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大学と教養 その3 多様性

世界の秀才が集うハーバード大学で、志願者を選ぶ基準に異変があったそうだ。アジアが豊かになり、アジア各国からの志願者が増えているが(日本からはそうでもない)、なにしろ数が多いので、単純に試験の点数を基準とすると、”アジア大学”化してしまう。

人種による差別、との批判もあるが、学生の多様性を担保する意味で、それなりの枠を設定しているのだそうだ。

日本の場合、長引く不況のため、親の財力低下、自宅通学の学生が増えている。つまり、大学の地元志向。早稲田大学は、「全国から集う学生の切磋琢磨が力強い学生を育成する」との、伝統があるそうだが、この傾向に危機感を募らせている(新聞記事から)。

東京の名門大学に入学する学生の内、地元中高一貫校出身者の比率が圧倒的になっている。これも多様性の問題である。幕末の幕府直営、昌平坂学問所の方がより開かれた教育機関であろう。

これは、学生の均一化を招くだけでなく、日本のエリート階級の固定化につながっていくはずだ。反面、江戸幕府の懐の深さを再認識してみたい。

阿部謹也といえば、ヨーロッパの社会史の権威だが、教養を興味深く定義している(彼の本の中で読んだ記憶がある)。

それは、「自分が何者かを知っていること」。

とても含蓄のある言葉だ。

思うのだけど、異質な他者と関わること、これが自分を知るための大きな手だてではないだろうか。

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コメント

阿部謹也さんは精神的放浪を通じて教養を自覚した研究者ですね。
職を得て赴任したところ大学紛争のさなか周囲の研究者の無力を見聞きして失意にひしがれた場所だと入学後知ったことも阿部謹也さんには割と個人的思い入れがある理由かも。二人ほど有名な小説家いることがもっぱら語られるけど、ゆかりの人物としてはわたしにとってはそれ以上に重要な著作家です。

書き込みありがとうございます。
この言葉の意味が腑に落ちました。
阿部謹也先生の翻訳で、「放浪学生プラッターの手記」というものがありますが、改めて訳者の学者としての矜持をこの本から感じることができました。

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