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2013年10月

ダンスの文化 その1 ダンサー信長

電車の中で思いついた企画を開始する。

日本の歴史を決定づけたダンスがある。あのとき、つまり織田信長が今川義元に攻め滅ぼされていたら秀吉も家康も世に出る機会なんてなかった。

迫りくる大軍団に家臣たちは縮み上がり篭城戦を献策したが、この若き猛々しい指導者は、「敦盛」を舞い謡うことで応えた。そして絶望的な桶狭間の決戦に臨む。

ほんと、かっこよすぎ。ビジュアル系の演出。

そして家康の人質開放とか、歴史の経緯はともかくとして、この舞は、劇的な演出、意志表現を持つ高度なコミュニケーションツールとして使用されたことに注目したい。

芸術的身体表現。こういった素養のある指導者って、今の日本では想像もつかない。というか、受け入れる素地もない。

信長の例でいえば、ならば!って、そこでザクッと起動する家臣団も素養がある。

歴史が下って幕末でも、京都のお座敷で新撰組の隊士が郷里の多摩の踊りを披露したって話がある。関東人はそれほど、、野蛮じゃないってPRになったかも。

日本人は踊らなくなった。これは、何か重要なものを失ったような気がする。

そんなことを念頭におきながら、このシリーズを続けてみたい。

ラテン語の世界 その17 Xperia

駅前で号外新聞?、といってもスマホの広告であった。

このスマホのネーミングが気に入ったので書く。

もっともらしいが、見事な造語である。このもっともらしさは、〇〇〇ia ラテン語の語尾の効果だろう。

前にも書いたが、こういったラテン語語尾の使用は、造語を考案するうえでなかなか使える。

この造語のよい点は、よく知られた英単語”体験”/experience を想起しやすいことだ。

”格別の体験を”とキャッチコピーにもある。

この英語は、元をたどると、ラテン語experientia(試し、経験) に行き着くけど、商品名として長すぎる。商品名はこれをうまく短縮した感じ。

この商品はカメラ機能の向上を意識しているようだが、ほんと、この方向の技術向上は目覚しい。

で、お前はどうするかって、

そうだ、この秋は、白黒フィルムで写真を撮ろう!

