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2017年4月

大人の魔法入門 その2 Spell/呪文を使う

正直、特定の言葉が、その意味を通じて自然界に直接作用する例を見たことがない。それは、まさに魔法であろう。けれど、こんなことがあった。

僕の仕事上、とある行政機関に申請をした。で、電話があった。つまり、申請は受け付けられないという件。

そこで、いろいろとやりとりをする中で、なら、法令根拠を示せと担当者。

では、と関連する民法の条文を伝えた。検討しますってことで、保留となったが、すぐにOKの連絡を受け、魔法のように申請の扉が開いた。

例外的な事案なので、当初当局は当惑したものの、このスペル(条文)を告げることで当局を動かすことができた。そもそも、公的な組織はスペルで動くものなのである。

焦点があいまいな事案なら、当局は対抗呪文=裁量権を使う例もあるけど。

よく、役所の窓口で感情的な大騒ぎしてる人がいるが、スペルを学ぶべきだと思う。

人の世の中、ある意味、言葉でできている。そのからくりの本質はロゴスと呼ばれている。

ロゴスには、宇宙の理法、って意味もあって、これは古代ギリシャ人の発案。

その直接の後継者たちは、天文学者や物理学者、数学者だ。それと占い師。

興味深いことに、ラテン語の数学者/mathematicusには、占星術師の意味もある。

小学生と道徳教育 基本的な共感性の視点から

土曜日に授業参観があった。「うちの子はマトモにやってるか?」ってそれは重点だが、環境を丸ごと見てみよう。

窓辺に植木鉢が二つ、そこに花が咲いている。とはいえ、どちらも水切れで瀕死の状態。私的には、悲鳴が聞こえそうだ。沈黙の命が、多くを語ることがある。

先生も大変だ。これだけの保護者の視線にさらされて、授業を行う重圧。

一方、この偏屈な保護者は、植物の悲鳴に気がついてしまった。

いまどきの小学校の重い課題は、道徳教育とか、いじめ対策だろう。どちらも微妙な価値観の調整がある。

社会規範をたたき込む方策もアリだが、形式的規範に言いなりになるだけでは、教育というより調教であろう。それに実質を求めるなら、思いやる感受性の問題になりはしないか?

例えば、子ども同士のからかいは、子どもの”自然”ではあるが、行き過ぎれば、心ない嫌がらせとなる。その一線を越えないために、相手の心情への感受性が必要だ。

そういえば、いまどきの小学校は、動物の飼育小屋が廃墟になってる例が多い。いろいろ管理上の問題もあろうが、惜しいことだと感じる。

個人的見解として、政治的主張を織り込んだ文系的教育論は、今話題のなんとか学園の例のように胡散臭く感じる。一方、”人間以外の命ある対象を適切に扱うことは、人の道徳性の涵養に関連性があるか”、と問うなら、これは科学の対象でもある。

そして、後日譚。

うちの子は、植物水やり係だった!

水やりといっても、屋外で管理している植物なので、分かっているけど、しなかった、、、、

で、泣きだした。規則と良心の狭間か。

「いいことは、気持ちのままにすればいいんだよ」と教える。

スポーツ選手のその後と教養

浅田真央が引退、これは大きなニュース。引退といっても20代、定年退職の引退とは次元が違う、本人にとっても大問題。

このブログとしては、そこで教養問題になる。教養ってこういった転機こそ”実用的”だと思うんだ。

つまり、この社会ってどんなもの?自分って何者?これがこの場合の教養。

はっきり目標があった、そのための努力の術(すべ)もあった、”その”ために応援してくれる人もたくさんいた。こういった、「完成された構図」を脱構築しなくちゃならない。

そりゃ、僕だってその後を応援してるよ。でも、生き方=目標を決めるのは本人だ。名声ってものは、扱いの難しいアイテムなんだと思う。

頼りすぎたら、”過去の人”以上にはなれない、かといって使わない術はないだろう。

そこで、もうひとつの教養課題があると思う。

それは、自分にとっても幸せとは何か?これがアンカー(重要な判断基準)じゃないかな。

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