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2017年8月

暗殺者ディートリッヒと北朝鮮

あの件は、全面衝突もありうるし、その場合には日本も無事に済むわけはない。一応、物的、心理的に、できる人なら金融的にも準備が必要だろう。

一方で、意外にあっさり、例のあの人が内部で消される可能性もある。こういうことは、静かに水面下で進行するものだ。それはそれで、何が続いて起きるのか、って不安があるけど。内戦か?

ヒトラーの場合は爆発物との微妙な距離の問題で、軽傷で済んだ。歴史的悪運である。

極めて周到、緻密な計画だった。何しろ、ドイツ国防軍情報部のエリートたちが、関わっていたからだ。名付けて、ワルキューレ作戦。

そこに、ディートリッヒ、ディートリッヒ ボンへッファー/Dietrich Bonhoefferがいた。職業軍人ではない。秘めた志によって組織に迎えられた立場だ。

育ち的には貴公子、21歳で神学博士の学位を得た天才として知られ、現職の牧師であった。現代キリスト教神学入門 W.E.ホーダーン では、一つの章丸ごと彼に充てられているが、彼の思想的な大きさと解釈できるだろう。

彼の思想が、”神の死の神学”と表現されることもある。月並みな信仰の対象としての、神は、彼にとって死んでいたが、あくまで聖書に依拠しながら、彼は、信仰の表現を、生き方そのものに求めたと僕は感じる。この生き方とは、自らの処刑の受け入れ方も含む。

最近、彼の伝記を読んでいると、なんだか北朝鮮問題に目が跳んでしまった。”かもね”、って。

形はどうあれ、その日は来る。僕らも、その成り行きにより生き方の指針が問われるかも知れない。

三河紀行 その2 新種のミカワサンショウウオ

この発見は、今月のこと。国内にまだ未発見のサンショウウオなんているんですね。

新聞には、新城市とある。”市”といっても、広い。近年、山の深い鳳来町も合併している。とはいえ、奥三河の入り口にあたる地域。人里離れた山の中、みたいな地域ではない。

歴史的には、長篠の合戦で有名な場所だ。

ざくっと、里山中心の自然環境と考えてよいと思う。そこそこ人の生活圏と関わりながら、サンショウウオひっそり生き延びてきたのではないかな。

ところで、奥三河の里山なのだが、僕は、昔からこの地域の水辺の生き物に親しんできた。今年も2回、水辺に網を入れたが、このごろ生物相の変化が大きいと感じている。

もっと奥、設楽町の山間の田んぼなど、自然の沼地と化しつつある。で、そこには、イノシシの足跡が残されていたりする。

茂みから道路にひょっこりカモシカが顔を出しているのも見たぞ。カモシカとの遭遇なんて、下北半島の山の中で経験したことがあるけれど。

つまり、過疎化で、人の生活圏が縮小している。だがその分、自然が豊かになった、とはいえない。バランスが崩れているような印象を受ける。

僕の観察では、タイコウチやミズカマキリなど大型の水棲昆虫、サワガニが姿を消し、イモリがやたらと増えた。地元の人によれば、サワガニをイノシシが食べているとのこと。

一方、イモリは弱い毒があるので、食べられないのだろうか?

では、同じ両生類有尾目のサンショウウオはどうなのだろう。イモリにくらべ、ずっと繊細な印象があるけれど。かえって、競合に負けたりしないだろうか。

地域おこしとして、ご当地キャラもいいけれど、彼らは発見と同時に絶滅の恐れの状況だ。何より、適正な保護がなされることを望んでいる。

ラテン語の世界 その34 黒田龍之助先生

先生は、スラブ系の言語がご専門のようだが、日経夕刊の”プロムナード”の記事(8/22)でラテン語について書いている。

パスポート申請所の近くの書店は、外国語コーナーが充実しているわけだが、そこでラテン語参考書を立ち読みしている人を見かけた話。

最初は、おかしく感じたけれど、それもいいかも、と思い直したってオチだ。

ぼくも、思うに、ヨーロッパ旅行で、もうひと堀深く観たい、と感じるなら、ラテン語が役立つと思う。

そもそも、ヨーロッパ系の言語なら、大なり小なり関係があり、見知らぬ言葉でも推測がついたりする。

それに、歴史的建造物などに、とりわけ深い意味で彫り込まれた言葉は大概ラテン語だ。

そういえば、羽田空港のターミナルビルだったと思うけど、ラテン語の碑文を見たことがある。

この意味を何となく憶えている。「旅立つものに安全を、訪れる者に○○を」とか、なんとか。

これ、カッコイイと思いませんか?

お盆について その2 祖霊の訪問と疑問点

東京は、いわば移民の大集落みたいなものなので、新暦の7月のお盆もあるし、旧暦の8月のお盆もある。

今日の朝、出勤途中のとある家の門口に、ナスとキュウリの馬を見ることができた。この時期だから旧暦なのだが、この馬には蕎麦が乗せられていた。これは、僕の知らない風習だ。どこの地方の風習なのだろう。

さて、祖霊(精霊、しょうりょう)を迎える、送ることがお盆の本旨のようだが、どこから彼らは来るのか、この点は微妙である。というか、理屈では整理されていない。

家の仏壇は、ご先祖のお盆滞在施設なのか、だとしたら、留守である平時に、手を合わせているのは、意味がないのか?

墓って、何だ?ご先祖は普段ここにいて、お盆になると、元の家に戻るのか?

お盆になると、地底の地獄の釜の蓋が開く音がするって伝承がある。お気の毒に、ご先祖は普段地獄にいるのか?

そもそも、人を成仏させあの世に送ることが世俗的な仏教の本旨じゃないか?だったら、毎年お迎えするのは、成仏できていないってことか、これはお寺の怠慢じゃないか?

靖国神社に英霊として祀られている人は、お盆に際し、どんな具合にイメージしたらよいのか?神仏の二重の立場があるのか。

なんて具合に、素直になるほど、疑問が湧いてくる。この点は、素直に、真っすぐ日本の文化を理解しようとした、小泉八雲=ラフカディオ ハーンの著作にもある。

都民ファーストから日本ファーストへ

先月の都議選はスゴかった。老練というか老獪というかベテランの議員がボロボロ落ちて、いかにもナイーヴそうな新人に置き換わっていった。

その流れが、国政を担う新政党で日本ファースト。

都民→国民って素直な意味の拡大なら分かりやすいが、”日本”ときた。

これ極右のネーミングだろ、って多くの識者が言ってるそうだが、それならそれで一つの政治的立場である。

でも、本質的に倒錯的ではないだろうか。

日本が一番大切ってことを、”ファースト”なんて外国語を入れて表現しているからだ。

自国の言葉を大切にしないで、地域政党ならともかく、わざわざ外国語を国政を担う政党の名に含めるなんて国辱的に思う。これは、植民地の傀儡土着民の発想であろう。

この風潮まさに、憂国。こんなこと言う僕って極右?

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