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2013年11月

子どもとの会話 人はどうして生まれてきた?

幼児期は、言語の発達について性差が大きい。どちらかといえば、男の子の方が遅れがちになる。

とはいえ、、、

昨日は、男の子からでかい質問を受け(いきなり剛速球)、思わずその重さにたじろいでしまった。

うちの小娘のお友達のことだ。

娘を保育園に迎えに行くと、Dちゃんが、意を決したようにやってきて、

「人はどうして生まれてきたの?」と尋ねる。

一瞬、受精から出産のプロセス?か、とも思ったが、このように答えてみた。

「幸せになるためにだよ」

そしたら、何か深く考えている様子だった。

次は、「幸せってどういうこと?」

なんて、あるかも知れない。

答えは、もう、用意してある。

「必要とされて生きていくことだよ」

余談だが、あのフロイトが、

人生に必要なことは何か端的に答えているそうだ。

いわく、「愛すること、働くこと」。

ラテン語の世界 その19 主語そして法教育

ヘンテコな題名だけれども、かなり重要な話かも?

日本の文化は、「主語」にこだわらない特徴があると思う。法的な表現では、権利・義務の主体が不明瞭になりやすいってこと。

しかし、ラテン語を基盤としてきたヨーロッパ系の文化では、「主語」なくしては始まらない。それは、当然、言語の構造にも関連している、と、いうか言語が文化の形を造っているというべきか。

今、法務省が「法教育」に力を入れているけれど、つきつめれば「主語」をどれだけ意識しているかの問題にもかかわる。

一般市民が法律問題に巻き込まれるとき、この主語がいやおうなく出る。

そもそも、契約書の類って複数の「主語」が確定されないと意味を成さない。

こんな話がある。

かなりの資産のある家で、相続が発生した。

広大な土地は、当然、登記がなされている。ということは、国家がこの土地だれのものか、持ち主(主語)があるので、まあいい。

でも、仏壇の中には、長年の間に、多額の現金が詰め込まれていた!

これ、誰のもの?関係者は当然のように、かつ漠然と「一族のもの」という(民法上の主語不明)。

そんでもって、泥沼の相続紛争勃発。相続人の個人資産として仕切りなおす必要があるからだ。

民法って、それなりに日本の文化を受容しているけれど、その本質は、ローマ法由来のヨーロッパ文化の産物なんだよね。

やっと、ラテン語の話。

実は、ラテン語の文章では、(英語等と異なり)人称名詞は通常省略されている。

話が違う?

いや、「主語」の記載がなくてもよいほど、文法がガチガチに、「主語(主格)」に合わせて決められているからである。

日本語で、単に「愛する」とはいえる。「誰」が愛するのかは、前後の文脈で読み手が推測することが期待されるわけ。

でも、ラテン語では、動詞の変化自体で、「主格」が決まる。

私は愛する、Amo

貴方は愛する、Amas

彼、彼女は愛する、Amat

私たちは愛する、Amamus

貴方たちは愛する、Amatis

彼らは愛する、Amant

こんな具合。(余計なことをいうと、さらに過去完了、未完了未来、受動、命令とかの違いで変化しまくりまくる)

例外的な英語なら、現在形ならLove,Loves だけですむけれど、ヨーロッパの言葉の基本は「主格」の厳密さにあると思う。

こういった言語世界にある人たちは、法律文化になじみやすいのではないだろうか。そして、法務省の法教育推進って、明治政府の近代化政策の延長みたいなものだ。

それは、市民社会とか、グローバル化とかにも関連しているが、「主語」がむき出しになる社会って、あまり”肌触り”が良くなさそうにも感じる。

ラテン語の世界 その18 AURA

辞書では、その意味は、第一に微風。その他、空気、光、風、蒸気、香気、人望とかある。

ギリシャ語では、もともと息の意味だそうだ。

いわゆるオーラとして、今の日本でも使われているが、特殊な感受性で把握される人物などの雰囲気、って具合かな。

昔の人は、そういった微妙な何かを、とても体感的に、五感すべてで感じ取っていたと推測できる。

源氏物語にも薫の君、なんて登場人物がいる。人の魅力が薫になるなんて、感じる方も鋭い感性だ。

微風で思い出すことがある。それは、ある占い師の悩みだった。

彼女はしばしば風という表現をその神秘的な直感に使っていたが、彼女によると、あるクライエントの風がどうにもならないという。このままだと、明らかにひどい死に方をするが、伝えても回避できない、と言っていた(その後のことは知らない)。

