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2013年8月

所作と幼児教育、そしてバイオリン

新聞で見た本の広告のこと、「禅が教えるほんものの生活力」って本だ。その説明に、「無駄のない理に叶った所作は心も調えてくれる」とある。で、所作。

社員教育として、「雑巾がけ」から始まる清掃活動なんてものも注目されているけれど、それは保育園など最初の社会生活のマナーから始まっていると思う。まさに所作の基本。

たとえば、元気な挨拶って、「挨拶」自体元は禅の言葉だ。それは非常に形式的なものであるけれど、見る人が観れば、千差万別の内面的自己表現かも知れない。

(このブログの常として)話が大きくなるけれど、慶長遣欧使節団。つまり、日本とヨーロッパ交流のさきがけだが、先方では至って評判がいい。

その一つの理由として、「立居振る舞いの洗練」があったとどこかの本で読んだ記憶がある。言葉はろくに通じなくても、その心のあり方は通じたわけだ。

言葉を換えると、「所作とは一級の教養」といえる。

ところで、うちの保育園のクラスでは、子どもの年齢的なこともあって父兄の間では、「そろそろ習い事」とか、気になっているムード。

確かに、それは重要だろうけど、特技を本当に生かすのは所作の裏づけあってこそ、とも思う。

うちの娘は、バイオリンを習っている。子どもの習得能力の高さはすごい、でも、本当によかったと思うことは、親子間では学べない、師弟関係のマナーを身につける機会があったことだ。

また、奏法、バイオリンの扱い方などこれはまさに一連の巨大な所作の体系。

バイオリンとは、恐ろしい楽器だ。数百年形が変わらず、同様に習得方法も厳格な型があるようだ。

「自分らしさを大切にする」現代の風潮とは真っ向対立する?

左利きの子どもは、弓を左手で持ってもいいか?

いや、個性をウリにするプロ奏者も、最初にたどった道は同じだったはず。

そして、注意事項、子どもは親の所作もコピーする。これが一番怖い。

デジタルな感性、アナログな感性

最近の日経記事で知ったこと、それはカセットテープが音質的に見直され復権しつつある事実。

大きな音楽ショップの片隅に、その多くは演歌系だがカセットテープのコーナーがあって、「まだ、カセットで聞いてんの?」と思ったことが恥ずかしい。あー時代に遅れていた。

新しければ、よし、って、それは20世紀的な限界なのかも。

そういえば、最近写真家の方と話したことだ。写真の質上、デジタルとフィルムの違いについて。

確かに、デジタル一眼レフの最新機種の画像はすばらしいが、我々自体、画像を見る感覚が、すでにデジタル慣れさせられている、と聞いた。

なるほど、注意してみよう。と、思った。

鈍感さと利便性は、相補的な関連があるのかも。

ドイツ語のテイストを楽しむ、そして世界を観る

そもそも、自分のドイツ語能力といえば、大学の第二外国語履修、以前の仕事で多少の挨拶程度、ドイツ語検定3級受験勉強(結局受験もしなかった)位であって、しかもずいぶん間が空いてもいる。

しかし、先週末、故あってドイツ人が家に泊まることになり(日本ビール数種用意)、ドイツ語は事前に再履修となった。

以下、ドイツ語に興味のある人に紹介したいのだが、

この鋭い切れのある発音、やっぱり生に限る。あと特有のウムラウト(発音記号)付きの濁りもシブい。質の良い緑茶みたいだ(僕の発音は軽すぎの様子ともわかる)。

加えていえば、文法も整然としているし、読み方は規則どおりに読めばよく、英単語から類推できる言葉も多い。

確かに英語より難しいとはいえ、日本人向けの教授法が確立していることも、学習には望ましい(ゲール語はそうはいかない)。

で、マトモに話せるのかって?僕、ダメです。

ごくごく基本部分だけ、あとは英語。でもね、相手だって英語圏からすればガイジンなんだ(相当話せるけど)。だから崩さずきちんと話してくれるので、かえってネイティブよりわかりやすい。

