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大学と教養 その2 日本大学はなぜ東京六大学ではないのか

今はやりのリベラルアーツでいえば、文理学部があり、そこに哲学科(学問の基礎)もある。大学の基盤である医学部も法学部もある。

歴史もあるが、微妙に東京六大学に比べ新しい。司馬遼太郎の受け売りであるが、この時間差の意味が大きい。

というのは、明治初期、欧米から講師を招き、外国語による教授が当然であった時代から、日本語での教授に重点が移った時代の大学だからだ。日本大学の”日本”には、外国人に頼らないわが国の大学の意味合いがある。

校歌:朝日と輝く国の名負いて毅然と立ちたる大学日本、、、

フランス法学に始まる法政大学は、ボアソナードタワーなんて建てているけれど、日本大学史にボアソナードに相当する外国人はいない。

中央大学、都心から多摩の山間部に拠点を移しても、なぜか中央?それはさておき、始まりは、英吉利法律学校である。

そして、時代は逆戻り。21世紀に入ると、外国語(といっても英語のことだ)での講義をウリにする大学が続々と発生している。

おっと、旗印まで英語化している。グローバル!これで、新たにグローバル東京六大学が誕生するのか。

一例なのだが、ここで少し考えてみよう。

夏目漱石の学生時代の数学のノートが残っているそうだ。なんと全て英語だそうだ。数学ですら英語の教授を受けていたわけ。

彼の英国留学の苦労話は有名だが、彼の最大の業績は文学作品による近代日本語の確立である(当然、英語教育にも貢献したが)。

グローバル大学を卒業したら、「ちょーまじやべェ~」が、英語化するのか。

肝心なのは、志とか思想だよね。と、思う。

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