ここまでいうとまったくオカルトな話だが、よくも悪くも言葉では表現できない人物の雰囲気ってものはあると思うし、それは特定の”場”にも当てはまるのかも。

同時に、人はそれを感じとる感性を本来持っているはずだ。この感受性によって望ましい関係を持つこともできるだろうし、また、危険も回避しうるだろう。

ただし、現代の社会環境は、こういった感性を育むこと、発揮することがだんだん難しくなっているとも感じる。

余談だが、この感受性が、病気になることもあるのではないか。たとえば、統合失調症の人たちがしきりに表現する「電波」っていう何か。

現代だからこんな科学的表現になっているのだろうけど、アウラ的で、かつ異様な感覚をなんとか表現しているように感じる。

では、貴方ももっと正しくアウラを感じてみたい?霊能力者なんかにならなくていいけど、しっかり人と向き合う習慣とか、繊細に五感をフルに使う活動とかいいんじゃないかな。

そして五感を超えた+αを感じたらそれがアウラ。

2015.12.16追記

”スカッとジャパン” て、番組がある。嫌がらせに追い詰められた人を、思いがけず助ける人物の登場場面に、風の演出が効果的だ。

この風、これぞアウラである。

子どもとの会話 身近な植物

まだ暑い盛り、小娘と歩きながら、畑に植えられた野菜の苗を話題にする。

どんな野菜が育つかな?

そして秋、身近な野菜3種に成長した。手前からハクサイ、キャベツ、ブロッコリー。

Photo 小娘は、すでに、これらの名前を知っている。

そこで、もう一つ教える。みんなまとめて「アブラナ科」。

ここで、言葉の抽象性が一段アップする。そうすると、目に見えないものが見えてくる。

アブラナ科、ってことがわかると、モンシロチョウの食草になるとか、花弁は4枚とか、そんなことが導き出される。

そして小娘には、春になってモンシロチョウが飛び交う風景とか、花のイメージが「見える」。

心の広がりは言葉の階段を広げるほど、深くなる。

ダンスの文化 その2 タイタニックと出会いの形

タイタニック、この映画は楽しむアイルランド入門にふさわしい映画でもある。なんたってタイタニック号はアイルランド製でもあるし。

ジャックとローズの踊ったダンス、詳しい人は、「あんなの本物じゃない」というけれど、雰囲気は良く出ていると思うし、音楽は正統である。

男女がペアで踊るアイリッシュダンスの様式、これをセットダンスという。いわゆる社交ダンスの範疇に入るのだろうけど、男女の役割が対等である。これは強調しておきたい。また、普段着で楽しむダンスでもある。

僕がセットダンスを習った団体は、CCE Japan (アイルランド音楽家協会日本支部)だ。ただし、最近の状況はよく知らない。

アイリッシュダンスの日本公演はしばしばあったりする。けど、当然、観客に見せるダンスであって、集まって自分たちで楽しむダンスではない。ただし、アイリッシュダンスであるわけで、足技が重要なところ。

相手がいる、ってことはさらに重要だ。相手に合わせた気配りが必要になる。一人の個人プレーで盛り上がっては×。

生身の相手に、一定の洗練された文化様式で対峙することの重要さ、これが僕の伝えたいことの核心である。そこには、相手の人格がはっきり現れるだろう。

ところで、最近あった凄惨な事件(三鷹市の事件)はまだ生生しいインパクトがある。フェイスブックで知り合ったサイコパス・ストーカーに高校生が惨殺されたあれである。

かなり異質な文化的背景を持った出会い、という点では、タイタニックのジャックとローズみたい?で、その意味、最初は刺激的なロマンスと感じていたと推測するけれど、彼女にとって早めに見極めるすべがなかった点が残念である。

、、、極端な話で深刻になってしまった。が、新しい出会いを求める人には、一つの正統な出会いの形がダンスであるとお勧めする。

もう少し広くいうと、出会う相手を文化のふるいにかけるということ。

ロールシャッハテストのお勧め?