しかし、よく考えてみよう。

日本人とドイツ人が、わざわざお互いの言葉ではない英語で、意思の疎通を計っている状況のこと。

この場合、共通点はお互い敗戦国ってことだ。つまり、第二次大戦後の世界秩序が英語の優位性を決定づけたということ。

さらに、最近乗り遅れてはならないって大騒ぎしている、いわゆるグローバル化。その本質といえば、WASP化かも知れない。

確かに英語は使える言語なのだけど(以上の例のごとく)、これができる、できないってこだわりすぎるとしたら、植民地の原住民の感覚に近いと感じる。

その点、ドイツ語は対等感覚の言語といいたい。文化的にあれこれお世話になっているし、その敬意の表明でもある。

以下余談。

彼から聞いた話だ。彼は、良心的兵役免除の替わりにイスラエルの病院で社会奉仕活動をしたそうだ。

なぜイスラエルかって?、、、ってことか。

アイルランド 極上の夏 その17 廃墟村を訪ねる

日本ならすぐに草や木にに埋もれてしまうところだが、アイルランドなら美しい草原の中で往時を偲ぶ家々が点在する様子を見る事ができる。

想像力の中で、村人たちの日常に触れてみる。家の石積みばかりでなく、村のライフラインというべき泉など発見できることもあろだろう。

O.R.メリングの小説、それはアイルランドを舞台としたケルト・ファンタジーとして知られているが、「夏の王」には、アキル島の廃墟村が登場する。それが、ここ。

村というより、山、つまりアキル島の最高峰Slievemore(スリーヴモア)、を背にした新興住宅地の跡、といった場所だ。日本なら別荘地でありそうな、、。

全棟南向き、大西洋オーシャンビューである。なぜ廃村になったかって、さしたる理由はなく、もっと利便性のある場所に転居しただけのようだ。

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山腹の高みから大西洋を望む一軒のお宅である。

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背後の山々、この日は霧に覆われていた。というか、まともに山頂が見えない日の方が多い。メキシコ湾流の流れる大西洋に突き出た島であるせいか、標高が高くなると湿った風が直接に、霧や雨をもたらすようだ。

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こちらはアイルランド南西部、Dingle(ディングル)半島の先、Blasket(ブラスケット)島の村。

背後の大きな廃墟は、教会だろう。

こんこんの水の湧き出る泉もあった。近くでキャンプしている人もいて、どうぞ、とペットボトルに汲んだ水をすすめてくれた。

ネーミングしてみよう。「ブラスケット・命の水」。

夏の観光シーズンには、島へ渡る観光船が就航する。また、対岸の本土には島の様子を記録した記念館もある。

文学の島でもある。この島の旧島民から、3人の作家がデビューしているからだ。文学的着想を育む環境とは何かと、考えさせられる場所。

アイルランド 極上の夏 その16 廃墟邸宅

アイルランドの南西には細長い半島がいくつも突き出ていて、Bear(バル)半島もそのひとつ。コーク県(Co.Cork)の西部といってもいい。

この半島の中央南側の小さな入り江にこの廃墟はあった。

Puxley Manor (Manorとは城級の大邸宅)と呼ぶべきだが、Dunboy Custle とも呼ばれる。Dunboy Custle とは、文字どおり城であって、地域の支配者であったオサリバン一族の居城であり、隣接してその廃墟が残されている。

つまり、同じ地に異なる支配者たちが居を構えていたのである。

かつて、オサリバン一族が英国の支配に抗した最後の拠点、これが、本来のダンボイ城であった。

(文脈から外れるが、あの、ヘイン・ケラーの先生を輩出した一族であろう)

そして英国の植民地支配下で、鉱山開発で財をなした一族、それがパンクスレー一族であった。その栄華を物語るものが、Puxley Manor である。

しかし、その栄華は、アイルランド独立戦争の中で、炎の中に燃え尽き、残されたものがこの廃墟であった。

この廃墟に出あったときの気持ちといえば、(沈没も炎上も同じく20世紀初頭だが)深海のタイタニック号を地上見つけたようなものである。

この優雅なホールでは、舞踏会も開かれたことだろう。

が、あのジャックとローズが踊るような場所ではなかったはずだ。

Photo

そして外観はこのような具合。

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是非お奨め、と、いいたいところだが、今はホテルとして新装開店中だ。廃墟として訪れることはもうできない。

