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幼児の経験世界 記憶と言語、そして自分の物語

うちの娘がしばしば質問すること、それは自分の生まれたときのこと。自分の原点を確認したいってことだろうか。

当然、記憶がないから確認するわけだけれど、自分の記憶がどこまで遡れるか、これは言語能力に関連しているのだろう。

言語は伝達機能だけではなく、経験の構造化も担っている。それは、過去と未来も含んだその人の世界そのもの。

保育園の運動会のハイライトは、白組、赤組のくす玉割りなのだが、前年は負け、そして今年は保育園最後の運動会なので、なかなかの執念だった。

結果、負け。そして、この執念は小学校に持ち越されることになった。

こんな流れが、重なりあってだれでも”自分の物語”ができていく。

ときには、この物語が断絶しそうになったり、引き裂かれたりする危機があったりして、そのときは大変なのだが、それも後にはエピソードとして受け入れられ、物語のつじつまが合って今ある自分にとりあえずYESと感じることができるなら、これを幸せと呼ぶべきか。

認知症が進行し、混乱してしまった高齢者に、過去のできごとを回想させていくことで、心情の安定化が期待できるそうだが、これを”自分の物語の修復”と呼ぶことができるだろう。

ところで、うちの娘と聴いたりする男腐塾の歌がある(BANANA ICE,はなわ作詞)。

これは、その引用。

だれにも言えない悩みや こころの中にあるものを

小さな声でいいから話してごらん

いつもそこには暖かい やさしい風が吹いている

ゆっくりでもいいから話してごらん

キミのものがたり

つまり、大切なことなのだが、始まったばかりの物語であれ、終わろうとする物語であれ、そこには聴き手が必要だ。

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