« 2014年8月 | トップページ | 2014年10月 »

2014年9月

スコットランドの光と影 その5 独立投票の意義

この大騒ぎのおかげで、改めてスコットランド史を読み直している。連合王国の存続という意味でいうならば、歴史は動かなかった。が、これは対イングランドとの関係において、実質的な勝利なのだろう。それは、今後次第に明らかになっていくはずだ。

スコットランドの本気度は、イングランドを慌てさせた。今後イングランドは、スコットランドをつなぎとめるために、大きな権限譲渡しなければならないし、それは約されたことでもあるらしい。

スコットランドは、したたかなイングランドにいつもしてやられてきた感があるが、今回は、少なくとも事実上、お見事。

多摩連続放火事件のプロファイリング

この事件は、多摩市内で建築中の家屋が次々と放火されるというもの。未解決事件である。

犯罪心理学上、放火事犯の基本類型は、都市型、田舎型である(関連学会の発表から)。都市型は無差別的、田舎型は、特定の家を狙ったもの。

田舎型は、密接な人間関係の中で発生した深い怨恨に基づいている。だから、犯行対象が特定している。

都市型は、端的にいえば憂さ晴らしだ。田舎型はそれなりの深い動機があったりするが、都市型は、「むしゃくしゃしたから」とか、何とか。マトモな言語化もできない場合が多い。中には、近所の子どもにバカにされると犯行する、なんて例もある。内面的に類似の事件は、公共物の破壊だろう。

つまり、相当に未熟な人格が推測される。ただし、最近の傾向として、一見普通の社会生活をしながら、人格に未熟なコントロールできない側面を残しているような、アンバランスな人が増えているような気もする。

ともあれ、動機の背景は、社会一般への漠然とした恨み、そして一種の承認欲求。

この承認欲求とは、ゆがんだ自己愛、世の中に大騒ぎをもたらした自分への自画自賛と言い換えられるだろう。放火とは、もっとも単純に大きなインパクトを与える方法である。

ところで、なぜ連続して建築中の家なのだろう。当然、犯行しやすいからだろうが、夜中に灯油を持ち歩くなど怪しいが、車両を使えば目立つ(したがって生活地域が限定される)。より手ごろな放火なら、もっと手段と対象がある。たぶん、同一犯ということを見せつけたいのだろうね。

神戸の女児殺害事件のプロファイリング

すでに容疑者は逮捕されているが、プロフィールは断片的だ。犯人像について少し考えてみたい。

犯行の容態からして、無秩序で荒廃した人格を感じる。精神疾患としては、古い表現だが接枝分裂病が思い浮かんだ。知的障害と統合失調症が混在する病態である。

ならば、それなりに保護・監督すべき人が必要なはずだが、どうだったのだろう。

被疑者は47歳と報道されている。これだけの事件を起こす以上、先駆的な事犯があって当然だ。ただし、これまでそれを制御できるだけの保護環境が整っていた場合もありうる。

そして、たとえば、親との死別により、一気に生活が無秩序化したなど、生活環境の変化が重大事件に結びつく例もある。

精神面の問題は、実際の犯行遂行能力にも関連する。自動車を使った様子はなさそうだ。相手を脅すにせよ、だますにせよそれなりの言語能力が必要だが、印象的に疑わしい。

夕方の住宅街でいきなり力づくなのか。そもそも、無計画で場当たり的な犯行だと思う。時と場が相当に犯行に有利であったのではないだろうか。

この事件、凄惨で痛ましいばかりでなく、悔しさを感じるのはこの点である。

フルート入門 その2 対照的な姉妹フルート

  偶然、フルートの姉妹が出会った。詳しくご説明すると、同じ職人によって作られたフルートが互いに持ち寄られる機会があったということ。この2本のフルート生まれた工房はマテキ。

なぜ、姉妹かって?フルートはドイツ語上の扱いが女性名詞だから。また、年齢の上下は、製造番号の違いで判断できる。

この機会を利用して、これからフルートを初めてみたい方に少しご案内をしてみたい。

Photo

写真上のフルート、この子は妹だ。穴の並びがまっすぐ(インライン)、キーはリング状になっている(リングキー)。持ち主(僕)の趣味で、彫刻まで入っている。

姉は、対照的。穴の並びが曲線的で(自然な指の配置、オフセット)、キーは蓋状(カバードキー)。堅実で地味である。

この対比、人間でもありそうな姉妹?

