、20世紀においては、占いとか呪術の類は、科学がそれらを排除していくことが当然とされていた(啓蒙思想)。しかし、21世紀では、むしろ花盛り。インターネット上の占いサービスは、対面型のサービスの限界を超えたアクセスを提供している。また、聞いたこともない占いの開発も進んでいるからだ。
ただし、より人を引き付けるためのマーケティングが人工知能の応用としてなされうるとも思う。
この先、AIが多くの職域を奪っていくことが予測されているが、人類史的に占い師は最古の職業の一つである。結構いけるのでは。
電脳占い師(初音ミクみたいな)ものはありうるけれど、、、。
もうあるのかな。

アニミズムについて その1 ぬいぐるみと刀剣

子連れで女子高の文化祭に行ったりする。ゲームの企画があったりすると、その景品としてやたらにぬいぐるみが多かったりする。
子ども的には、うれしいものだが、親的には、続々増加するので勘弁、という気持ちもある。
おまけに、アニメの「トイストーリー」、このせいでどれだけ人型・動物型玩具のリサイクルが推進されたのだろう。
馴染みのぬいぐるみを捨てるに忍びず、せめて景品として新しい持ち主にもらってもらう、この乙女心は理解可能だ。
命のない物体に命や精神性を感じる、これがアニミズム。
一方で、個々の刀剣の精神性に魅入られるおじさんもいる。
これもアニミズムの範疇だと思う。
アニミズムは、人とその文化を深く理解するためのキーワードだ。
こんなわけで、この概念を掘り下げてみよう。

子どもの自然体験 その2 学校で川に行く

つまり、アクティブラーンニングってやつ。本来子どもってこういうこと自発的にやってるものだが、最近では学校先導となっているわけ。
川辺で網をガサガサ入れることも課題なので、それなりに所定の準備もする。加えて、川辺の生き物につき予習もする。魚の種類、鳥の種類(留鳥、渡り鳥の区別も含め)など。
とはいえ、大したものは採集できないだろう。すでにうちでは実践済みである。護岸工事が行き届き、川もできるだけまっすぐ流れるように造作されているので、多様な生物が生息する環境が損なわれているからだ。川エビ、ヤゴ、稚魚くらいか。
ただ、稚魚については、面白いエピソードがある。この時期、正体不明、最大2㎝くらいの稚魚が採れたりするが、実際育ててみたところ、鯉だった。10㎝を超えたあたりで、子連れで川に戻してやった。子どもは、この鯉に出会うことを楽しみに登校して行った。
再会できたらファンタジーだけど。

新幹線内殺傷事件について

憎悪の気持ちはわかるけど、「コイツ」の名を語るのは、よしておこう。それが「コイツ」の望んだことだから。
代わりに、特段の敬意をもって梅田耕太郎さんの名を心に深く留めておこう。
そして、できることなら、少しばかりの勇気を持って、普段は躊躇してしまう世の中によいことを実践してみよう。
それがみなさんができる梅田さんへの供養だと思う。

占いについて その3 手相

うちの子がワンコイン手相占いをしてもらったところ、「徳川家康と同じ特徴があります。波乱万丈の人生となることでしょう。」となった。
解釈論的に、ずいぶん飛躍があるとしても、何らかの内面的なものが”手のしわ”に反映されると考える余地はあろう。というのは、手は最も複雑な動作をする部位なので、その人なりの特性がしわの痕跡として残る可能性があるからだ。
また、それなりの神秘的な解釈論があるとししても、知識の裏付けに依った判断なので、占いとしてはある意味「客観的」なのかもしれない。この点、その一時だけに表現されたカードの構成や霊感とかに頼る占いとは異質に感じる。
手相の傾向を数値化し、性格テストとの結果を統計的に検証するならば、立派な科学論文にはなりうる。
 ついでに、神秘主義一般について述べておこう。人生とその運命とか、マクロなものが、手のひらなどミクロなものに集約されて反映されているといった発想は神秘主義一般にみられる傾向である。

結愛さんの事件について

彼女は、胸のふさがるような、切実な言葉を書き残して殺されていった。数年前、大阪で、部屋に閉じ込められて餓死させられた幼い兄弟がいた。どちらも虐待死の事件であるが、質の異なる点に気を付けてみたい。
ネグレクト、放置されている子どもたちは、面倒な「物体」のような扱いを受けているので、概して言葉の発達が遅れている。それでも、なんとか切実に「ママ」位の言葉を話す。生き延びる最後の手がかりのようなものだ。
今回の事件で、おどろくことは、結愛さんの言語能力である。このおかげで、社会は、彼女のメッセージを受け取ることができた。しかし、両親には、”意味”が届いても、”気持ち”は伝わらなかった。この断絶が恐るべきことなのだと思う。
結愛さんの素養もあるのだろうが、(著しくバランスを欠いたものであっても)「教育熱心」な、家庭であったことが推測される。外面的にもとりあえず”普通”に見えそうだ。
結愛さんのメッセージの受け止め方を考えてみよう。まず両親を非難するのは当然としても、我が身を振り返ってみることも大切だ。
つまり、教育とかしつけの大義名分を掲げることにより、自身の暗黒面に気が付かなくなってはいないか?ということだ。
”暗黒面”とは、大げさかも知れないが、本当は自分自身の問題を子どもに投影しているような状況のことである。
僕自身の経験としても、子ども相手に思わずムキになって感情に振り回されるとうな場合、自分の子ども時代の経験に関連していると後から気づくことがある。

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