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2012年7月

宮古島紀行 その2 黎明の空に(市歌)

旅先の情報を得たいなら、市区町村の公式ウェブサイトもいい。そこで宮古島市。

注目すべきは市の歌(市歌)だ。学校のように地方自治体の歌が定められている。宮古島市歌は、副題”黎明の空に”と紹介されている(譜面、音声付き)。

地方自治体として異例だが、麗美な歌詞も奥深い。

「群青の波間、ひときわの光、島建ての神の降り立つところ、、」と詠われている。冒頭が神の降臨、つまり、宮古島伝承の創世神話が題材になっている。

太古の話ではなく、この宮古島の黎明の海を見た者なら、だれであれ一日の創世の瞬間を感じることができるだろう。

世界の国々にあっても、こんな超越的な題材はなかなかない。ここ、人口約5万5千人の規模の地域だよ(1012.6月)。

あと、もう一つ。

市町村が、花とか鳥とか、シンボルを定める。これは普通のことだけれども、宮古島市はかなり念入りだ。

市の木=ガジュマル、市の花木=ディゴ、市の花=ブーゲンビレア、市の鳥=サシバ、市の魚=タカサゴ(グルクン)、市の蝶=オオゴマダラ、ここまで決めるか、市の貝!=スイジガイ

シンボル生物を調べるだけでも、博物学の世界に突入してしまう。加えていえば、スイジガイはマジカル・アイテムでもある。

以上のデータだけでも、豊かな伝承、説話の世界、海から空まで、色とりどりの亜熱帯の自然環境が想像できると思う。

しかし、自然環境につき正直に言えば、海の生態系が相当なものであることに比べ、陸は、湿原、マングローブ林があるとしても、山なし川なし、さしたる森林なしの比較的単純な環境ではある。そもそも、さんご礁が隆起してできた平らな島なのだ。

宮古島紀行 その1 遥かな遠望

日本とは、広大な海域に点在する島々によって成り立つ国だ。とりわけ、鹿児島以南には、多くの島が集中している。その一つが宮古島。縁あって、もうすぐ4回目の訪問を控えている。

地理的な名称でいえば、まず南西諸島。

南西諸島の中には、鹿児島県に含まれる薩南諸島と沖縄県に含まれる琉球諸島がある。

琉球諸島には、沖縄諸島、大東諸島、先島諸島があって、

この先島諸島には、宮古列島、八重山列島、尖閣諸島があって、

宮古列島の中に、宮古島、池間島、大神島、伊良部島、下地島、来間島、水納島、多良間島、フデ岩がある。行政区分上は、水納島、多良間島が多良間村で、他7島が宮古島市。

あー、やっとたどり着いた。イメージするだけでも広大な世界。

加えていえば、それぞれの島に特有の文化もある。この濃密さ。

このレポート(宮古島紀行)は、宮古島と池間島がこれから中心となる予定。

ところで、宮古の語源は”都”らしい(ここも、れっきとした日本語文化圏なのだ)。宮古島の中心の人口の集中した地域がミャーコ(都)と呼ばれ、それが全島の名称となったと聞く。

いざ、南の島の都をめざして。

ティン・ホイッスル入門 その2

もう4年間、師匠のレッスンをサボっているが、この楽器、もっと普及させたいので記事を書いてみる。

いまだにマイナーな楽器ではあるが、NHKの番組で、田舎のレポートがあったりすると、この楽器がピヨピヨとBGMを奏でることがある。

英語圏を中心に相当な数のメーカーがあるので、音の違いを楽しむのも一興。

Whistle 真ん中は、アイルランドのメーカー、Fea do'gのもの。音色は柔らかい。日本でも、大きな楽器屋さんならたぶん入手可能。

下は、アメリカ、マイケルバーグ製。金属製ではたぶん最高級のモデルの一つ(ちょっと高い)。音色が澄んでいて、高音域でも音が崩れない。安定した音が出るので、ぼくの師匠は、初心者こそこれじゃないかと、言う。

上は、スザート製。とりわけ大きいのは音域、音階の違いだ。これもアメリカ伝来。

タイタニック、ロード・オブ・ザリングスの映画音楽に使われたと聞いている。プラスチック素材なので、かなり音がポワンと柔らかい。

ティン・ホイッスルはD菅が基本だ(写真の中、下)。つまり、レの音から始まる。

と、いうことは、ニ長調でドとファの音に♯が当然に入る。短音階では、ロ短調。

アイルランド音楽は、ドとファに♯が入るニ長調、ロ短調、そしてファに♯が入るト長調、ホ短調がほとんど。

したがって、D菅のティン・ホイッスルの場合、♯なしのドの音だけ例外の運指で対処することができれば、いちいち半音階を気にせず演奏ができる。

これは、かなりの早弾きに対応できるばかりでなく、ティン・ホイッスル独特の装飾音、カット、ロール、クラン、スメアなどを可能にする。

ただ、6つの穴と息の強さでカバーできる音域は2オクターブがほぼ限界。

じゃ、他の調の場合どうするんだい?て質問がある。

対応は簡単だ。D菅以外を使えばいい(楽器として低価格だし)。A管とか、G管とか、C管、B♭管とかいろいろある。この写真のスザート物はA管だ。つまり、ラの音から始まり、ド、ファ、ソの音に♯が入っている(イ長調、嬰ヘ短調)。

