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2014年7月

幼児の経験世界 泣き方の変化そしてヒステリー、自己愛

保育園のイベントがあった。そして、うちの娘のお友達の弟に会った。新生児である。

で、この赤ちゃん、盛り上がった雰囲気に不安になったのか、泣きだした。うちの娘は、「いないいないバアっ!」の技を使ってみるが、なかなか効果がない、、。

なんて純粋ひたむきな泣き方なのだろう(あぁ懐かしい!)。

うちの娘もこんな時代があった、と感慨する。

幼稚園に相当する年代ともなると、泣き方も相当違ってくる。意図的とまではいわないが、”操作性”を帯びてくる。これは、正常な発達の一段階。

操作とは、”○○してくれないと、泣いちゃうぞ”とか、”かわいそうだろ、なんとかしろ”なんて意味合いがあるという意味。少なくとも社会性が芽生えているわけだ。

進化形では、横目でチラッと親の様子を確認しながら実効性を確認するとか。

このレベルになると、将来ヒステリー型の性格になるんじゃないかと心配かも。子ども的未熟さを残しながら、”操作”スキルを発達させるタイプの人である。

大人の世界になれば、いずれ「ダメなものはダメ」って現実に直面するわけだが、日本の文化はこの点寛容ではないか、とも感じる。

最近、問題をしでかした県議会議員がその会見で、異様な号泣をした例があった。さすが、ネットの時代だ。これ、海外メディアでも取り上げられる事態となった。

その結果、もともとの問題(違法性)がかえって見えなくなってしまった。たぶん、かなり未熟な人格面を残していて、高度な演出ってほど意識化はされていないのだろう。しかし、一定の効果があった。これが、この人の政治家スキルなのか。

ウェブサイトを観る。これもまた興味深い。政治家は、「見て見て、このスゴイ私」、こういった自己愛がなくては、務まらないとは思う。だから、政治家一般に、大きな自分の写真を載せることは普通であるし、ポーズなんか決めたりする。

しかし、この人のウェブサイトの場合は、壁紙まで自分の似顔絵で埋め尽くされていた。自己愛の極みである。

結論すると、ヒステリー性、自己愛性が顕著な特徴の方。

さて、子どもの話に戻ろう。

自己愛ってそれだけで悪いものではない。というか、すごい自分のイメージに励まされて子どもは成長するといっていい。

立った、しゃべった、字を書いた!できないことができる、そこで大人は拍手喝さい、子どもは得意になって、さらに挑戦する。

でも、やがて気付く。気付かなくてはならない(テレビのスターとかは別、これを最大限生かすわけだから)。

いつも拍手があるわけじゃない。自分は、特別じゃないってこと。

しかし、だからといって自分が無価値になるわけでない。心の芯に無条件の自己肯定があればいいんじゃないか(ぼくはこれを大きなYESと呼んでいる)。

この大きなYESがあれば人生なんとかなるし、それを育むのが親の務めかな。

妖怪ウォッチを批評する~子どもの文化史

つまり子どもとの付き合い上、このアニメを観ている。幼稚園から小学校低学年までが視聴者の中心だろう。

アニメといっても、多角メディアの題材で、玩具であり、コミックでもあれば、ゲームソフトでもある。子ども的には、キャラクターメダルの収集がポイント。

日経新聞によると、メダルの販売が年内に1億枚とある。巨大事業だ。

メダルというのは、妖怪メダル。主人公(ケータくん)が、妖怪と仲良くなるとその妖怪からメダルが貰え、ウォッチを使うと呼び出すことができるって筋書き。

つまり、ポケモンの延長にあると考えていいだろう。しかし、ストーリー上、妖怪ウォッチを持っているのは、主人公だけ。身近な人たちを困らせる妖怪と闘うときに、ウォッチとメダルを通じて必要な妖怪を呼び出す(召還する)形である。

また、ウォッチの機能は、通常見えない妖怪を発見することでもある。世界観、というほどでもないが、日常の不自然な現象には、妖怪の関与がある、という設定だ。オリジナルな妖怪が多いけれど、妖怪って本来そういうものだろう。

闘うといっても、退治ではなく、通常は和解して、友達妖怪が増えていくことになっている。

場面は小学生の日常世界である。テイスト的にはゆるい。下品な面もあるけれど(たとえば、学校でウンコしたくなった男の子の葛藤)、クレヨンしんちゃんほどではない。

アニメのエンディングのダンスにも注目したい(ようかい体操第一)。バカっぽく簡単で、覚えやすい。うちの娘の保育園では園児たちが歌って踊っているらしい。

これ、大人の飲み会の二次会で使えるんじゃないかな。頭にネクタイ巻いたりして。

メディア上のキャラクター収集の点で、ポケモンの延長と書いたけれど、おそらくその元祖は、昭和の仮面ライダーカードだろう。

かくして子どもの文化史が続いていく。その背景を読み解くことも興味深い。

で、少し大げさに言おう。仮面ライダーの時代は科学の時代だったけれど、妖怪ウォッチには、アニミズムの復権の気配がある。

ゲール語のテイストを学ぶ その11 日本

貴方(日本人を想定)がアイルランドを旅したら、やたらに「中国人!」、「中国人か?」と言われ、うんざりすることもあろう。

そんなとき、I am a Japanese. と答えれば済む。しかし、このサイトに来てくれた方なら、ゲール語で答えてやろう、と考えてくれたらありがたい。

私は日本人です=Is Seapa'nach me' / イス シャポーナッハ メー となる。

これを英語的な語順とすると、Me' is Seapa'nach .

つまり、私がme' で is がイコールの働き(=)、日本人は、Seapa'nach 。

この場合、それぞれの単語は、なんとなく、英語の知識だけで推測がつく。

語尾の「ch」は、ドイツ語ぽい発音で、キレのある「ハッ」、これかっこいいかも。

じゃ、日本は、シャーパンとか?

だいたい、そう!日本は、Seapa'in /シャパイン、、、だけど、ここからがややこしい。

国名によっては、定冠詞のan がつくことがある。

イギリスなら、Sasana/サーサナでいいのだけど。

では、日本は、An Seapa'in か?

いや、さらにややこしい。

文法の規則により、この場合は、Seapa'in が語頭変化してしまう。

文法によれば、定冠詞 an (英語のthe)の次にSで始まる女性名詞(日本は女性名詞なんだそうだ)が繋がる場合、

語頭に、「t 」をつける。

したがって、日本は、An tSeapa'in 。

読み方は、アチャポーィン。「t」のせいで、「s」の音が消えちゃう。なんだかしまらない名前だが、仕方ない。

日本から来ました、をゲール語にすると、

Is as An tSeapa'in me'. イス アス アチャポーィン メー となる。

as は前置詞で、英語のfrom に相当。

関連する余談を一つ。

僕がホームステイした家族で、なんだか神妙に、ジムくん(小学生の男の子)が僕に尋ねた。

「パディーは中国人なの?」(パディーとは、この家族が僕につけたあだ名である)。

背景的には、このころいろいろ事件があったらしい。

僕の答えは、

「ちがうよ、Land of POKEMON、日本から来たよ」。

「POKEMOooooN!」

ほんと、このときのジムくんの目の輝きは忘れられない。ポケモンってそのまま通じるんだね。アニメのおかげで、なんだか敬意を受けてしまったわけ。

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