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共生社会について

社会とは、当然、共に生きることによって成り立つ。でも、わざわざ、”共生社会”なんて不自然な造語を使いたがる人たちもいる。本当の”共生”を知らないのだ。

共生とは、もともと生物学の概念だ。

たとえば、イソギンチャクとクマノミの共生は、南の海の定番。宮古島では、足の立つ浅瀬でも見ることができた。

この場合、うちの娘に、「イソギンチャクさんとクマノミさんは仲良しだねー」とかお話してもいいが、イソギンチャクの危険度を教える方が優先事項。ある意味、これは恐ろしい光景である。

大型種のイソギンチャクの触手は、通常の小魚にとって致命的であるが、クマノミは特別な生理的仕組みによって、殺傷、捕食を免れている、と表現すれば正確だろう。

共生といっても、異なる種の共存として、利害の割り振りはいろいろある。たとえば寄生も共生の一つの形。寄生された側にとって、それは害を被るだけの関係になる。

明らかにクマノミは、イソギンチャクによって、捕食者から守られているけれど、イソギンチャクの利益はよく分からない。もし害も益もないとすれば、片利の共生関係と表現されよう。

もし相互に利益のある関係なら、お互いなくてはならないわけだ。生物の世界なら生存がかかっている。愛とか信頼の絆よりも、ある意味強固。

「嫌でもお互いを否定できない関係」といってもいい(そして平和が保たれる)。

共生という言葉には、本来、こういった抜き差しならないニュアンスがある。

これは、人間社会の平和、って課題を考える上で重要なことだと思う。多分、平和とは、心のあり方だけででもたらされるのではなく、むしろ、冷徹な社会の仕組みから実現できるものなのだろう。

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