冷蔵庫に英国製イルフォードフィルム(ILFORD)が眠っているし、、

ハローウィンの民俗学

うちの娘は、ハローウィンのイベントで味をしめ、保育園に着くなり大人を見れば「Trick or Treat」を連発している。

でも、まだ、この決まり文句までは普及していない様子。先生方は「???」。

このイベント、子ども的にはお菓子をゲットできる点がミソだが、秋のお祭りシーズンは、ハローウィン関連ではなくても、こういったお菓子をもらう機会がいろいろある。

先の地域のお祭りでも、もらっているし、地方の祖母まで「お祭りでもらったので、送ろうか」と言っている。

そもそも、日本の伝統行事でも、子どもたちが家々を練り歩き、古い様式では餅とかもらう風習がいろいろあったりする。

つまるところ、その本質は、

「子どもを受け入れる地域の信頼関係の表現」だと思う。これは、大切なことだ。

ところで、ハローウィンといえば、「古いケルトの風習で、アイルランドがその起源」なんて説明されているが、実際のところ微妙、と感じる。

特に、アイルランドが本場!で盛り上がっている様子はなさそうに感じる。あるとすれば、アメリカからの逆輸入じゃないかな。

とりあえず、アイルランドで撮影したそれらしい?写真を載せてみる。これ、撮影が9月だから早すぎ。かつ、「電柱にしがみついた魔女」というのも意味不明。

ちなみに、アイルランド・ゲール語でハローウィンは、Oi'che Shamhna(イー ハウナ)。

Oi'che が「夜」、「Shamhna」は11月の、を意味している(ハローウィンは10月31日のはずだけど)。

Photo

そして先のイベントの余談を一つ。

実は、僕もささやかに仮装してみた。仮装というより、「古い時代の正装」だけれども。インバネス(トンビ)は、けっこう好評であった。

奄美紀行 その5 子どもたち

子どもたちの様子は、印象深かった。こどもとは、本来こういうものだと実感した。

こんなエピソードがある。鄙びた海岸地域をドライブ中、昼食どうするかと課題ができた。

幹線道路をはずれ、集落の広場に来た。

上は小学校低学年、下は3歳くらいか、よく日に焼けた子どもたちが群れて遊んでいる。大人はいない。

「この辺に喫茶店があるはずだけど、食事できる?」と尋ねると、リーダー格(おぉこれぞガキ大将)の男の子が丁寧に答えてくれた。

自分の”地位”をわきまえた応答に少し感動。

しっかりしている。きっと、小さな子どもの面倒もよく看ているのだろう。子どもたちが、自前で保育園を運営しているようなものだ。

両親が観光している間、うちの娘をこの”群れ”の中にしばらく預けてみてもいいのかも、と一瞬本気で考えてしまった(娘も参加したい雰囲気、、)。

子どもたちが、それなりに自立した社会を作っている。こんな様子をほかの場所でもいろいろ観察することができた。

内地の過保護な親の目ではヒヤヒヤすることばかりなのだが。

それは、たぶん、こっちがおかしい、のだろう。

シラタマホシクサ いざ、星々の世界へ

この花が咲くと、秋の始まり。

秋になると、空の空気が澄んできて、星もよく見える。この植物の作り出す景観、それは自生地の湿原だが、まさに地上の星空。

これは、ささやかに鉢植えのもの。

Photo 干草、じゃなくて星草である。

その素性は、ホシクサ目、ホシクサ科、ホシクサ属、仲間はたくさんあるけれどこいつが一番星草らしい。

Eriocaulon nudicuspe が学名。

Eriocaulon は、ギリシャ語だろうけど、意味は知らない。

nudicuspe は、ラテン語だろう。たぶん、”裸の”に関連している。

芯がむき出しで、ヒラヒラ花らしい花弁がない様子を表現したように思う。

この秋驚いたのは、この植物が街の花屋さんにかなり出回っていることだ。

通常は、シブい、「山野草」の範疇として扱われるが、このようにかわいくポップな花なので、一般うけしやすいのだろう。

注意すべきは、一年草であること。

つまり、枯れたらおしまい。そのまま、来年下から芽が出る、とかない。

植物本体が枯れても、花の白さは保たれるので、ドライフラワーとして残すことができるはず。また、無事に花期を終えることができたのなら、白いモコモコの中に黒い種子が見つかるはずだ。

いろいろ工夫が必要だが、この種子を育て、また来年咲かすことができる。

子どもとの会話 自然と幾何学

(娘) まんまるなものっていーっぱいあるよね。どうして?

(私) 自然はまん丸なものが好きなんだよ。自然の力が働いて、まん丸をいろいろ作るん  だ。地球もお月様も丸いよね。

 それから、水の粒とか小さいけど丸いし。おまえだって、一番最初、お母さんのおなかの中で小さな丸い卵だったよ。

(娘) でもー。四角いものもいっぱーいあるよ。

(私) うん。それは、みんな人間の作ったものだよ。自然が作ったものじゃないから。

〔付録〕思想史エピソード

プラトンは、自然の背後にある幾何学的秩序に注目していた。また、そこには、円や球体を完全な形とする発想がある。

特に、天体とその運行のように、高次の自然界に属するものはいっそう鮮明にこの秩序が表現されていると考えていた。

この発想は、後の地動説、そして太陽系の仕組みを解明する上で重要な下地になったが、その難点は天文学者たちがあまりにプラトンに忠実すぎたことにあった。

つまり、惑星の周期を完全な円と考えると、「計算が合わない」のだ。この難問突破したのがヨハネス・ケプラー。彼は、正円ではなく、楕円軌道を想定することで太陽系のモデルを実際の観察結果に整合させることができた。

ただし、ケプラーの法則のように、ざくっと単純計算で天体を把握する手法は、プラトン主義の応用型といえる。それに、なにを隠そう、この人忠実なピュタゴラス主義者で、元、宮廷付占星術師でもある。

 

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