逆タイタニック体験としてはどうか。

庭園の池のような美しい入り江の脇にあり、景観的には申し分ないと思う。

アイルランド 極上の夏 その15 廃屋

たぶん、アイルランドの廃屋は一つの観光ジャンルになりうるし、また、画像コンテンツとしても応用的に期待できると思う。

かつて僕の運営したアイルランド関連サイトがあった。この中で、廃屋の写真を公開したら、 ある日のこと、「すいません、ロックバンドのライブ広告として使わせていただきました」、とEメールをもらったことがある。著作権はさておき、先に知らせてくれたなら、もっと協力の仕方もあったのに、とか、まあいいけど、

その画像がこれ、場所はコネマラ地方Maam Cross 。

Photo_2

草ぼうぼうの中、劇的な、何か差し迫ったインパクトがある家だった。廃屋としてまだ新しく、まだ歴史になりきっていない生々しさがある。

アイルランドとしては小さな家であり、両窓の縁取りなど、意図したデザインもある。往時は”けっこうカワイイ”家だったろう。

一方、こちらの方は、伝統的な様式。

軽く100年以上は経過しているだろうが、もっと相当に古い可能性もある。

長年の風雨が、家の骨格、すなわち自然石とモルタルだけを残した状態。

Photo_4 

確かに普通の人たちが生きた証だが、もはや歴史のエピソードの一つ。かすかな人間の情念の痕跡が、遠いエコーのように残っているようにも感じる。

それは、数百年、数千年単位の時間の流れに乗って、人間の構築物がゆっくり自然に還っていく過程。この超低周波に、静かに気持ちをシンクロさせてみるのはどうか。

時に、ジョークもあり?たとえば、絵葉書で見た例。

それは、中古住宅として、「For Sale」なんて表示がされていたが、中古というより超古。ただし、マジメな話、歴史をウリにした城級の住宅もある。

ところで、日本。

すべての民家の中で、人の住んでいない住宅の割合は、10%ほどだそうだ。

土壁の家など、廃墟になっても趣があったりするが、モダンなタイプはそうはいかない。

アイルランド 極上の夏 その14 コネマラの松

シンプルに、二本の松の木である。由来は特にない。コネマラ地方の湖畔に生えている。

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おりしも、暴風雨の中、すなわちアイルランドの日常の出来事。

駐車したまま、ワイパーも止めてみた。

車のフロントガラスを通して見たそのままの光景だ。

風にあおられるまま二本の松は激しくしなり、水のヴェールの中で溶けていくようだった。

奄美紀行 その4 ことばの文化

IMMORE(イモーレ)、閲覧者の方へ。

ヰ(Wi)や、を(Wo)などほとんど消えてしまった日本語の発音が、この島にはまだ残されているそうだ。この情報は、「奄美方言入門」・浜田敬助編著、南方新社 にある。

こういった日本の原文化の面影を探すことができたらすばらしい。

文献に頼らず、イェーツや柳田國男のしたように、直接聴く事ができたらもっといい。

レストランの夕食中、スタッフの方に「こんばんは」について聴いてみた。

この方、都会の名瀬出身の方(シティガール)なので、ネイティブではない。「ならば!」と、より正確な発音のできる方(トラディショナル・カントリーレディ)をわざわざ連れてきてくれた。

とりあえずのカタカナ表記で「ヨネーヤ、ウガミンショーレ」と聞こえた、これが「こんばんは」、である。今日は、だったら、「ウガミンショーレ」でOKらしい。

「ヨ」は夜、「ウガミ」は、拝む、に関連すると分かる。

こっちはハートがある。と、思った。だって、「こんばんは」なんて、極端な簡略である。ほとんど意味が残っていない。

それに比べ、奄美の言葉は、人に対する敬意に満ちているじゃないか。

アイルランドのジィア・グイッチ、直訳すれば、「あなたが神とともにありますように」もスゴイが、奄美では人を神様みたいに拝するニュアンスを感じる、もっとスゴイ。

先にご紹介した、入門書、これ、奄美地方、地域別の方言集なのだが、その地域は14種類!である。

宮古島で知ったなつかしい言葉、ティダ=太陽 も、ティダのほか、ティダン、ティーダ、ティラ、など豊かなバリェーションに感動。

そして、並べてみて一つ謎が解けた(今この場で)。

記念に奄美の海の日の出を。

ティダヤ ウガミンショーレ

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ずーっと、不思議だったのだ。ティダがなぜ太陽なのか、関連する日本語が分からなかったが、それは、「照ら(す)」だったんだ。夜が明け、世界を照らす太陽のありがたさ、この言葉には率直な感動の響が残されている。

