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聖パトリック伝 概略

明日は、聖パトリックの日なので、私見を交えて、彼について少し書く。

キリスト教の聖人って枠を超えて魅力ある人物であり、その生き方もドラマチックである。一言でいえば、「超豪快にやさしい人」だ。

基本データ

大体、西暦387年生まれ、461年没

本名 パトリキウス(Patricius)

国籍 ローマ帝国

出身地 ブリタニア(現在の英国)南部

使用言語 古代ウェールズ語、ラテン語その他古代アイルランド語など

民族 ケルト人のうち古代ブリトン人

つまり、アイルランドの守護聖人だが、アイルランド人ではない。当時のブリタニア南部はローマ帝国の領土だった。

父は公的職務に就き、家庭の社会的地位も高かった。いわば貴族的なお坊ちゃまである。召使は古代ウェールズ語を話し、セレブな家族間ではラテン語を話すイメージ。

ただし、おそらく15歳ごろ重大な罪を犯した(グレていたかも)。さしたるお咎めを受けなかったのは、家族の地位もあったからだろう。

今でいうなら、少年犯罪者、彼は、このことを一生の間悔いていた。研究者トマス・カヒルによれば、殺人であろうとされる。彼のその後の人生は、その償いの意味もあったのかも知れない。

16歳のころ、彼自身が重大な事件に巻き込まれる。拉致され、アイルランドに奴隷として売り飛ばされたことだ(当時のアイルランド主要産業)。アイルランドの当時のイメージとしては、トンでもない野蛮な国(ローマ文明の外)である。

6年間、彼は、荒野で羊飼いとして働かされる。これは、相当に過酷な体験であったが、いわば宗教的に悟りを開くような契機ともなった(もともとは宗教的な人はなかったらしい)。

神秘的なビジョンに導かれ、アイルランドを脱出。帰郷を果し、家族と再会、すぐに大陸に渡り、苦学して聖職者となる教育を受ける。

その目的は、アイルランドへの伝道。今の感覚でいえば、「素手で治安の崩壊したソマリアへ行き、平和の教えを説く」ようなものである。おまけに、アイルランドは、彼にとっての「拉致加害国」でもある。

それは常軌を逸した無謀なことだったが、本当に実現させてしまった。かくして、アイルランドでは、ケルトの伝統文化を混淆させた独自のキリスト教文化が花開くことになる。

やがて中世になり、かつてのケルト戦士が群雄割拠する国は、学者と聖人の国と呼ばれ、ローマ帝国崩壊後のヨーロッパ世界の復興に重要な地位を得る。

パトリックの業績のオマケの一つは、奴隷解放である。

彼は、自身が奴隷として辛酸を舐めた経験を忘れなかった。アイルランドの頂点に位置する聖職者となっても、奴隷たちに個人的な良心を示すことを当然のように行っていた記録がある。

そして、その最晩年のころ、この元奴隷の働きかけにより、奴隷解放が実現された。だから僕は彼を、、「超豪快にやさしい人」とよびたい。

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