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2012年9月

ラテン語の世界 その8 C.W.ニコルとラテン語

個人的にC.W.ニコル氏といえば、以前、僕のアイルランド音楽の先生が、彼の前でウェールズ国歌を演奏した、なんて、、ささやかなつながりがあるが、最近の新聞記事では、ラテン語について語っているので少し書く。

彼は英国で正統なラテン語中心の教育を受けている。興味深い点は、生物学の授業まで、ラテン語を使っていたことだ。

野外実習では、ラテン語以外禁止、なんてこともあったらしい(だいたい中・高校生相当だよ)。すると、おのずと生物を学名で呼ばなくてはならなくなる。

そこで、彼は、「つながり」を見つけたという。これは、人生の大きな転換点だったらしい。

ウェールズ系ケルト人の自覚と、ラテン語で研ぎ澄まされた生物界への関心が、やがて彼を、日本へといざなうことになった。

どこかで読んだが、かれの初めての日本の印象は、竹林の美しさ、だったそうだ。これは、かなりの感性だと思う。

確かに、竹林は、日本の風土の本質を表現しているものだろう。

ラテン語のように古風で普遍性のある言語は、事象の奥深くにたどり着く力を秘めている。

ビジネス英語もいい。それは、今風の生きる術を与えてくれるかも知れない。しかし、生き方そのものの指針を探すなら、古典、たとえばラテン語も悪くはないだろう。

ラテン語の世界 その7 保育園で

うちの娘を保育園に送ったこの朝のこと、そこにはラテン語の世界が展開されていた!

これ、本当の話だ。以下、種明かし。

なじみのS先生。この人、前作プリキュアのキュア・リズムみたいな雰囲気の方だが、それは別として、子どもたちを前に、恐竜図鑑を広げていた。

次々に読み上げられる恐竜の名前、○○○サウルスとか、、。復唱し、歓声をあげる園児たち、、。

サウルスの語尾、us。立派に第二変化名詞、多くは男性名詞の主格を表している。

恐竜の名前は学名が基本。暴君竜と呼ぶより、ティラノサウルスだろう。

学名レベルの生物の名前は、世界共通。実に、グローバルである。

ところで、ラテン語学習を通じて、世界を相手に生きる指針を見つけた著名人がいる。それは、作家のC.W.ニコル氏。

このネタは最近の新聞記事で知ったもの。この続きはまたあとで。

宮古島紀行 その10 狩俣の井戸、原型のとしての水神

宮古島の文化を深く知ろうと思うなら、本島、北の先端近くにある狩俣集落が重要な場所である。

この集落の祭祀は特に興味深いが、とても僕の手には負えない。とりあえず、井戸。

Photo この集落の創設者たちとは、水脈の発見者である。これ、水場に乏しい宮古島として、実に現実的な理由だ。

いかなる人間の生活であっても、水の確保がなくては成り立たない。

だから、水源とは神聖なものとされる。本土でも、共同体の水源に”水神”が祀られることがよくある。

この井戸は、アーヌカー(東の井戸)あるいはズーガー(地の井戸)とも呼ばれ、長い間人々の生活を支えてきた(水道の開設は1965年)。

水源の発見者たちは、ウプグフ・ムトゥと呼ばれる。ムトゥは元、始祖の意味。伝承的には、水源の守護神(アミズ・ヌス・ムトゥ)、豊穣神(ユース・ヌス)になったとされる。

ヌスとは主。通常、神様の意味。

偉大な人々は、神となって現世の人々を護っているのだ。これが宮古島の信仰の中核だと思う。

この集落で生まれた赤ん坊は、この井戸の水で産湯に入る。その水を「ンマリ・ミズ」と呼んだ。そして、やがて年老い最後の瞬間を迎えるとき、末期の水を与えられる。これを、「スニ・ミズ」と呼んだ。

(井戸の解説文を参考)

人の命と水、そして共同体、人間の原点を観る思いがする。

以下余談。

不謹慎なことだが、この井戸を初めて見たとき、例の映画、”リング”を思い出してしまった。

よくあることだが、神聖なものを、妖しいものに零落させてしまうのが、”近代化”と呼ばれる社会変化である。また、近代化は、人々を”便利ボケ”にしてしまう。

そのうち、水道が止まるような、恐るべき大災害が起きるとしたら、こういった水源のありがたみを思い知るだろうね。そして、”貞子”が神様になるだろう。

民俗学の効用の一つは、便利ボケの予防かも。

少なくとも、ペットボトルに水を溜め込むだけでなく、近くに井戸のある家があるとしたら、その家の人と仲良くしておこう。

あまりないとは思うが、もし水神を祀ってあったら、こっちにも「もしものときには頼みます」と手を合せておくべきだ。

広島女児監禁事件の犯罪心理学

カテゴリー上は、性犯罪、サブカテゴリーは小児性愛型。注目すべきは、名門大学生であったこと。

ウェブ上の断片情報からプロファイリングすると、自我同一性の希薄さが際立っていると感じる。つまり、自分が何者か、どのように生きてきて、どうやって生きていくか、目標というか、生きる指針の核が相当ぼやけている。浮き草みたいな人格だ。