インラインでリングキー、僕がなぜこのタイプのフルートを選んだかといえば、構造デザイン的に端正だし、指を微妙にずらす技法が使いたかったから(曲目にアイリッシュ系を意識)。

一方、楽器屋さんに売られている量産型のフルートは、オフセット、カバードキーが多いと思う。手の小さな人でも操作性が良いし、正確な音も出しやすいから、つまり無難だ。

しかし、姉はれっきとした職人手作りモノである。その職人技の最たるものは、頭部管(吹き口がある部分)の、巻き管製法だった。

これは、管を伸ばして造るのではなく、板を巻いて繋ぎ合わせて造る製造法のこと。見た目ではほとんど分からないが、こちらの方が難しく、値段も高い。

姉フルートは、組み立てるとき、独特の感触があるように感じた。吸い付くように入るような。実際、妹と吹き比べてみる。音質といえば、明らかに上質と感じた。なぜこんな違いが生まれるのか不思議だった。

さて、こうして姉妹は出会うことができた。でも、姉妹を作った職人さんは、すでに亡くなっていた。楽器の世界ではよくある話だ。でも、自分の技をずっと残る音の形にできるなんて、いいことだよね。

スコットランドの光と影 その4 そして歴史は動かなかった

ほぼ独立反対が確定したころ、こんな選挙速報が流れた。

It's not mathematically done and dusted yet, but even the most optimistic Yes siders must surely in the process of unscrewing cap off bottle of whiskey.

/未だ数値は確定していない。そして、霞も残っている。しかし、最も楽観的な独立派でさえ、祝杯のウィスキーボトルを開けないまま終わることが確実になった。

そして早朝のスコットランドに結果が発表され、冷静なコメントが伝えられた。

we're going to have a job of work to get things healed afterward.

/さあ仕事を始めよう、将来に向けて、この傷ついたスコットランドを癒すのだ。

総括的なコメントがある。

Fear triumphing over hope.

/不安が希望に勝利した。

スコットランドの光と影 その3 蛍の光

そろそろ年末のことも気にする季節が来た。大みそかを家族で過ごして、NHKで紅白を観る人も多いと思う。

で、紅白のエンディング・フィナーレ。今年もいろいろありましたねーと歌う歌。

これはズバリ、スコットランドもの!民謡の「Auld Lang Syne」だ。

もちろん、日本語歌詞もすばらしい。明治の英知を感じる。

エピソードがある。

明治の学校教育上、音楽が問題となった。

当時は、近代化のために、多くの欧米人が日本に招聘されていたが、教育担当?の外国人が、提案した。

「日本の伝統的メロディーは、スコットランド、アイルランドの民謡に似ている。これらを導入してみてはいかが?」

この提案は、実に的を得たものだった。はるか彼方、北海道より小さな国の歌が、まるで地生えの歌のように日本の文化に定着している。

そして、今日、投票の結果が判明する。

スコットランドの光と影 その2 連合王国ということ

そもそもイギリスって日本語表現、イングランドやイングリッシュがなまったものらしい。これでは、スコットランドが感じられない。

グレートブリテン及び北アイルランド連合王国では、長いが、これはよくわかる。地域と政治体制を表現している。

略して、UK(連合王国)。王国とは、イングランド王国とスコットランド王国で、王家は一つ。

北アイルランドは両王国の植民地なので、それ自体に王家はない。

そして、ウェールズ。ここは、公国。王国の格下なので、国家の単位として表現されない。

と、僕は理解している。

ある日本人がスコットランドを旅して、地元の人と現女王の話題になったとき、その人は、「エリザベス1世」と表現した。

な、わけないでしょ。今の女王は2世でしょ?

と、日本人がいうと、

「ここ(スコットランド)では違う。なぜなら、先のエリザベスは、イングランドの女王、エリザベス1世だ(おれたちの女王ではない!)。あの方(現女王)は、連合王国最初のエリザベスだから1世である。」

見事な理屈。だから、両国の関係は難しい。

スコットランドの光と影 その1 独立国家の消滅1707年

この国は、再び独立するのだろうか、ついに投票が明日に迫った。

実益を考慮したら、止める。心情を考慮したら、する。この両天秤が、大方の国民の感覚だと推測する。

心情、今の経済ではなく、これは歴史だ。この機会に、再度資料を読み直してみた。

イングランドが、スコットランドを経済破綻に追い込み、金とか、その他そそられる話で、議会と有力貴族を丸め込み、国民不在のまま、事実上スコットランドがイングランドに併合された日は、1707年5月1日のことだ。

