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逆説の社会史 その13 職場での旧姓使用認めず、の判決

日大の中高一貫校の先生が訴えた裁判の判決のことである。これは、そもそも学校の管理権の濫用だと思う。

その職場で、受け入れられていた名前がすでにあるのなら、職業人のアイデンティティを継続するうえでも、本人が望むなら旧姓使用を認めるべきだ。

アーティストの芸名、力士のしこ名など、職業直結の名前もある。また、郷里のある人なら、その地域での通称名がむしろ”真の名前”に相当する場合がある。

一方、近代的な法治国家なら、個人を特定しなければ法制度が成り立たない。なので、日本では戸籍制度があり、この”制度上の名前”が重大な権利義務関係を特定する。この先生も裁判上では戸籍名で呼ばれたはずだし、本人もこの立場での旧姓使用にこだわらなかっただろう。

歴史を学ぶ際、多くの人は歴史上の個人名がやたらと変遷することに困惑すると思う。ある意味、前近代国家は自由な社会であって、本人の希望と社会的役割場面によって名前を変えることが普通に行われてきたし、別名が並列することも同様だ。それは、合理的ですらあろう。

総括すると、社会の必要上定められた戸籍名はそれなりに重要だけれでも、一つの名前のあり方であり、必要以上に強いるべきではない。それは、法文化的に偏狭である。

当事者の日大系学園当局に嫌味を言おう。

日本大学の生んだ偉大な民法学者高梨公之先生は、古典と民俗文化に精通し、この基盤の上に民法理論を構築しておられた。先生なら、原告教諭の主張を受け入れたことだろう。

あと、ここまで読んでくれた方に一点ご注意。僕の論調は、原告側のリベラル派弁護士の「時代に逆行し不当」のような見方を敢えてさけていることに気づいてくれたらありがたい。

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