社会イノベーション学部の学生、居合道の同好会所属など個人の内面には意味を成していない。したがって留年もしている。

ウェブ上はロリコン・オタク説もあるが、オタクというほど出来上がっている様子はない(それはそれでアイディンティティである)。むしろ、完結した自分の世界があるのなら、このような稚拙な犯罪をしないだろう。ただし、自室からトンでもないものが発見されれば別だが。

自分がつかめないなら、当然、社会性も育たない。性犯罪者の中には、被害者を陥れるそれなりの操作能力=”犯罪技術”を持ち合わせているタイプもあるが、この学生はいきなり果物ナイフと旅行カバンである。

おそらく、他者の行動の予測も十分できないだろう。これが幸いしてあっさり逮捕となった。

一方、自分は浮き草みたいなものだから、一時の衝動を制御できない。そしてこの犯罪。

ウェブ上、ブログも明らかになっているが、戦争シュミレーションゲームのレポートだ。それなりに複雑で、知的に低いとは思わないが、第三者を意識している記述がない。本人らしさ、といえばこの点。

個人的に少し気になる点、それは彼のハンドルネームだ。Licoris(リコリス)とは、ヒガンバナ科の植物、一般にはヒガンバナなのだけれど、理由は何だろう。いや、さして意味なしか。

捜査の立場からすれば、動機を聴き出し、それなりの筋書きを作ろうとするものだが、”作文”になりかねない。

サークル活動で悩んで、自暴自棄、と言ったそうだが、そもそも本当に”悩む”ことができたのだろうか。

この事件、お客さま本位のサービス?より、良識を重んじ、機転を生かしたタクシー運転手によって最悪の事態を回避できた。おかげで、子どもが救われたし、本人も懲役刑期少なくとも10年以上助かったわけだ。

弁護人(弁護団かも)は、改悛の情を明らかにすべく、被害者側あてに書信を書かせるだろうが、運転手さんあてにも書かせたほうがいい(本人はピンとこないだろうね)。また、実務上、後者の方が受取拒否の可能性も低い。

親的な視点からすれば、この手の犯罪への対処策は難しい。また、どうしてこのような人格が形成されるかだ(大学の責任ではない)。いや、普通に育てていても、今どきは偶発的な出来事の積み重ねでこういった結果になることもあるのか(親として脅威)。

仮面ライダーの変遷 そして仮面ライダーウィザード

娘に付き合って、オーズ、フォーゼ、そして今週始まったウィザード。この最新の仮面ライダーだけど、なかなか面白いかも。

バイクを交えたアクションは、オーズ、フォーゼより正統か。一応ライダーなんだから。格闘技はなかなか華々しい。特に足技のキレがいい。戦闘モード、アイテムの多様さ、これは最近の仮面ライダーの特徴。

目新しいものは、魔法。というか、仮面ライダーが魔法使いってこんなのアリ?魔法陣で人の心まで入り込み戦闘継続、これは今までにない趣向。おまけに、使い魔まで登場。

フォーゼは学園ドラマパロディだった(それはそれで面白い)。古典的ツッパリ高校生が主役だったけれど、今どきいるわけなかろう。意外に、今のこどもたちにとって、魔法使いと似たようなものか。

フォーゼは科学と宇宙でイメージが作られていたが、戦っている連中は星座の精みたいなオカルトキャラであった。なんとも微妙なミスマッチ。

オカルトといえば、オーズの変身の仕組みは錬金術師たちが開発したメダルにあった。

そして、今回の仮面ライダーは直に魔法。仮面ライダーもここまで来たかと感じる。

ここまで、ってどういう距離感かといえば、初期の仮面ライダーたちは、理屈上、科学の悪用で生まれ、科学を悪用する組織と戦ったんだよね。

これは、20世紀の時代背景だろうが、21世紀になるとだんだんオカルト色が強くなっているようだ。このトレンド、20世紀の感覚では想定外だったろう。

科学にせよ魔法にせよ、どの道、非日常性の根拠として使えるわけだけれど。

それにしても、パンチとキックだけで戦っていた初期の仮面ライダーたち、今見ると実に素朴だ。

そのうち複雑すぎる戦闘が飽きられてしまい、「仮面ライダー・オリジン」登場とか。ダメ、関連商品が売れない、、、。

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