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アテルイと津軽弁の言語学

NHKのテレビドラマ、「北の英雄アテルイ伝」、これはなかなか考証が難しかったと思う。だって古代蝦夷の部族社会が舞台なのだから。

大沢たかおがアテルイ役だったが、日本語を話していた。まさか、古代蝦夷語(アイヌ語近縁の言語)に字幕の吹き替えを付けるわけにもいくまい。というか、古代蝦夷語なんて誰も知らないし。

けど、少し工夫があった。一人称が、「ワー」、二人称が「ナー」と表現されていた。それだけでも、異文化性が感じられるからよく考えたと思う。

この言葉は創作だろうか?

今回の下北旅行では、その謎が解けた。

津軽三味線の奏者の方(工藤雄一さんだったかな)が、ライブのスピーチで津軽弁を教えてくれたからだ。

「わ」は、私。「な」は、あなた。

なっどっさ/貴方はどこへ行きますか?

わっゆっさ/お風呂に行きます。

これが使用例。

そしてその語源は、「汝(なんじ)」と、「我(われ)」。

由緒ある日本語の末裔の言葉である。これがご当地的に応用されていたのだ。

北東北の地名には、アイヌ語が残されているとされる。それは正しいのだが、正確にはアイヌ語で推測できる地名、と言ったほうがいい。

そこから推測できること、それは、、、

遅くともアテルイが活躍したころ、それなりの言語圏が確かにあったはずだ。そのままアイヌ語と表現するには、歴史的時差があろう。なので、古代蝦夷語と表現してみた。

だれが、その世界を言語を含め再創造してしてくれないかな。ファンタジー的でもいい。

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