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ドイツ語のテイストを楽しむ、そして世界を観る

そもそも、自分のドイツ語能力といえば、大学の第二外国語履修、以前の仕事で多少の挨拶程度、ドイツ語検定3級受験勉強(結局受験もしなかった)位であって、しかもずいぶん間が空いてもいる。

しかし、先週末、故あってドイツ人が家に泊まることになり(日本ビール数種用意)、ドイツ語は事前に再履修となった。

以下、ドイツ語に興味のある人に紹介したいのだが、

この鋭い切れのある発音、やっぱり生に限る。あと特有のウムラウト(発音記号)付きの濁りもシブい。質の良い緑茶みたいだ(僕の発音は軽すぎの様子ともわかる)。

加えていえば、文法も整然としているし、読み方は規則どおりに読めばよく、英単語から類推できる言葉も多い。

確かに英語より難しいとはいえ、日本人向けの教授法が確立していることも、学習には望ましい(ゲール語はそうはいかない)。

で、マトモに話せるのかって?僕、ダメです。

ごくごく基本部分だけ、あとは英語。でもね、相手だって英語圏からすればガイジンなんだ(相当話せるけど)。だから崩さずきちんと話してくれるので、かえってネイティブよりわかりやすい。

しかし、よく考えてみよう。

日本人とドイツ人が、わざわざお互いの言葉ではない英語で、意思の疎通を計っている状況のこと。

この場合、共通点はお互い敗戦国ってことだ。つまり、第二次大戦後の世界秩序が英語の優位性を決定づけたということ。

さらに、最近乗り遅れてはならないって大騒ぎしている、いわゆるグローバル化。その本質といえば、WASP化かも知れない。

確かに英語は使える言語なのだけど(以上の例のごとく)、これができる、できないってこだわりすぎるとしたら、植民地の原住民の感覚に近いと感じる。

その点、ドイツ語は対等感覚の言語といいたい。文化的にあれこれお世話になっているし、その敬意の表明でもある。

以下余談。

彼から聞いた話だ。彼は、良心的兵役免除の替わりにイスラエルの病院で社会奉仕活動をしたそうだ。

なぜイスラエルかって?、、、ってことか。

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