もう一つ奄美の言葉を。

「イモーレ」これは歓迎の言葉。「いらっしゃい」に関連するのだろうけど、空港についたら真っ先に知ることができる。

さらにオマケ。もう一つ謎解き。

ところで有名な滝がある。マテリアの滝だ。最近では、パワースポットとしても紹介される。

哲学的に、MATERIA/物質(ラテン語)だが、それは違うだろう。

非常に詩的だ、「滝つぼに映った太陽にちなむ」とされるが、その説明では直接に言葉がつながらない。本来は、「真」「照り」の意味だろう。

こいつぁ、すごい。「真の日輪を宿した滝」と解釈できる。実に神聖である。

奄美紀行 その3 夜道のエピソード

奄美で初めての夜、宿の近くの山道を歩いた。山道といっても車道であり、舗装もされている。道の両脇は森、民家も散在している。

静かな森?いや、結構騒々しい、まだ鳥たちがあっちこっちで鳴いている。声だけで数種いる。おまけに、うちの娘も騒々しい。

道を小さな生物がよぎる。ヘビ類ではない。懐中電灯で確認し、捕獲する。それは、本土でいうところのアカテガニであった。

陸生のカニだ。腹を見ると卵を抱えている。これから海へ産卵に行くのだろう。娘と一緒に、「元気な赤ちゃんいっぱい生んでね」と逃がす。

次は人。民家からおばあちゃんが出てきた。「クワガタいらないかね」という。孫用に捕獲しておいたものだそうだが、当分来ないようなので、うちの娘にどうかって話。

お互い顔をよく見えない状況、不思議な出会いだが、ありがたくいただいた。

宿で調べてみる。それは、「スジブトヒラタクワガタ」であった。羽に筋が入っている点が、確定要因。

翌朝、海と一緒に記念撮影した。

Photo

正直いうと、ただの「ヒラタクワガタ」でさえ、手にしたことがないが、こんなレアな生き物に出会えるなんてさすが奄美。そしてその要因は、人の親切である。

奄美紀行 その2 笠利湾岬めぐり

奄美空港は、本島の北東に位置している。奄美大島を自分なりのプランで旅行するなら、このあたりでレンタカーすればいい。

この地域は、奄美市笠利町である。比較的鄙びた地域だが奄美パークなど良く整備された観光地もある。

たとえ絵画に興味がない方であっても、美術的に奄美を感じるうえで、田中一村記念美術館もお奨めである。

笠利町は、隣の龍郷町と向かい合う形で大きな入り江、笠利湾を形作っている。東シナ海の波頭から守られた静かな内海という風情で、この海を見ながら岬めぐりも楽しい。

岬は四箇所ある。時計回りに紹介すると、蒲生崎、崎原、倉崎、今井崎である。

この写真は、蒲生崎の展望台から笠利湾を臨んだもの。今、久しぶりのにわか雨の下にある。

Photo

今井と蒲生は人名由来であり、それぞれ神社まである。

で、お二人はどんな功績があったかというと、源氏の襲来を岬で見張った、とされる。

つまり、平家落人伝承に基づいているわけだ。源氏がここまで追ってきた形跡はないが、そのミッションはひたすらに達成されたに違いない。

僕は旅先で必ず墓場をチェックするが(地域データの宝庫である)、確かに「平」さんの名前が多い。

伝承というより、史実に近いのだろうけれど、平家滅亡のインパクトは実に大きかったと推測できる。波及的な説話が南西諸島全般に数多いが、奄美はかなり具体的だ。

次に、崎原。ここは細長い半島の先にあり、観光客も少ないが、忘れられたような場所に、飛びきり美しいビーチがある。

アダンの木陰が涼しげだった。

Photo_2

そして倉崎は、アクセスの良いビーチがあり、ホテルまである。ここの食事、特にイタリアンはなかなかのもの。

今井崎だが、ここは龍郷町である。ソテツ、バショウの自生地としても知られ、太陽を感じる周遊道路になっている。山が迫っているが、道路は広く快適だ。

以下、追記。

宿泊場所の都合上、奄美、南西地域はおろそかになってしまったが、瀬戸内町と加計呂麻島が向かいあう大島海峡、入り組んだ海岸線、このあたり、地図で見るだけでもそそられる。このレポートは今後の課題。

