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2012年3月

春、新生活入門 ポジションを使い倒すこと

自分とは何者か、なんていきなりいくら哲学ごっこしても思考は空回りするばかり。現実の問題は、社会の仕組みのなかで自分はどこにいるのか、ってことだ。

そこで、エピソードを一つ。

フリーターの人がいた。この人、パパの事業の関係で、この春、めでたく会社の取締役に就任した。

そこで、「ご就任おめでとうございます」ってご挨拶。名刺作りましたか?と尋ねたら、「え”え”ーまだ考えてませーん」。そもそも、会社って何か、考える気もないらしい。だんだん、気まずくなってしまった、、、。

名刺とは、生き方ツールの一つだ。その使い方一つで、どんな人たちとどのように関わるか、その第1歩になる。だから、新生活の裏づけでもある。

もちろん、名刺なんていくらでも創作できる。けど、”取締役”ってのは、重みが違う。なぜなら、会社法の仕組みの中に取り込まれているし、公に登記もされているからだ。この意味で、形式上は上場企業の取締役と同格。

実質、名目のみの場合もありうるけど、嫌でも!権限だとか、義務だとかが付随してくる。だったら、”ウザイ”とか考えるより、脱労働者して、経営者やりたい放題の方がずっと面白いとおもうけどね。

そりゃ、フリーターがいきなり実業家に実質なれるわけないが、肝心なのは役割演技を繰り返すことなんだ。そして、自分も、多くの人も心底思い込ませることができるなら、それは”本物”である。というか、それ以外の本物なんてたぶん、ない。

木の芽どきと精神障害

もうすぐ桜が咲く。木の芽もふくらみつつある。若葉の季節へのエネルギーが充填された。

この季節には、精神障害の症状が悪化するという風説がある。自然界に満ちるエネルギーがメンタル的な不調をもたらすって、、もっともらしい話を聞いたこともある。

桜が咲くと、日本中から、自称”本当の天皇”を宣言する人たちは大挙して上京する、、とか、これは都市伝説だろう。

しかし、エネルギー説は嘘っぽいとして、日本社会のリズムの節目がこの時期であることには間違いない。卒業、就職、多くの企業会計年度など。精神的なストレスがあることには間違いない。

1月ならわかりやすいが、なぜこの時期かっていえば、なかなか難問だ。これは文化史の問題。

少なくとも、整然とした秩序を好む日本の文化として、受け入れられていたのだろう。しかし、一旦卒業→就職の機会を逃してしまうと、正社員?(じゃ、その他は偽物社員かぃ!)の筋道に乗りにくいなど、これは酷である。

ところで、一部の大学の9月入学。これ拡大されるのだろうか、そうするとどんな影響があるのだろう。大学の存在する意義のレベルからよく検討されるべきと思う。

あまり関係ないけど、青春の風物詩にも影響がある。新たな門出と桜吹雪が、残暑そしてツクツクボウシのBGM、、うーん、美しくない、、。

子育ての哲学 その2 権威と漢文

世界史上の奇跡の一つ、日本の明治維新。その背景の一つは、漢文の素養だ。漢文とはすなわち、中国の古代思想である。これが庶民に近いレベルで浸透していた。

江戸期の教育は素読中心であった。子どもはその意味の理解以前に、ひたすら読むことを学んでいた。成長にしたがって理解すればいい、これが基本指針。

息の長い話である。「わけわかんねー」って子どもが本を放り投げたら教育にならない。それをさせないのが教育者の権威。

子どもの主体性を大切にしましょう、って聞こえはいいが、多くの場合、子どもに媚びる先生ばかりになってはいないか。

なんだか、ゴリゴリに保守的いや反動的な話になってきた。が、子どもとの適切な距離感、これは重要だと思う。

子育ての哲学 その1 子育ての究極の目的とは?

子育ての究極の目的とは、
親が、必要とされなくなること、である。最近つくずくそう思う。

ミルクの温度調整、離乳食の調理、トイレの作法の教示、挨拶の仕方、、、、それは長いようで短い日々であったが、これらは完了。保育園の送迎はまだなかなかの手間だが、小学校入学まで。

絵本を読んでくれとか、動物園に連れて行けとか、まだねだられているうちは結構なことだが、いずれ親は用済みとなる。

子どもを社会的に自立させるとは、そういうことだ。子どもは親離れしなければならないし、忘れてはならないことだが、、、親は子離れしなければならない。

聖パトリック伝 概略

明日は、聖パトリックの日なので、私見を交えて、彼について少し書く。

キリスト教の聖人って枠を超えて魅力ある人物であり、その生き方もドラマチックである。一言でいえば、「超豪快にやさしい人」だ。

基本データ

大体、西暦387年生まれ、461年没

本名 パトリキウス(Patricius)

