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教養力の基礎について グローバル化っていうけれど

多くの大学が、学部の名前を付け替えたり、新設したり学生の獲得に苦労しているけど、学生の視線でこんな言葉もある。

Non scholae, sed vitae discimus.(ラテン語)

(訳)われわれは、学校のためでなく、人生のために学ぶのだ。

学費のことは分からないが、大昔の学生も気づいていたんだよね。

教養って大学レベルの話じゃなくて、小中そして高校だけでもなかなかのレベルのことを教えてくれていると思う。それはただのステップではなく、その気になれば!今に生かすことができる。

事例その1

僕の仕事先に、セールスの電話がかかってきた。とりあえず断ったけれど、造語っぽい社名に興味を引かれ、あとから調べてみた。

ウェブには、もっともらしく社名の由来が書いてある。けど、辞書で確認したところ”イカサマ師”って意味があった。

グローバル化のノリでカタカナ名の会社が増えているけれど、この会社を造った人は思いつきの社名を辞書で調べることもなしに、人生の一大決断したんだよね。少なくとも、将来は英語圏で事業は無理。というか、よりによって電話セールス、、

教訓

英語の語彙力も大切だけど(入試に使うが、どうせすぐ忘れる)、キチンと辞書を調べる習慣は後々もっと大切である。

事例その2

身近にあった話。ある女子大学生が、事件に巻き込まれた。名前を知ってさらに気の毒に思った。

一見、今風のカワイイ名前なのだけど、漢字のつながり的に、漢文(中国語)としてよく考えるとかなり不吉な意味だった。

教訓(事件はさておき)

高校の漢文を、古いことだからってバカにはできない。今に生かすことが大切。それは漢字文化のセンスに関わっている。

創作的な名前を子どもにつけてもいいけど、もう一歩考えてみよう。

以上の事例は、英語と漢字の問題。これって欧米と東アジアにまたがるまさにグローバルな課題でもあるが(大げさ?)、大学教育以前の教養問題である。

日本は、人口比で見ても世界でズバ抜けて大学数の多い国だろう。しかし、風潮として、こういったことが意外におろそかになっているのではないかな。

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