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Fiddle/フィドルとバイオリンそして津軽三味線

この記事は、「青の森紀行」の伏線でもある。

辞書で、fiddle と引くと、バイオリンと第一の意味がある。しかし、ぺてん、詐欺、ぶらぶら過ごす、とかの否定的な意味が隠語的に関連する。

欧州の音楽上、バイオリンは、クラシックの楽器であり、フィドルは民族的、土着的な音楽の演奏の楽器である。でも、「ブツ=楽器そのもの」は同じである。

この「ブツ」は、日本では、ほぼ前者の意味でしか使用されていない。なので、良家の子どもが習うイメージ。音楽大学の正統な教育課程でもある。しかし、後者の世界もそれはそれで奥が深く広大である。

アイルランドの路上で、フィドルを弾き、投げ銭を稼ぐ人がいる。こんな”文化”がフィドル演奏の土壌だ。

物語的にいえば、飲んだくれの父がいて、病弱な母がいて、子どもが路上でフィドルを弾き、日銭を稼ぐ。

その技量に一家の生活がかかっている。だから、技術的には相当なものだ、客のリクエストにも応じるので臨機応変、でも、楽譜の読み方は知らない。

津軽三味線を世に知らしめた高橋竹山。この人は、まさにフィドルな人だった。

目が見えず小学校はほとんど行かなかった。そこで、親は14歳のとき、三味線弾きに弟子入りさせ、16歳のとき自立した。

自立、それは、日銭を稼ぎ自分で生きろ、ということだ。実質は放浪演奏。

竹山の伝記には、「門づけ」という言葉がよくある。これは、家々を尋ね、演奏し、米やわずかな金をもらうこと。極限的な演奏活動の形である。

竹山の同郷の人に「知ってます?」と尋ねたら、「あ、おもらいさんね」と言われた。つまり、「物乞い」としか見られていなかったことがよくわかる。

ところが、竹山の晩年には、大きなステージの独奏があり、海外演奏旅行も実施された。それは、彼自身の卓越性と支持者の成果だ。時代背景も大きいだろう。

こうして、一つの音楽ジャンルとして”津軽三味線”が確立した。楽器として津軽三味線は、太棹だそうだ。でも、竹山にいわせれば、それは舞台に立つからできること。というのは、毎日遠距離を歩く、「門づけ」に太棹では重すぎる。過酷な時代を生きた人だから分かる実感だ。

参考:「高橋竹山に聴く ―津軽から世界へ」 佐藤貞樹著 集英社新書

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