奄美紀行 その1 概略

帰ったばかりなので、イメージが新鮮なうちに書く。まずは、簡単な観光ガイドだ。ここは率直にいうと、総合評価的に高得点。

奄美大島は、鹿児島県の一部である。観光的には、屋久島、種子島とも関連付けられることが多い。また、大きな島でもある。佐渡に続き、日本で二番目に大きな離島である。実感として、北東の端から、南西の端まで車で2時間半くらい。ただし、信号待ちはほとんどなし。

東京、羽田から直行2時間の飛行距離。さんご礁に囲まれた亜熱帯の南の島だ。いたるところに美しいビーチがあり、穴場的な場所もある。

海には、マンタもウミガメもいる。ただし、さすがに先島諸島に比べれば海中の景観は見劣りする。

文化的には、沖縄に近いが、本土の影響も大きい。特に、音楽の文化(民謡)は奥が深いようだ。地酒(焼酎)も豊富。素材は黒糖中心である。

心に直接感じた大きなこと、それは、島民の皆さんの人当たりがとても良かった点だ。島全体に、人の心が和んでいる。だから、観光客への接し方にも配慮と余裕があるように感じた。

南西諸島の一部として、夏の旅行なら台風が気になるが、本土に近い分リスクは小さいだろう。

陸上の自然も豊かだ。楽園的に島中蝶が舞っている(色とりどり)。野鳥も豊富。地域固有の生物も多い。

マングローブの林も広大だ(カヌーがお奨め)。岸辺では、無数のカニがハサミを振って迎えてくれる。

名瀬(中心都市)の裏山!(誇張だが)には原生林がある。本土のそれとはっきり異なる点は、木性シダの林を見ることができること。

Photo_2

珍獣といえば、アマミノクロウサギ。

彼らこそ奄美の自然の代名詞。兼、イメージキャラクターでもある。

ダーク系、島のイメージキャラクター、悪役は、ハブ。ほかにも毒蛇が生息しているが、ハブは別格である。ハブを紹介する施設も二箇所あるが、まさに島の名物。

奄美の森のナイトツアーなんてものもあるが、どっちにあえるかな。いずれにせよ、奄美の森の生態系の厚みを象徴している。

僕は、本土のマムシなら二回遭ったことがあるが、こっち(ハブ)は攻撃性とサイズで別格である。通常サイズで1mを超え、最大は2mを超える。その迫力、ハブショーで見ても恐怖を感じる。

主食はネズミだが、標準サイズのハブでも、ネコを捕食しうるそうだ。

ハブとは別にヒメハブ、という種類もある。短くぽっちゃり太めで控えめな性格、こっちは意外にカワイイ。

たしかに、毒蛇は気になる野生動物だが、わざわざ夜の茂みにサンダル履きで入る、なんて人はいないだろう。常識的な旅行なら原則問題なし。

現物に出あったのは、関連施設のほか、夜間に這い出たとき路上で轢かれたもの。おぞましい写真なので、気が引けるが参考までに載せてみる。

これが、生ハブである。朝のドライブで発見した。

Photo

消えた湿原とサギソウ(Habenaria radiata)

日本の山野草人気度トップ10、におそらく入ると思う。白花しかなく、また小さな花なのだが、その優美な形状が印象深い。

わざわざ活けてみると、実感する。

Photo 学名、radiata は、放射状の、光を放つ の意味。それなりに豪華なイメージだが、翼を広げた白鷺をイメージした和名の方が気が利いていると思う。

この植物は、本来、温暖な低地の湿原に自生するが、よほど厳重に保護されないかぎり、そんな場所は日本になかなか残されていない。

また、東京、世田谷区では、ご当地の歴史的伝承に基づき、区の花、の指定をしているが、生えていたこと自体、もはや”伝説”。

苗や球根の入手は割と簡単だ。日本の野生ランの中では、栽培しやすく、手ごろな価格で購入もできる。

人気があるので、春から初夏のころ、少し専門的な園芸店なら扱っていることが多い。ただし、ラン類一般にいえることだが、ウィルス感染には注意した方がいい(感染株を買った実体験有)。

野生のサギソウ、、、一度見てみたいと思うが、自生地はかなり限定されている。保護された場所以外で見つけることは、つまり希少生物との遭遇である。近縁(同属)のランでは、ダイサギソウ、ミズトンボなどがある。

ダイサギソウはさらにレア物である。

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