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2013年6月

宮古島紀行 その13 清流の生き物とボラガー

川もない、乾いた平らな島、宮古島。しかし、水の湧く場所ならある。地名では、「ガー(泉)」と表記されるような場所だ。

宮古島の東端、断崖の続く地域に、ボラガー(保良泉)と呼ばれる場所がある。ここの泉は、水量が豊かで、なんと、2段のプールに活用されている(お奨め観光地)。

2段とは、泉のある崖の上と下を水路(流水滑り台)で連携したもの。良くできたアイデアだ。

以下の写真は、下側のプール。デザインが洗練されている。中央の木は、浜辺を代表する植物、モンパの木。

ここでは物足りないなら、目の前のビーチもある。荒波だけど。

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では、水源に目を向けたい。湧き水を集めた貯水槽、冷たい水が流れるそこは、小さな貝類の棲家になっていた。驚きである。カワニナの仲間だ。まさに、想定外の出会い。本土のものより小型のようだ。

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今年5月17日に、同じような湧き水で珍しい植物が発見されたと新聞報道(日経)があった。それは「チョウチンミドロ」という。つまり、藻である。地味だが絶滅危惧種とされているらしい。

かつて、島全体が海面下であった宮古島だが、こういった生物の由来は謎が深い。

ラテン語の世界 その14 性格と語源

大学の心理学科などで、人格理論などを学ぶ際、「パーソナリティ(Personality)の語源は、Persona、仮面である」、とか最初の講義だったりする。

今改めて、ラテン語の辞書を引けば、そのとおりだ。

この意味の変遷を考えると、あたかも仮面をつけ、社会の中でそれなり役を演じていると、そういう性格になっていく、ってニュアンスがくみ取れる。

つまり、「性格は社会の中で作られていくものである」、というそれ自体、性格理論である。

一方、「あの人はこんなキャラ」、って若者言葉的表現だが、これは性格を表す英語で「Character」が元になっている。

Characterは、そのままラテン語である。意味も、「特徴、特色」とか辞書にある。

ただし、キャラクテル、と読むはず。

それはどうでもいいが、関連語も探ってみると「Charaxo/銘する、刻みをつける」なんて動詞がある。

とすると、個人の特徴としての「性格」なのだが、ニュアンス上、パーソナリティとの違いがはっきりするだろう。

キャラクターの方は、仮面のように替えられるものではなく、その人に刻印づけられたもの、って意味合いもあるのだろう。つまり、生まれながらに決まっている特徴。

もちろん、この視点の違いは、どっちが正しいともいえず、比重の問題と考えることが妥当だろうけど、その比重につき、人への関わり方、人間観的に重要なものだ。

たとえば、人を裁く、裁判員になったら、、、この視点の違いは量刑に重大な影響を与えることは間違いない。

大学と就業力について、そしてリベラルアーツ

今日の日経新聞ネタである。日経HRによる「就業力が育つ大学ランキング」が興味深い。

ざっとまとめると、コミュニケーション能力の基盤、と僕は解釈した。ズバリ語学の大学たる東京外国語大学がトップ。ゼミ活動に力を入れる一橋大学は、3位。

このサイトでは、8位の東京大学の上をいく、総合6位(女子大中一位)の東京女子大学に注目したい。

女の子は口が達者だからコミュニケーション能力が高い?いや、それは偏見で、この大学はリベラルアーツに力を入れているからだ。

リベラルアーツってつまり俗には教養なのだけど、古典ギリシャ以来の伝統的な発想に基づいている。

「リベラル」って言葉がポイント。政治的な立場?いやいや、「自由人」、すなわち奴隷じゃない、ってこと。そうすると、凄みがある。

古典的には、高度な言論能力があって人の上に立てる人たちの素養の意味だ。現代的は主体性や協調性、これは今の企業も注目している。

直接的にいえば、プラトンの教育観そのもので、ヨーロッパの大学制度に受け継がれ、日本の大学制度にも伝わったわけ。今では、即戦力の観点から軽んじられているけれど、それは使い捨て労働力の比重が大きくなったからではないのか。

