統合失調症と遺伝子、そしてイデオロギー
昨日の夕刊の記事なのだが、統合失調症の発症に関連する遺伝子が特定できた、とある。
もちろん、これがあれば、発症というわけでなく、統計的なゆるい蓋然性の問題であるし、これだけが、と限定されるものではない。
マジメに考えれば、巨大な遺伝子情報の一部分が、全体との関連性の中で、意味を持つ情報の断片みたいなものだ。
この手の話は、科学的見解のレベルだけでなく、社会的文脈でも拡張されやすい。たとえば、ナチス的極右なら、遺伝的に”劣等”な(とされる)人たちを排除する理由として考えるだろう。
また、ソビエト的な極左においては、遺伝子が子孫に継承される研究自体が弾圧された(ルイセンコ事件)。
そしてこれは今でもありがちな見解、
市民運動系の人たちが、「遺伝子を調べて人を差別することにつながりかねない!」とか。
でも、こういうポジティブな見解もありうる。生物としてのヒトに着目してはどうだろう。概して、ヒューマニストはこの視点に無頓着である(名称的に矛盾してる)。
後天的な要因、生活上の出来事などが統合失調症の発症の引き金になるとしても、現に遺伝子も関与している。しかし、そもそも遺伝子の良し悪しを当然のように判断はできない(事実と価値判断は次元の異なる問題である)。
そもそも、そういった遺伝子があるとして、なぜ今まで継承されてきたのか、これが重要だ。
つまり、統合失調症が発症してしまうと、生存に不利であり、また子孫を残す機会も少なくなる。したがって、生物としての人類史上、この遺伝子(たぶん複数だろう)は強力な淘汰圧が加えられてきたはずだ。
でも残った。これは、反面の素質として不利な点を上回る有利な点もそこにあることを示唆している。
たとえば、馬鹿げた例だが、胃がんで亡くなる人が多いとしても、もし胃を発生させる遺伝子が無くなったら(誰も胃がんにならない)、そちらの方がよほど生存に不利である。
そこで、僕の精神医学の先生が言っていたことを思い出す。「気質的に統合失調症的な人たちには、特有の危険察知の鋭さがある」と。
実際どうなのか、僕はよく分からないが、だとすれば、自然環境の中では大いに威力を発揮できるだろう。
この能力、画一的によく管理され安全な社会では、それほど発揮されないだろうが、別途、特有の感性といった面は確かにある。
より少なくとも人類の文化に重要な要素の多くは(芸術面などに顕著)、そういった人たちが寄与している、と僕は確信している。
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コメント
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統合失調症の方の危険察知能力が高いとする原典あるいは論文を探してます。何かご存じないでしょうか?
投稿: 黒岩平 | 2013年9月21日 (土) 13時07分
コメントありがとうございます。
臨床現場からは、経験的にこういった鋭さの指摘を聞くとこがありますが、書籍、論文の形ではすぐに思い当たりません。
思い当たることがありましたら、コメントあるいは記事にしようと思います。
投稿: 管理人 | 2013年9月26日 (木) 09時42分