この日を前後して、スコットランドでは暴動と焼き討ちが繰り返されていたという。そして300年後、また大きな岐路を迎えようとしている。

当サイトとしては、投票権があるわけではないけれど、この国をもっと知ってもらいたいので、継続して記事を書く。

脳科学について その7 皮膚と脳のたとえ

さらに、皮膚で思想を語ってみよう。ある皮膚科医が、こういった(関係者から伝聞)。「皮膚科って、バカにする人って多いけど、身体の部位でいえば、一番大きい領域なんだ!」

一方、どうだろう。みなさんは、「脳外科」にどんな印象を持つか。高度な医療の最先端?これは、脳科学に関するイメージとも輻輳していると思う。

陰ながら、先の皮膚科の先生を援護してみたい。ネタ元は、高校の生物。皮膚とは脳の外延みたいなものだ。

受精卵が、育つ初期の段階で、外胚葉、中胚葉、内胚葉に分化していくけれど、一番外側の外胚葉が溝状に陥入して脊椎や脳に分化していく。残りの多くが皮膚、その他、目の水晶体とか。

つまり、発生起源でいえば、皮膚も脳も同じ。その本質は外界(世界)と関わりながら、情報の処理を担う、ってことかな。目の発生など示唆的だ。

外界と関わる、これも深い意味がありそう。ここから、内と外、さらには自分と自分以外のものの違いが問題になる。

とすると、そもそも脳って一つの臓器をとりあげて、いくら中身を精緻に科学しても、それが何かってことの本質は見えてこない。

応用的な現実問題として、うつ病を脳病として考え、薬物だけで対処すること限界がある。

つまり、その人を大きな環境の中でとらえ直してみる視点が必要だ。

たとえば、朝日を浴びる習慣を身につけましょう、と具体化もできる。この習慣が治療に有効な理由は、脳内ホルモンに関連づけることも可能だけれども、マクロな視点では、世界との関わりを見直すことの重要性。

思うのだけど、今の社会、身体感覚全体でリアルな世界を感じることが非常に限定されてようとしている。それは、スマホの画面とイヤホンに支配される心の風景だ。

もう一つ、臨床的な例をあげると、リストカットが止められない人たち。

この行為の解釈として”自己確認の手段”があるが、以上の文脈でいえば、極端な皮膚感覚で、世界との生きたつながりを取り戻そうとする努力、と僕は考える。

脳科学について その6 くすぐるそして自我境界へ

保育園で流行っているらしい。うちの娘が後ろからしのびより、いきなりくすぐって反応を楽しんでいる。この応酬はけっこう盛り上がったりする。

で、娘は気がついた。「自分でくすぐっても、くすぐったくない。何で?」

これは、重大な問題をはらんでいる。

素朴な唯物論的には、

S(刺激~くすぐり)→脳→R(反応~くすぐられ反応)

のはずが、それでは説明できないからだ。

つまり、このSは、唯の物理刺激だけではない。それ以上の状況的場の影響を受けているからだ。

もう少し掘り下げると、皮膚感覚は、自分と他者を厳密に峻別している。また、皮膚は、体を包み込み、内部を保護しているのみではなく、さらに心的に、自我の境界も形成しているということ。

臨床的な例も挙げてみよう。病的に極端な場合だ。

時に、統合失調症の患者は、自分の皮膚感覚の異常を訴えることがある。かつて僕が出会った例は、中でも際立っていた。

「機械の虫が体中(皮膚)にとり付いて悪さをする」、という訴えだ。

「私にも見えますか」と尋ねたら、「目のいい人には見えるかも知れません」という。

感覚的に了解できないが、だから本当の病気なのである。

「機械」、これが本質と思う。無機的で、生物の虫より、ずっと身体感覚的に異質なものと解釈できる。

アルコール中毒患者も、「虫」を感じる(多くは見る)ことがあるが、ずっと生生しいイメージである。それは、自発的に命をもって動いているからだ。

以下余談。軽い話をしよう。

くすぐられて反応しやすい人ほど、若い。高齢者になるほど、鈍くなるらしい。

では、くすぐりっこで遊ぶと老化防止か(くすぐり療法)?これは、脳科学上、検証されていないが、試してみる価値があるかも。

« 2014年8月 | トップページ | 2014年10月 »