国籍 ローマ帝国

出身地 ブリタニア(現在の英国)南部

使用言語 古代ウェールズ語、ラテン語その他古代アイルランド語など

民族 ケルト人のうち古代ブリトン人

つまり、アイルランドの守護聖人だが、アイルランド人ではない。当時のブリタニア南部はローマ帝国の領土だった。

父は公的職務に就き、家庭の社会的地位も高かった。いわば貴族的なお坊ちゃまである。召使は古代ウェールズ語を話し、セレブな家族間ではラテン語を話すイメージ。

ただし、おそらく15歳ごろ重大な罪を犯した(グレていたかも)。さしたるお咎めを受けなかったのは、家族の地位もあったからだろう。

今でいうなら、少年犯罪者、彼は、このことを一生の間悔いていた。研究者トマス・カヒルによれば、殺人であろうとされる。彼のその後の人生は、その償いの意味もあったのかも知れない。

16歳のころ、彼自身が重大な事件に巻き込まれる。拉致され、アイルランドに奴隷として売り飛ばされたことだ(当時のアイルランド主要産業)。アイルランドの当時のイメージとしては、トンでもない野蛮な国(ローマ文明の外)である。

6年間、彼は、荒野で羊飼いとして働かされる。これは、相当に過酷な体験であったが、いわば宗教的に悟りを開くような契機ともなった(もともとは宗教的な人はなかったらしい)。

神秘的なビジョンに導かれ、アイルランドを脱出。帰郷を果し、家族と再会、すぐに大陸に渡り、苦学して聖職者となる教育を受ける。

その目的は、アイルランドへの伝道。今の感覚でいえば、「素手で治安の崩壊したソマリアへ行き、平和の教えを説く」ようなものである。おまけに、アイルランドは、彼にとっての「拉致加害国」でもある。

それは常軌を逸した無謀なことだったが、本当に実現させてしまった。かくして、アイルランドでは、ケルトの伝統文化を混淆させた独自のキリスト教文化が花開くことになる。

やがて中世になり、かつてのケルト戦士が群雄割拠する国は、学者と聖人の国と呼ばれ、ローマ帝国崩壊後のヨーロッパ世界の復興に重要な地位を得る。

パトリックの業績のオマケの一つは、奴隷解放である。

彼は、自身が奴隷として辛酸を舐めた経験を忘れなかった。アイルランドの頂点に位置する聖職者となっても、奴隷たちに個人的な良心を示すことを当然のように行っていた記録がある。

そして、その最晩年のころ、この元奴隷の働きかけにより、奴隷解放が実現された。だから僕は彼を、、「超豪快にやさしい人」とよびたい。

セント・パトリックスデイ(St.Patrick's Day )基本

その筋?の人には当然のことなのだが、それ以外の人にもご紹介してみたい。

つまり、3月17日は、アイルランド守護聖人の日である。だから、アイルランド関係者はこの日を大切にしている。

日本でも、3月17日あたり(平日では無理なので)に、あちこちの都市でパレードが行われている。

東京原宿、表参道は、18日、日曜日午後2時のはず。横浜は17日だ。今年は盛り上がりそうだ。

今年は分からないが、うちの娘は1歳のときに参加している。とりあえずティン・ホイッスルを持たせてみた(音楽の要素は重要)。僕は、うちで育ったシャロックを参加者に配ったりした。

シャムロックとは、聖人パトリックにちなむ植物で、クローバーに近い。この植物の葉をかたどった絵柄はアイルランドのシンボルであり、このパレードでもおなじみのもの。

緑がシンボルカラー。だから参加者は、とりあえず少しでも、緑のものを身につけるのが作法。

今年のパレードの情報ならここ。

http://www.irish-network-japan.com/

いきなり参加したいなら、少なくとも原宿の場合、団体参加なので、どっかの団体に事前に混ぜてもらえばいい。ダメとは言われないだろう。通常は近くの小学校に集合場所している。

セント・パトリックスデイが盛り上がる要素の一つは、「春が来た!」って実感だろう。ただこの時期、日本では花粉の最盛期でもありこれが難点。

パレードの打ち上げは、アイリッシュ・パブ。都内ならけっこうあちこちにある。定番はギネス・ビール。同じアイルランド系なら、キルケニーもお奨め。ビーミッシュもいいが、これはなかなか日本では飲めないレアもの。

