逆説の社会史 その14 行きづまる日本のエリート
最近の事件をもとに書く。
最高の大学卒業、名だたる有名企業に就職、待っていたのは日々残業オリンピック参加とパワハラコーチ、結果20代で自殺。
僕の身近な例では、兄弟で同様なエリート境遇、結果、心を病み、どちらもずっとひきこもり。
高齢のお父さんいわく、「今頃は、孫と遊んでいたかった、、、」
一方、アメリカのシリコンバレーのエリートたちは、自由な服装、ソファーとかに座ってパソコンをたたき、創造力を発揮、家に帰れば家族で食事が当たり前。と、聞く。
アメリカの社会は陰の部分も濃いけれど、この差は一体どこから来ているのだろう。
日本の社会は、今、目の前にあるのだけれど謎だ。
社会を知る一つの手掛かりとして、社会史の変遷から今を浮き上がらせる手法もあると思う、だからこの社会史シリーズを続けている。
またこういった問題は、小学生の親としてもその対処は重要課題と思う。
子育てとは、巨大な長期投資なのである。お金ばかりでなく、人生そのものも費やしている。これは恐ろしいリスクだ。
少なくとも長期投資の大原則として、「市場の雰囲気に巻き込まれるな、地道に続けろ、分散しろ」がある。これは、子育てにもあてはまる。