« 2013年2月 | トップページ | 2013年4月 »

2013年3月

子どもとの対話 ソロモンの指輪

(娘)お魚の言葉ってどんな言葉?

(私)お魚はお口でお話できないよ。水の中だし。

(娘)人間も動物だよね。人間がお話できるなら、虫さんやお魚さんたちも、できるんじゃない?

(私)うーん、見たことないな。

(娘)心があるなら、言葉もあるでしょ。人間がわかんないだけで。心の中の言葉、聴けたらいいな。

ところで、ソロモンの指輪とは、伝承にある魔法の指輪のことだ。ソロモン王はこの指輪の力で動物たちと会話ができたという。

また、この指輪は、K.ローレンツの書いた本の題名にもなっている。

いわば、体験的動物行動学のエピソード集。動物たちとの生き生きとしたかかわりがすばらしいが、れっきとした科学の本である。ある程度の年齢なら子どもでも読める。

「行動」といっても、動きのメカニズムのことではない。むしろ、コミュニケーションが問題とされている。だから、この題名が付されているわけだ。

生きた自然に関わる窓口として、この本はお奨めである。

写心論 もうすぐ新学期

よい写真をもらった。幼児9人が写っている。皆その子なりの良い表情、無理のない思い思いのポーズで、視線をこちらに向けている、、、これはうちの娘の保育園クラスの全員の記念写真だ。

何がいいかって?この年代の子供を10人近く集めて、それなりの写真が撮れたということだ。とかくこの年代は勝手気ままだから全員期待通りの行動なんて期待できない。

とりわけ表情が問題。4歳の子供の表情に嘘をつくらせることなんて不可能。それがまたかわいいのだが。

つまり、これは対象だけを写したのでなく、対象と撮影者のこころ的関係を組み込んだ写真なのだ。慕われ、信頼された者だけがこんな写真を撮影できる。

というわけで、担任の先生に改めて感謝しておこう。これもこころ的関係。

ラテン語の世界 その11 葬送の言葉

Sit tibi terra levis/シット ティビ テラ レウィス

このまま冬を越せそうだ、と、思っていたのだが、メスの「コクワガタ」が死んでしまった(オスの方は生きてる)。クワガタ虫って、通常は短命なのだが、コクワガタは長生きとして知られている。

何の話かって、、これからが次第にラテン語である。

うちの娘もこの虫の死を残念がっている。そこで、マンションのベランダの大き目の植木鉢に彼女を葬ることにした。この植木鉢には、山百合が植えてあるので、初夏には彼女がこの花になることを期待している。

では、葬送のとき何というかだ。日本で一般的なものは、お経、である。お経は、古代インドのサンスクリット語が漢文に訳されたもの。

一般的な般若心経の面白いところは、最後の盛り上がりの場面で、サンスクリット語がそのまま登場する点だ。この部分もいいが、、、。

同じ古代印欧語で、権威あるものは、ラテン語である。ところで、みなさん、お経が書かれた言葉とラテン語は親戚なんですよ。

で、ラテン語でいくことにした。

かくして、うちの亡くなったクワガタ虫は、おそらくこの世が始まって以来、最初の、ラテン語によって葬られるクワガタ虫となったのであった。

娘と一緒に、表題の言葉を唱えてお別れした。

その意味は、

「土があなたにとって軽くありますように」。

これ、僕が知っているラテン語の文言の中で最も優しいいたわりを感じることばでもある。

脳科学についてその3 利き目

このシリーズ、話が堅くなったので、「脳科学」ごっこで息抜きをしてみよう。ごっこといっても心理学科の卒論のネタに使うことができるかも。

ところで、先のコメントでご指摘があったように、脳科学は俗名である。だから、脳科学科、なんてどこの大学にも存在しないだろう。

30秒でできる、脳科学ごっこ、あるいは知覚(認知)心理学実験、よろしければご参加ください。

両手を真っ直ぐ顔の前に伸ばしてください。

そして、何か小さなものを見てください。

見えましたか?

