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イエスとクリスマス

うちの娘が、いう。「クリスマスってキリストさんの誕生日のお祝いなの?」

どこで聞いてきたのか、ミッション系の保育園でもあるまいし。

答えは、「イエス」。これ、洒落になっている。

キリストって、”救世主”の意味だから、歴史上の個人名としては、イエス。イエス=キリストと宗教上の解釈する人たちがキリスト教徒の人である。また、教義上、人としてお生まれになった神でもある。

一方、そんなわけはない。イエスは、神の言葉を預かった預言者の一人にすぎない(最後の預言者ムハンマドこそ重要)。

と、解釈する人たちもいる。その人たちがイスラム教徒。

いや、彼は、うちの宗教から派生した異端の教祖だ(直接聞いてないのだが、たぶんこんな感じ)。と考える人たちは、ユダヤ教徒。

こんな具合に、中東由来の一神教がイエスに関連して説明できる点が興味深いと思う。

話をクリスマスに戻すと、なぜ今日がイエスの誕生日かという根拠は全くないが、厩(うまや)で生まれ、朴訥な羊飼いたちが最初の祝福を述べるエピソードは感動的である。それは、史実にも近いのだろう。

おそらく社会の下層にイエスは生まれた。それは、大きな宗教的インパクトでもあるし、弱者への配慮に心を配った彼の生き方にも通じていると思う。

世の中には、「クリスマスだからって楽しんでいられないような苦境にある人たち」もいることを改めて考えてみる日があるとしたら、今日であるし、それはイエスの教えにかなったものである。

C.ディケンズの”クリスマスキャロル”は、こういったクリスマス精神?を率直に描いたものと感じる。

そして、余談。

「それって結局、チャリティー止まり。虐げられている人を本気で救う気なら、社会の仕組みを根本的に変えなくてはダメ」って主張もある。

この筋の王道がマルクス主義。

この考えは積極的な無神論なのだけど、元をただせば一神教の基盤の上に立った思想であることを指摘した哲学者がいる。それが、K.レーヴィット。

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