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2014年12月

クリスマスにチーフタンズ(Cheftans)を聴く

ささやかなクリスマスパーティにチーフタンズをBGMで流してみた。

アルバムは、「CELEBRATION」。何の祝いかといえば、ダブリン1000年祭である。この洋風お祝いムードがクリスマスにマッチしている。

1988年のもの。メンバーもずいぶん若い。

普段、アイリッシュを聴いていない人にも分かりやすい選曲としてお勧めだ。その他ケルト圏のミュージシャンも多数参加。

華やかなダンス曲のメドレーもあり、しめやかなエアー(スローな抒情曲)も含まれる。エンディングのフィナーレで盛り上がり、ではお疲れ様!となる。

曲目につき少しコメントする。

Coolin、おごそかなエアーである。このアルバムで聴き、初めて僕のアイリッシュ演奏レパートリーにもなった曲。不思議な語感の曲名にも魅かれ、その意味を調べようとしてみたがいまだに不明。この名前の小さな湖がアイルランド西部にあり、偶然に訪れた経験がある。

Wexford Carol、まさに伝統的なクリスマスキャロルの一つ。Wexfordはアイルランド南部の州である。素朴なクリスマスの集まりが目に浮かぶようだ。

Gaftaí Baile Buí (黄色い村の門)、この曲には故郷を遠くから想うような情感を感じる。が、門が黄色い(Buí)って変?とも思う。

このアルバムの日本語訳では、Baile(バリャ)→村 とされているが、愛英辞書には、home、town の訳がある。故郷の街、って感じかな。

アルバムでは、しんみりとフィドル中心の曲。アルバム上、ここでじわっとして、対照なエンディングに続く構成となっている。

教養の宗教学 その2 妖怪ウォッチ劇場版

この映画は雑多なコンテンツが山盛りなのだけれど、最初の部分、微かな伏線があって、最後に判明する。この流れはシャープである。

以下、かなり抽象的に書くけれどネタばれ的なので、映画をご覧になる方は注意。

日本に伝統的な宗教がある。それは、神道や仏教といった明確な形になったもの以前の、土俗的なもの、祖霊信仰だ。

そこに、西欧やイスラムの一神教の文化とは、明らかな一線がある。

そして祖霊は、今ある世代を護ってくれることもあるが、祟ることもある。だから(ここがポイント!)、妖怪には良いものもあるれば、悪いものもある。

ケータくんは、宝物を失い、また改めて宝物を手にする。ただ戻っただけではなく、この返還は、今ある自分を命の流れの中にある自分として認識することを知る。

命のリレー、以前このブログの中で使ってみた言葉だが、その象徴は妖怪ウォッチであった。

エンディングは、当然!あのバカっぽく楽しいダンス、ゲラゲラポっだけれど、テレビで見慣れたフミちゃんと、もう一人の昭和な女の子が並んで踊るシーンがあった。この演出にはぐっとくるものがある。

ただし、、この映画平たくいえば悪の妖怪退治なのだけれど、日本の祖霊信仰的には、祟りには鎮魂とすべき。悪への一方的な殲滅は一神教的だと思う。

サンタクロースを信じる心について

両親が疑われている。これは、名探偵コナンを見すぎたせいだろう。「外から入った形跡はない。密室だから内部のものがやったんだ」と、娘が本気でいう。

去年は、「鈴の音が聞こえたみたい」と、神秘なことをいっていたが、サンタクロースのリアリティもそろそろ限界か。

とりあえず、「サンタさんはね、人間じゃないからそんなことわからないよ」、と答える。

そう、リアリティの次元は人間同様ではない。

そのリアリティは、子どもたちが素直に信じる心によって強まったりもするし、弱まったりもする。

とはいえ、去年に続き、「サンタさんにもプレゼントを用意しよう、おなか減ってそうだからクッキーがいい」と、心配もする。

彼は、彼というのは、サンタクロースの原型、実在の聖人である聖ニコラウスのことだが、将来イエス・キリストをさしおき、あたかもクリスマスが自分の日のようになるなんて、知ったら驚いただろうなぁ。

妖怪ウォッチと召喚の魔法

「しょうかん!」ってケータ君が妖怪を呼び出す。「召喚」なんて、非日常な言葉だ。裁判の手続で呼び出された、つまり召喚された人なんて多くない。

昭和の時代にも同様のことがあった。仮面ライダーが、「へんーしん!」しなければ、変身なんて言葉は広まることはなかっただろう。

同様に、今後、「召喚」は日常の言葉になっていくと思う。このアニメ、それだけの影響力は残していくだろう。

日本語として、そもそも召喚は、特段に妖怪を呼び出す用語ではない。というか特別なアイテム、秘術として妖怪とかその類のものをこっちの世界に呼び出すような文化は西洋的である。

英語で、社会的でフォーマルな意味での召喚は、summons だが、死霊とか妖怪、悪魔とかこの世的でないものを呼び出すなら、conjuration、invocationの語が適切になる。

魔法陣を描いて、呪文を唱え、たとえば、「エロイムエッサイム、我は求め訴えたり」とか。これは、水木しげる、「悪魔くん」のネタだが、それなりに正統な文化的根拠がある。そういえば、妖怪ウォッチって携帯魔方陣なんだね。

この召喚について、恐るべき結果を招く様子を描いた物語をあげるとしたらゲド戦記だ。それに比べ、妖怪ウォッチは明るいなぁ。いやいや、ゲド戦記のように、想定外のとんでもないものを出してしまった、という筋書きは映画版的バリエーションとして使い得る。

ところで、この僕程度のものでよかったら、このブログの書き込みとか、Eメールとかで電子的に召喚できる場合がある。その呪文は、、、

電気通信大学に行く(大学祭の感想)

自分の領域から最も遠い理工系、これが最初の感想。最終的には、身近にずっと感じられるようになった。

男ばっかりで地味な学祭?いや、だから女子大とのコラボも盛んになるのか。結構、華やかでもある。

子連れ的には、記念会館のイベント、子どもの科学教室がありがたかった。手作りで楽しむ理科工作、これは人間らしさの原型の一つかも知れない。

模型研究会の展示会、、理工系だから発揮できる高度なオタク性を感じる。ガンダムの今を知ることになった。いわゆる美少女系フィギュアもあるが、模型の基本、兵器物も充実している。

かなり込み入った話なのだが、「戦艦山城のスリガオ沖海戦、最期の姿」には感動した。感動というのは、その精巧さだけではなく、この歴史上のエピソードを表現しようとする作者の想いも含めて。

理工系大学で、クラシック、場違いのようだが、アンサンブル喫茶は楽しめた。これほど、しっかりビオラの演奏を聴く経験はこれまでなかった。そして複数いるんですね、ファゴット奏者。

特段に際立ったバイオリン奏者がいた。彼には、ラテン語で賛辞を残そう。

materiam suprabat opus./技量が素材を凌駕していた。

久しぶりに大学に訪れて思ったこと、それは、学際性の流れだ。これは、各研究室の記事からもうかがえる。

本来ハード面を扱う理工系であっても、ソフトな人間科学、ひいては経営管理への関連づけが進行していると感じる。

この大学の源流は、無線通信、と知ったが、これは単なる機械の仕組みだけではなく、人の知覚の拡張領域の問題でもあったはずだ。その意味で、発展的にブレはないと感じる。

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