では、左目、右目一方づつを交互に閉じて、対象物の見え方を確認してください。

すると、どちらかの目を閉じたときに見えない場合があるはず。

これはちょっと驚きなのだが、誰でも普段どちらかの目を優先的に使っていて(利き目)、もう片方は補助的に使っている、と分かる。

そこで右脳、左脳の機能の違い、つまり、右目は左脳と強く関連しているとか、余計なことを考えてもいいだろう。すると、右目利きの人は、論理的に物事の見ている、なんて仮説を立てられるかも?知れない。

でも、僕の実感として、単純に、視力のある方の目が利き目になっているように思う。科学は無理のない仮説を優先するべき。

ただ、利き目の違いが性格とかものの見え方(知覚・認知のパターン)に「も」関連づけられることを排除するわけではない。

この先はかなり周到な実験と統計処理が必要になろう。

シャムロック(Shamrock)のこと

それは、アイルランド国花であり、雑草であり、日本でもあっちこっちに生えていて、でも神聖で、実在の植物でありながら、かつ伝説の植物でもある。

ウィキペディアでは、クローバーの類なんて書いてあるが、大雑把すぎて間違いだ。

そして、現物はこれである。日本名コメツブツメクサ。学名Trifolium Dubium。英語名の通称は、Lesser Trefoilまたは、suckling Clover。

Shamrock

もうすぐ、聖パトリックの日なので、この草が話題になる。「ツメクサ」の類には、シロツメクサ、アカツメクサが日本でも知られているが、これはずっと小型で花の色は黄色。

その葉は、十円玉に収まるほどの大きさ。葉のつき方がシロツメクサとは異なっている。また、シロツメクサは、葉と葉柄が直角だが、これは、ほぼ水平、また茎がはっきりある。

この写真はビジュアル性を考えて、薄緑色を保ち柔らかく育てたもの。野外で生えているものは、もっと雑草らしい。

なんでこの植物がこれほど有名になったかといえば、パトリックが三位一体説の象徴に使ったとされているからだ。

つまり、父(神)、子(キリスト)、聖霊を三つの葉にあてはめた。多分一番先が神なのだろう。

余談だけど、この三つのパワーがあるから、聖書の物語展開がダイナミックになると思う。

そもそも西洋思想史上、3はとりわけ意味のある象徴で、ギリシャに始まり、ヘーゲルの正反合の弁証法、そしてこれがマルクスにも受け継がれている。

なんとも大げさな数である。この草は、たまたまその葉の形からアイルランド国花まで格上げされてしまった。

細かいこというと、クローバーのように完全な放射状ではない点もよかったのだろう。

ところで、学名が謎なのだ。

Trifoliumは、Tri/三つ Folium/葉、なのだろうからそのまま分かる。が、Dubiumは「疑惑」。なんだろうね。この由来。

エピソードを一つ。

僕自身、最初はシャムロックの実物なんて知らなかった。アイルランドの野原で痩せて貧相なクローバー?を摘んで現地の人に聞いてみた。

その答えは、「違うよ、クローバだね。そいつは四葉を見つけるといいことあるよ。」

へー、明確に区別しているんだ。さらに絞込みを。

その後、イギリスの植物図鑑で文献上はっきり確認できたわけだが、現物を見たのは、三浦半島の海岸で、次は千葉の九十九里浜。それは、一面のシャムロックの大群落で地面が黄色に染まっていたのであった。

で、直近は、自宅から20m先の宅地造成地。一種の汎神論ですな、これは。

てなわけで、聖パトリックの福音は、沈黙のメッセージとして日本でもそこら中に届けられていることが確認できた次第(帰化植物によくある話でもある)。

脳科学についてその2 音楽あるいはポパーの世界3

前回の記事では、脳波計の記録を楽譜にたとえてみた。「たとえ」ならいいが、それ以上に踏み込むと神秘主義の領域になろう。この点については、いずれ荘子を持ち出してみたい。

