« レインボーマンと経済政策 | トップページ | 総選挙と本当の対立軸 »

総選挙と古典ギリシャ

選挙が近いので時事問題に集中してみよう。ただし、このブログの切り口で。

プラトンの著作群は、もちろん哲学書なのだが、登場人物の多くは「生」の政治に関わっているといっていい。というか、職業政治家が確立していない時代のことである。つまり、直接民主制に近いわけ。

それは、アテナイの一般市民が腕を競って弁論の技術(テクネー)向上に励む時代だった。で、ソフィストが登場する。その多くは外国人で、報酬をもらって弁論術を教えていた。つまり、プロ。

このプロ集団と自称一般市民の代表であるソクラテスが対決する。これが基本のパターン。ソクラテスの攻撃のポイントを乱暴に表現すると、「おまえらの教えているのは、テクニックばかりで、物事の良し悪しではない」だ。

B.ラッセルに言わせると、「プラトンは悪意をもってソフィストを描いているが、それでも彼らの主張には輝きがある」。

つまり、ソフィストなりに筋のある高度な論理性=哲学があったことは留意すべきではある。話し方教室的に、笑顔を作り方を実演していた記録はない。

さて、この総選挙も1票を獲得すべく「プロ」たちが言葉とパフォーマンスの技を競っている。いや、もっと意地悪く言うと、有権者に「媚びる」技?

今回の選挙の争点は、原発VS脱原発?

いや、以上の視点からすると、ポピュリズムVS脱ポピュリズムじゃないか。

« レインボーマンと経済政策 | トップページ | 総選挙と本当の対立軸 »

時事問題」カテゴリの記事

コメント

ソフィストのトラシュマコスやカリクレスの主張は、そのまま現代のネオ・リベラリズムに通じているような気がいたします。ニーチェにもその反響があり、
意外に射程の大きな思想だと思うのです。

ソフィストって本来悪い意味じゃないですよね。くだらない問題を起こして失職する大臣は、もっとソフィスティケートしてもらいたいもの。
また、土着のしがらみなく、言論だけで生きていく彼らの生き方には、それなりの矜持を感じます。

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 総選挙と古典ギリシャ:

« レインボーマンと経済政策 | トップページ | 総選挙と本当の対立軸 »

2019年10月
    1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31    
無料ブログはココログ