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オバマ大統領同性婚容認の記事についての雑感

オバマ大統領が、同性愛者差別反対を表明していたが、さらに踏み込んで同性婚を認め、リベラル派に政策アピールしたという話。

アメリカという国は、あれほど自由の尊さを持ち上げ、時には戦争の正当化にも自由という理念を使っているが、家族の規範には非常に厳しい国でもある。

しかし、アメリカでなくても歴史上を含めどのような国であれ、社会の単位として家族を認めなかったことはない、というかそれが無くては社会が存続しないのだろう。また、どこまでが家族かその境界も明確あることが必要とされてきた。

したがって、同性婚の是非は、”差別はいけません”的な次元の問題ではなく、実に根の深い複合的な事象に関係すると思う。

とても一言ではいえないが、

たとえば、その1

法的に有効なゲイのカップルに、法的に有効な養子として迎えられた子どもの立場とか。法制度的に正当化することはいくらでも可能だが、社会は法制度だけで成り立っているわけではない。いや、そのように考えること自体、差別的でいけないことなのか?

その2、

家族制度とは、お金の流れを決める制度でもある。つまり、否応なく相続が直結している。だから、法律婚をした同姓婚のカップルは、”現世”を超えて関係性を考えなくてはいけないだろう。お金がからむと、”純愛”も霞む?

以下総論。

同性愛への不寛容さは、キリスト教的価値観に負うところが大きい。また、寛容であることは歴史上必ずしも”進歩性”を意味しない。

男性の同性愛をより高次の愛の形として讃えたのはあのプラトンである(まさにプラトニックラブ)。というか、ギリシャ文明の常識だったが、後にキリスト教化した西欧では受け入れなかった。

日本だって、似たようなものだ。文明開化以前には結構普通のことだった。かの土方歳三にも”若い愛人”がいたが(彼の死後薩摩の有力者に奪われた)、それは武士道の一環だった形跡がある。

松尾芭蕉の「奥の細道」、どの箇所か未確認だが、はっきり記述があるらしい(普通の旅のエピソードとして)。

そういった文化が廃れたのは、日本が西欧化したからだろう。

でも、オバマ路線と大きくことなる点がある。それは、既存の婚姻関係とは異なる独自の認められた文化であったことだ。

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