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2014年6月

高尾山紀行 その5 樹上のラン セッコク

高尾山は、植生の豊富さでも知られている。それは、古い寺院の管理下に置かれ、木の伐採などが厳しく制限されてきたこと、水辺も乾いた尾根もあり、環境の多様性があることがその理由だと思う。

セッコク(石斛)は、着生ランの一種。他には、カヤランも自生しているが、見ごたえのあるものは、やはりセッコクだ。Photo

着生ランとは、木に張り付いて育つランの種類。その独特の形態から、一部の園芸家の間ではよく知られている。

今回、撮影の機会を逃したけれど、渓流沿いの登山道6号路のセッコクは荘厳である。観察ポイントの表示まである。

一定の期間に限り、巨木が雪を被ったようにその花で覆われるのだ。

この写真は、ささやかだが、サル園近くの樹で咲いていたもの。撮影は、5月末。

通常、苔が生えるような木の枝、幹に着生する。この写真のセッコクは、地上20m木の又に着生しているが、ここ、乾きすぎない微妙なポイントなのである。

成長の遅い植物なので、これくらいの株なら、種から育って20~30年くらいだろうか。

ふもとのケーブルカー乗り場にも咲くが、こっちは植えたものだろう(実際は、植えるというより、貼り付ける)。他にもあるだろう、けど、花が咲かなくては発見は困難。

話は戻るけれど、6号路のセッコクは、なぜあれほど集中しているのだろう。暗い渓流沿いなので、空中湿度が高い点は最大理由。しかし、非常に限られたポイントでもある。

いわゆるパワースポット的な”何か”がありそうな気配である。

ラテン語の世界 その23 挨拶、さようなら

ラテン語の世界は、ほぼ文献の世界なので口語表現を知ることはほとんどできない。でも、かろうじて「さようなら」なら、ご紹介できる。

日本語で、さようならは、「左様なら」だ。極端な省略である。”状況上、左様なら(そういうご都合なら)、お別れしましょう”、なんてニュアンスだと思う。もっとくだければ、「じゃあね」。

でも、「お元気で」といえば、その場に緊張が走るかも。もう会えないかも?って含みもある。

どちらかといえば、ラテン語は、後者に近い。

相手が、一人なら、Vale/ワレー 、複数なら、Valete/ワレーテ。

(Vは濁らない)

これは、派生的な表現である。

Valensなら、健康な、力強いの意味だし、Valentiaなら、体力、能力そして勇気、の意味もある。反対に、(長いけれど)、Valetudinarium は病院だ。

だから、Vale、Valeteは、もともとお元気で、の意味。これがさようなら、である。

思うのだけど、ぬるい日常にひたっていると、こういった感覚が薄れてしまうのでは。

人生のいいことって、予測しやすい。しかし、悪いことって、いきなりが多い。

ついでに、ゲール語も。

Sla'n/スローン これが、”さようなら”。もとの意味は、安全、健康 である。

これなど、お互い、厳しい現実を生きる人たちの祈りの気持ちを感じる。

アナと雪の女王 その8 自分らしさと社会

つまり、Let It Go が受ける社会背景。

日本語バージョンでは、特にこの点が強調されている。

けど、”自分らしさ”って、なかなか把握できない概念だとも思う。そもそも、普通、自分らしさってものをどれだけ明確に把握できているのだろう。

厳密に考えるなら、それを知りたいのなら、個別式の心理検査・能力検査がいい。だけど、雰囲気的に違うとも思う。

社会的な居心地の悪さ、ときには社会的衝突とか、こんな場合に、自分らしさ、が自覚されるのだろう。

すごく意地悪な発想で分かりやすくいうと、それは”こだわり”であり、”不適応”でもある。

もちろん、それなりの事情のある人もいることを考慮しなければならないが。

エルサが、Let It Goを歌う場面、あれって、俗にいうと、「ブチ切れてひきこもる」劇的な場面である。

しかし、このストーリはそれで終わらないわけで、そしてエルサは、これまで以上に社会適応を果たす。実に健康的な話なのである。

心理学ネタで解釈すると、A.マズローの自己実現のプロセス。

これは、現在、非常に影響力のある理論だ。(マトモな)企業の人材活用、産業カウンセリング、コーチングなど、多くはこれをベースにしている。

しかし、本当の自分らしさとは、忍耐をもって社会的現実と向き合うことで造られるものである。

”こんな仕事、自分らしくない”って、転職ばかりしていてひきこもってしまうとか、あまりに多すぎ?就職以前、大学だって、同じような状況と感じる。せっかく入学しても、辞めちゃう学生は、1/8 くらいかな。

 

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