世の中には、義務教育のリコーダーの影響で、とにかくド(C)から始まらないと気がすまない、という方もいるが、それならC管である。

アイルランドで日本の歌を聴かせてくれ、なんて言われることはよくある。自分の声で歌うのもいいが、ティン・ホイッスル取り出して、「赤とんぼ」なんて粋だと思う。

うまくいけば、ギネスビールおごられるかも。

「身の丈就活」と教養について

今年の就職は薄日が差している、と新聞記事。その理由は、採用枠と学生の意識変化。意識変化とは、つまり、中小企業も志望する学生が増えているから。

自分とはどれほどのものか、この主観と客観が乖離していたら、就職の望みが薄いだろう。たとえ、就職できたとしても、自分が適正!に評価されないとか、何だとか結局退職したりして、おまけに、そのまま引きこもりとか最悪シナリオもあったりする。

自分自身を適正に査定する能力、これも教養だと僕は思う。

また、もっと意地悪な精神分析をすると、スゴイ目標ばかりにチャレンジしまくるようなタイプの人もいるが、これって自分の身の程を自分に認識させないようにする高度な自我防衛のテクニックである(いくら失敗しても惨めではない、戦う自分の自画自賛)。

「置かれた場所で咲きなさい」ってよい本も売れている。

とはいえ、新卒の特別枠を使うことができるのは、景気不景気に左右されながら一度きり、というのも変な風習だ。

ただ、その理不尽さを恨んでみても仕方がない。個人の自由度って、意外に小さいことをわきまえながらも、花の咲かせようはあるだろう。

学部学科と就職について

大学の広告を見るのは面白い。最近すごく増えている様子。大学も生き残りを考える時代になったのだろう。

学部、学科の名前を変えたり、新設したり、けど、学問ってのは基本的に保守的なものだし、分野は出尽くしていると思う。

いかにも、就職有利、企業の即戦力になりげなネーミングも多い。それはそれで、時代の要請なのだろうけど、学生の獲得に困ってそうな大学ほどその傾向、って言ったら意地悪か。

取れる資格というのも大きな判断材料だが、「それさえあえば一生確実に食べていける資格」は一つしかない。医師免許である。と、言っておこう。

しかし、一生楽しめる分野を見つけるかどうか、それはその人次第。別にそんなもの無くてもいいが、それはそれで生きる強みではある。

また、一般学生はほとんど認識ないけど、大学入学って極めてハイリスクな投資なんだよね。金銭的リターンは別として、4年間熱中できる分野があるとしたら、長期的にも人生の元は取れると思う。

ところで、こんな学部、学科の新設はないだろう。

たとえば、西洋古典学部ラテン語学科、生物学部動物行動学科とか。

どちらも正統な分野なのだけど、企業うけはしなさそう。

でもね、こんなのわざわざ入るヤツって本気で勉強するはず。

就職面接で、「サークル活動を通じて人間関係を学びました」

って言うより、

「学生の本分を全うしました」と言った方が印象いいだろう。

ある超優良企業の就職面接の例、

女子学生(史学科?)が、尊敬する人の例として、超マイナーな歴史上の人物を挙げた。

で、面接担当たちは、「なんじゃそれ?」と思った。

しかし、彼女の真摯な説明を聴き、みんな「おーー!」と感動し、納得した。そして採用。

そこには、彼女の価値観、志、人生設計が凝縮されていたからだ。

ざくっと言おう。

基本的にどのような分野であっても、

学び、理解し、発見し、伝える このスキームがある。

新規事業の開拓だろうが、新製品の開発だろうが、たとえ営業活動であっても似たようなものなのだ。

したがって、どのような学部学科であっても、極めれば道あり、と僕は思う。

ヒッグス粒子と哲学の窓

こんな設問を考えてみた。大学入試の論述問題、入社試験、頭の体操、認知症予防プログラムなど、いろいろご活用ください。

〔設問〕

以下の事項につき、任意に1以上を選び、その存在若しくは存在したことの立証手続を論ぜよ

1 神(一神教上の) 2 ヒッグス粒子 3 空間 4 自然数 5 無意識  6 うつ病

7 妖精 8 地球外生命体 9 貴方自身 10 エドヒガンザクラ(種として)

11 今、目の前の机 12 基本的人権 13 隣のおじさんの債務

14 配偶者が不貞した事実 15 会議の険悪な空気 16 平清盛 

17 貴方が子どものころ可愛がっていたぬいぐるみの○○○ちゃん

ものごとの”存在の仕方”は実に多様だ。それは存在、という言葉そのものの曖昧さにあるのだろうか、それとも”存在”自体が多様なのか。

また、それを語る言語の構造も見逃せないし、語る主体の関与の仕方も問題となる。

ヒッグス粒子の存在は、当然ながら厳密な科学的検証の手段で確認されたわけだが、一方、それが社会一般にリアリティを持つこと、これは社会の中にリアリティを生み出す構造があるからに他ならない。

この構造によって、一般の人たちは、錬金術師の賢者の石(これだって宇宙の成り立ちの根本に関わる)よりも、物理学者のヒッグス粒子を信じるのである。

さて、例のダークマター(暗黒物質)はどうなるのかな?

     

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