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2015年10月

大玉村とマチュピチュ 大いなる成婚(友好都市調印)

例えれば、このようなおとぎ話になろう。

世界中の王族、貴族、成り上がりの金持ちから求婚が殺到する娘がいた。でも娘はどの縁談も断り続けた。いずれも、心の琴線に触れる相手ではなかったから。

娘は、静かに古い思い出に想いを馳せた。「そうだ、あの方なら、きっと」

赤い糸は、途切れることなく、地球の向こう側に届いた。そこは、美しい山の麓の小さな村だった。

古風な青年がいた。地味だがすがすがしく誠実で、その足はしっかりと大地を踏まえ、その心には凛とした一本の筋が通っていた。

大地と風と空は、わが子のことのように二人を祝福し、この時、大地は金色の収穫を届け、風は、心地良くそよぎ、太陽は、二人を温かく照らし出しましたとさ。

pax hominibus bonae voluntatis/良き心映えの人々に平和を

2015.10.30日経、春秋からのアレンジ

大いなる田舎、大玉村のサイトはここ、

https://www.vill.otama.fukushima.jp/

アテルイと津軽弁の言語学

NHKのテレビドラマ、「北の英雄アテルイ伝」、これはなかなか考証が難しかったと思う。だって古代蝦夷の部族社会が舞台なのだから。

大沢たかおがアテルイ役だったが、日本語を話していた。まさか、古代蝦夷語(アイヌ語近縁の言語)に字幕の吹き替えを付けるわけにもいくまい。というか、古代蝦夷語なんて誰も知らないし。

けど、少し工夫があった。一人称が、「ワー」、二人称が「ナー」と表現されていた。それだけでも、異文化性が感じられるからよく考えたと思う。

この言葉は創作だろうか?

今回の下北旅行では、その謎が解けた。

津軽三味線の奏者の方(工藤雄一さんだったかな)が、ライブのスピーチで津軽弁を教えてくれたからだ。

「わ」は、私。「な」は、あなた。

なっどっさ/貴方はどこへ行きますか?

わっゆっさ/お風呂に行きます。

これが使用例。

そしてその語源は、「汝(なんじ)」と、「我(われ)」。

由緒ある日本語の末裔の言葉である。これがご当地的に応用されていたのだ。

北東北の地名には、アイヌ語が残されているとされる。それは正しいのだが、正確にはアイヌ語で推測できる地名、と言ったほうがいい。

そこから推測できること、それは、、、

遅くともアテルイが活躍したころ、それなりの言語圏が確かにあったはずだ。そのままアイヌ語と表現するには、歴史的時差があろう。なので、古代蝦夷語と表現してみた。

だれが、その世界を言語を含め再創造してしてくれないかな。ファンタジー的でもいい。

下北・青い森紀行 その7 仏ヶ浦の聖地

下北半島の西海岸は、断崖の連なる名所である。景観の全貌を見るなら、脇野沢からの遊覧船が都合がいい。

仏ヶ浦はその一つ。ここには国道338号沿いの駐車場からもたどりつくことができる。ただし、険しい道を降りなければならない。

Photo

この世的ではない異様な景観だ。屹立する巨岩の様子を、仏の立像群にたとえたものだとすぐ分かる。

ザラザラの柔らかい凝灰岩が浸食され、長い間にこの景観を作ったのだが、この青白さが神々しく荘厳なイメージをもたらしている。

Photo_2
ここには小さなお堂がある。中の壁には、たくさんの着物が掛っている。それらは、故人の遺品だろうが、かなり古いものもありそうだ。なつかしく、ここを尋ねる縁者もいることだろう。

この世とあの世の臨界のイメージに、彼岸を臨むようなこの浜辺はなんともふさわしい。

そして、さらに恐山へと行く。

小学生とラテン語 その1 Sol(太陽)とLuna(月)

うちの子が学校で、漢字として日、と月を学んできた。そこで、復習と応用を教える。

日と月から、「明」も、太陽(日)と月だったら明るいよね。

英語としてサン、ムーンは知ってるが、綴りは知らないのでついでに

「Sun」、「Moon」の綴りも教える。が、スン?モーン?ローマ字的に覚えにくい。

そして、これでは?と、ラテン語の出番。「Sol」「Luna」、なんとか読めるので子どもは喜ぶ。

「ラテン語って簡単!」

そうだよ、だいたいローマ字読みだから。

いまどき、ローマ字としてアルファベット表記が読めることは、かなり有用だ。子どもにとって”意味的に見える世界”が広がる。

子どもの英語教育、それは確かに大切だろうけど、英語とは印欧語の特殊な地方語である。なので、印欧語としてより根源的なラテン語も学ぶことも重要と考えている。

それがどのように発揮されるか、このシリーズでご紹介してみたい。

下北・青い森紀行 その6 尻屋崎と寒立馬

本州の大地が尽きる場所が青森県に三か所ある。津軽半島の竜飛崎、下北半島の大間崎、尻屋崎だ。尻矢、アイヌ語の地名である。近くには、同様に尻労(しつかり)という地名もある。

Photo
尻屋崎は、馬の放牧地として知られ、その馬たちは寒立馬(かんだちめ)と呼ばれる。灯台のあるあたり、それが放牧地になっている。

Photo
地吹雪にさらされるような冬季の馬たちの姿をほうふつとさせる言葉だが、最近はわざわざ極寒の岬に馬たちを放っておくようなことはないらしい。冬季は、別の牧場に移されているそうだ。

数頭まで減ったこともあったが、現在は40頭ほど。それなりに、群れの様相になっている。

人が近づくことも可能だが、要注意。「昨日、蹴られて救急車で運ばれる人がいました」と、教えてくれる人がいた。

今年生まれた子馬をうちの娘が恐る恐るナゼナゼできた。これは、実に良い写真となったが、その後、憤然と迫る親馬(だろう)に、この人間の親子は追い回されることにもなった。

足が太くがっしりとした体形、長いたてがみが特徴だ。北国の農耕がこの馬種を創ったと想像がつく。人を乗せる馬ではなく、もくもくと農耕役務に従事してきた馬種なのであろう。

宮崎の都井岬の野生馬にも会ったことがあるが、彼らは毛深くなくもっとスラリとしていたように思う。地域に残る伝統的な馬種の比較も面白い。

Photo_2
この岬の海域は、海の難所として知られてきた。柳田國男の「海上の道」にもその記載がある。実際、地蔵や海難事故の慰霊碑が立っていたりする。

早朝の尻屋崎を歩いた経験がある。印象深い形の海の岩々が刻々を色を変えていく。尻屋の晴れた夜明けの海は素敵だ。

Photo_2

近くに泊まる必要があるが、このあたりには、宿泊施設もそこそこある。そして、その時泊まったのは、尻屋崎ユースホステル、今はもうないが、夜にはイカ釣りの漁火を臨むことができた。

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