ところで、最近車の中で、モーツァルトの「フルートとハープのための協奏曲」をよく聴いている。これ、僕のフルート奏者(未だに初心者だが)としての原点みたいなものだ。

最初は、レコードだった。今はCDから車内の機器に移し替えたものを聴いている。また、そのとき自分自身の音楽の記憶と照らし合わせながら、「ここの部分は自分で演奏できそうだ」とか、考えながら聴いている。

音楽は、脳を含め、物質的に全く異なる媒体に全く異なる方法で記録できる。が、それでも音楽なのだ。ついでにいえば、中学生のときの僕の脳は、今の脳ではない。なぜなら、身体を構成する物質は、数年で入れ替わるからだ。

また、音楽は一定の時間の中で聴かれるからこそ、音楽なのであって、記録媒体の中にあるものは、そのもの、ではない。

したがって、音楽そのものが在る、とすれば、物理的世界にその居場所はない。

哲学者K.ポパーはこのような対象の居場所を世界3と呼んだ。もちろん、それはプラトンのイデア界のように超越した世界ではなく、人間の精神活動(世界2)の所産であり、また人間の精神活動も物理的世界(世界1)の上に成り立ってることも前提としている。

そして次は、世界3→世界2→世界1という具合にも因果関係がありうるのか、という問題だ。

K.ポパーは未来は過去から当然に決定されるのではなく、開かれている、という。

その一例は、世界3で起きるテクノロジーの開発が現実の物質世界に影響を与え、予測不可能な未来をもたらすこと。

ある意味、脳科学もそうだろう。この科学はまさに測定機器の進歩に依存しているのだから。

脳科学について その1 脳波計の実習

先の書き込みの宿題としてこのカテゴリーで書いてみる。これだけに集中できないが、少しづつ。

僕の学生時代のことだから古いネタではある。しかし、脳波計っていわゆる脳科学の原点みたいなものだ。脳科学ってつまるところ測定機器の進歩に付随したものであるから。

その手続とは、

まず、被験者の頭皮に先が丸くなった電極を幾つか貼り付ける。通電性のある糊みたいなもので手作業するわけだ。けっこうコツがいる。

で、その電線は脳波計の本体につながっていて、頭皮の微弱な電気信号が増幅され、小型万年筆みたいな針先の振動に変換される仕組み。

電極ごとに針先があって、縦に並んでいる。そして、針の下には横に紙が動いているので、スイッチを入れると複数の波形がザーっと描かれていく。

少し詳しくいうと、どの周波数を記録するかも調節できる。それは電荷を蓄えるコンデンサーの機能による。

今思うと、交響曲の譜面のようなものだ。交響曲の譜面って幾つかの楽器のパートごとに縦並びになっているでしょ。あんな感じなのだ。

脳って、標本になれば静止した有機物の塊にすぎないが、こうやって生きた脳の活動を目の当たりにするとこれはなかなかの感動である。

それは、音楽的なリズムに溢れた流れ、といってもいい。全体としての調和がある点で、審美的でさえある。

たとえば、てんかん性のものなど、極端な波形だから、こういった不協和音のようなものがあるとすれば、異状脳波として一目で分かる。

脳を知るということは、一面、有機物の分析でもあるが、それは、流れ、波動、パターンなど物理的還元に適さない要素も含まれる、と思う。

さらにいえば、脳は、生物の部位として、合目的性を持っている。これは、哲学的に非常に魅力ある題材だろう。なぜなら、意識に直結しているのだから。

この課題を進めるならば、進化論的に、どのように自然界に意識が生まれたのか、も考える必要があるだろう。

« 2013年2月 | トップページ | 2013年4月 »

2017年8月
    1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31    
無料ブログはココログ