なんと、今日がロールシャッハテストの創始者Hermann Rorshachの生誕129周年の日である。何で、129なんて半端な数かって、それはグーグルに聞いてください。だって今日のウェブの表紙がこの内容だから。

最近、久しぶりにロールシャッハテスト(以下「シャッハ」と省略)を実施する機会があったが、ひさしぶりだから余計時間がかかる。

時間がかかる、というのは、実施したあとのデータ処理が大変なのだ。そして、レポートにまとめたりしたらこれだけでも大仕事。

でも、21世紀になってもこれ以上のテストはない。

もし貴方が心理学科の学生だったら、ぜひその技術をモノにしてもらいたいと思う。実際に将来仕事で使うかどうかは別として、これを学ぶと人の心の仕組みが構造的に理解できるという代物だから。

つまり、この解釈理論だけで、性格心理学の体系になっている。だから、発想的にいろいろ応用もできる。

では、テストされる側としては、どうかというと、されること自体が難しい。というのは、どこで?ってことだ。

それなりの検査が必要な精神科の患者になるか、特殊な事件で、少年鑑別所若しくは刑務所に入るかって話になる。

足裏マッサージ店に行くようにはいかないし。

なぜかというと、通常、実施する側として、営利的に割りに合わないのだ。

カウンセリングに併用すればそれなりに効果的と思うのだけど。

実施してる場所が場所だから、経験有、なんて人がいると僕でも身構えてしまう。シャッハは雰囲気的に「心の具合のわるいところ」を診断するイメージがあるけれど、健康な面、能力的に優れた点を診断することも可能だ。

というわけで、教育上とか、自己啓発にも活用する機会がもっとあってもいい。たとえば、うちの娘、そろそろ適齢期?適齢期というのは、見たこと感じたことを表現できる言語能力のことだ。

近いうちに実施してみてもいいけれど、幼児のデータベースを持ち合わせていないので関係資料の購入も必要、、これがシャッハのややこやしいところ。

そして余談。

Rorshach/ロールシャッハ家の紋章が僕の教科書に記載されているが、盾に真紅のバラ5輪。この姓の語源は、「真紅のバラの群れ」だそうだ。

TOEFULとWASPそして古典の日

今日の日経、「一億総TOEFUL時代!?」とある。

国家公務員試験にTOEFULを使う指針が決まったからだ。

TOEFULの本来の意義は、北米の大学・大学院入試基準なんだけど。

このブログでは、グローバル化は、WASP化じゃないか、といろいろ書いてきた。つまり、露骨にいうとアメリカ基準に従うことの地ならしである。

一方、今問題になっているアメリカを中心とした国家的スパイ活動、メルケルが怒ってるあれだ。その参加国は、みなWASPな国である。

そこには、明確な枠があって日本やドイツは入る資格がない。この”スパイ同盟国”すべてに多くの移民を送り続けてきたアイルランドも入っていない。アイルランドは、「WCC」だから(白人、ケルト、カトリック)。内輪で「入れようか」と話したこともあったかも、しかし、イギリスは強く反対だろうね。歴史的に。

とはいえ、英語は大切である。このブログ(英語に対抗的)の書き手が言うのだからほんとうだ。

でも、自分たちの根っこ、固有の文化を守るってことがその条件。そうだ、今日は「古典の日」である(古典の日に関する法律、平成24年9月5日制定)。

アイルランドの例は参考になるだろう。数百年の植民地支配で浸透した英語を第二共通語として活用している。ユーロ圏で英語圏の国はアイルランドしかない。

それでいて、古来の言語、ゲール語は相当無理して守り続けている。

この時代、「古典」を失った国は、文化的植民地になってしまうだろう。先の法律でいう「古典」とは、源氏物語とか、ばかりではなく、「価値のある継承された生活文化」も含まれることが肝心なところ。

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