プラトンといえば、哲学なのだが、このリベラルアーツを総括するものが、哲学。

そして、東京女子大学には、なんと「哲学専攻」もちゃんとあるんだよね。

アイルランド 極上の夏 その11 羊飼い

もう一つ、ドネゴールからのレポートである。いわば、アイルランドの津軽。寒々とした光景が広がっている。山中を走っていると、羊の群れに出あった。

Sheep

もうすぐ日暮れなのに、どこへ行くのだろう。それにこの数。人はずっと後から歩いているが、彼らは黙々と行進を続けていた。

この日、ぼくはあのエンヤの故郷、GWEEDORE(グウィドー)を目指していたのだが、途中でどっぷり日が暮れてしまった。

アイルランドで宿の心配をすることは通常ない。が、この日はあせった。やっと小さな村にたどりつき、よろず屋の女の子から、BBの場所を教えてもらうことができた(なんと隣にあった)。ありがたい幸運、である。

日本だったら、街灯があったり、そうでなくても道路沿いに反射標識があったりするが、ない。自動車を走らせることに恐怖すら感じた日だった。

羊飼いといえば、この夜もお決まりのパターンで、村のパブへ行った。そこで知り合ったおじさんがもう一人のおじさんを紹介してくれた。

「こいつぁ、100頭羊を飼ってるんだぜ」って。

その人の名前は、忘れた。けど、「100頭羊男」と、勝手に記憶している。

それにしても、羊の飼育数が人の紹介に使われるなんて、思えば遠くに来たものだ、と感じたわけ。

あとは、アイルランドの闇夜。頼りない室内灯、静寂。そして曇り空の朝が来た。

心の防衛術 その2 セグメント化

結婚後、姓が変わっても職場でそのまま使い続ける人がいる。それは、仕事上の便宜でもあるが、心の防衛にも役立つだろう。

つまり、職場のできごとを私的領域まで持ち込まない技術の一つでもある。名前とは特段に重要な社会生活上のタグなのだが、名前を使い分けるということで、別な自分を演出することにもなる。

名前に限らず、たとえば服装だってそうだが、意識的に行うかどうか。これが肝心だと思う。

こういったことが、経験世界のセグメント(segment)化である。

比喩的に軍艦を考えてみてもいい。軍艦は攻撃にさらされることを前提に設計されている。本来、鉄の船は、船体に穴が開いたら、沈没してしまう。しかし、浸水を最小限にするために、軍艦の場合とりわけ多くの防水区画(セグメント)が装備されるものだ。

したたかに生きている人は、なかなかこのあたりが周到だ。老獪な政治家なんてそう。反対に、やたらパニックする(沈没騒ぎ)人って、そういった装備が未発達なわけだ。

職場環境などがずいぶんドライになっている最近の状況からすると、セグメント化の推進が必要になっているのだろう。

ただし、やりすぎると、自分を見失うリスクがあるのかも。

だから、「心から自分が自分でいられる領域」の確保もまた重要なのだろうね。

心の防衛術 その1 はじめに

アイルランドもいいけれど、長く温めたテーマがあるので始めてみよう。

ここ、いわば教養サイトなのだが、このカテは結構実用的かも、と思っている。

この名称は、「ハリーポッター」にちなんでいる。ホグワーツ校の授業科目の一つ「闇の魔術への防衛術」だ。この防衛って発想、重要と思ってきた。

心といえば、カウンセリング?で、受容し、ケアしたり、癒したり、成長させたりってわけ?ぼくもその筋の人だから理解するけど、ぬる過ぎって感じることもある。

たとえば、いじめ(問題のある表現だが)。もちろん心をケアすることも必要だろうが、「防衛術」を教えてはいけないのだろうか。

理不尽な扱いに対抗する術(すべ)、それは個人の心のありかたでもあり、社会的スキルや社会制度を活用するノウハウでもあろう。

あんまりやりすぎれば、こっちも「悪」になってしまうが、刑法には正当防衛って考えがある。反撃ってそれ自体”悪”なんだが、度を越さず、やむを得ない状況なら容認ってことだ。

かといって、ブログで護身術始めるわけにもいかないので、あくまでニュアンスとして。

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