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宮古島紀行 その10 狩俣の井戸、原型のとしての水神

宮古島の文化を深く知ろうと思うなら、本島、北の先端近くにある狩俣集落が重要な場所である。

この集落の祭祀は特に興味深いが、とても僕の手には負えない。とりあえず、井戸。

Photo この集落の創設者たちとは、水脈の発見者である。これ、水場に乏しい宮古島として、実に現実的な理由だ。

いかなる人間の生活であっても、水の確保がなくては成り立たない。

だから、水源とは神聖なものとされる。本土でも、共同体の水源に”水神”が祀られることがよくある。

この井戸は、アーヌカー(東の井戸)あるいはズーガー(地の井戸)とも呼ばれ、長い間人々の生活を支えてきた(水道の開設は1965年)。

水源の発見者たちは、ウプグフ・ムトゥと呼ばれる。ムトゥは元、始祖の意味。伝承的には、水源の守護神(アミズ・ヌス・ムトゥ)、豊穣神(ユース・ヌス)になったとされる。

ヌスとは主。通常、神様の意味。

偉大な人々は、神となって現世の人々を護っているのだ。これが宮古島の信仰の中核だと思う。

この集落で生まれた赤ん坊は、この井戸の水で産湯に入る。その水を「ンマリ・ミズ」と呼んだ。そして、やがて年老い最後の瞬間を迎えるとき、末期の水を与えられる。これを、「スニ・ミズ」と呼んだ。

(井戸の解説文を参考)

人の命と水、そして共同体、人間の原点を観る思いがする。

以下余談。

不謹慎なことだが、この井戸を初めて見たとき、例の映画、”リング”を思い出してしまった。

よくあることだが、神聖なものを、妖しいものに零落させてしまうのが、”近代化”と呼ばれる社会変化である。また、近代化は、人々を”便利ボケ”にしてしまう。

そのうち、水道が止まるような、恐るべき大災害が起きるとしたら、こういった水源のありがたみを思い知るだろうね。そして、”貞子”が神様になるだろう。

民俗学の効用の一つは、便利ボケの予防かも。

少なくとも、ペットボトルに水を溜め込むだけでなく、近くに井戸のある家があるとしたら、その家の人と仲良くしておこう。

あまりないとは思うが、もし水神を祀ってあったら、こっちにも「もしものときには頼みます」と手を合せておくべきだ。

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