アイルランドのテレビ局が来てたりする。インタビューを受けたら(まずないか)、ゲール語で挨拶なんかいいね。

みなさん今日は、ジーア・グイーブ(原意は、神が貴方たちとともに)

相手が一人なら、ジーア・グイッチ

この場合、”グ”をのどの奥で発音するとそれらしく聞こえる。

今日はいい日ですね(原意は、神に感謝を)なら、

ブイオハス・レ・ジーア

一般に、アイルランドの挨拶は神がかっているので、こんな感じ。

星に願いを、妙見菩薩とか

おそらくこの冬最後の寒波だろうが、そのおかげで昨夜は星がよく見えた。保育園の帰り道、うちの娘は星に願いを掛け始めた。

見える星が多いので喜んでいる。その願いはいつも同じ。「ママの具合がよくなりますように」である。自分ばかりでなく、父親にもこれを薦めている。

どこでこの習慣を身につけたのか分からない。が、古代からの人間の心性に根ざしている行為だと思う。

日本の文化として取り入れられているもので、一番一般的なものは、七夕だろう。これならっ保育園でも取り入れられている。

星にまつわる文化、これは一つのテーマになりうるだろう。占星術なんてのもそう。

呪術といえば、「妙見菩薩」ってものもある。これは、密教上の供養の対象。北斗七星のことだ。夜空を大きな曼荼羅みたいにイメージしているわけで、なかなかスケールが大きくてご利益もありそう。

江戸時代に書かれた密教寺院のテキストをみたことがあるが、それなりの手の込んだ技法も確立しているらしい。

マニアックな話はさておき、うちの娘と一緒に、今後も真摯にお願いしてみよう。

春を告げる花、ヒメアシナガムシトリスミレ

あまりに花期が早いので、最初は狂い咲きかと思った。しかし、早春の花と判明した。

梅が咲いたらこいつも咲く。こうして三年目。メキシコ産のムシトリスミレである(Pinguicula  esseriana)。

Photo

なんたって、カワイイ。大きな株でも500円玉サイズ。葉も花もパステル調の色彩。小さな株の割には大きな花を着ける。お奨めの食虫植物である。

霜に当てなければよいくらいの耐寒性。日本の夏の暑さにも平気。食虫植物としては、乾燥にも強い方だ。おまけに、葉ざしでいくらでも増える。というか、水やりの水圧で勝手に葉が落ちて、芽が出て株になる状況。

日本産のムシトリスミレの場合、相当に難易度が高いが、こいつは全くの別物である。メキシコ原産とされるが、野生の生育環境はどんな具合だろう。

メキシコ高地の湿った岩場でコケに混じって生えている、と僕は想像している。

食虫植物というと、エグイイメージであるが、ムシトリスミレ類は至って地味である。葉の細かい繊毛に小さな羽虫が着く程度。

ましてやこのサイズだから、捕食の観察などおもしろくもなんともないが、姿それ自体の観賞価値は高いと思う。

屋外に置けない場合でも、日の当たる窓辺があれば育つだろう。ご興味のある方はお試しあれ。

ヒキガエルと春の訪れ

春めいてきた。梅が咲いた。そして土のにおいがやわらかくなる。多分微生物たちの活動が活発になるからだろう。

そして、のそり、のそりと彼らが来る。うちの娘には、「ヒッキーさん」と呼ばせている。

2日まえ、保育園の帰り道でのこと。農地の横切る歩道の脇に見つけた。年齢は3歳くらい。だったら、うちの娘と同年である。多分、形態からしてメス。

さっそく、娘と手にとって観察する。日中みつけた場合、その色艶といいグロすぎるが、夕暮れ時なら気にならない。

このプヨプヨ感、カエル特有の口の下のヒクヒクの様子よ。なんといっても、暗い時間は瞳がまん丸。これもいい。

少しの間、愛でたあと、人に踏まれぬように、畑の方に放してやった。Salut(じゃあね)!

「ヒキガエルは毒もってます!」って分かる人は、ご注意してくれるだろう。しかし、僕の経験上は大丈夫だ。よほどいじめない限り、毒腺攻撃はしないはず。

ただし、こういった野生動物に触れたら必ず手を洗う。これは、基本。また、洗う前に顔とか、口とか触ってはならない。

いずれにせよ、生の自然と触れ合うには、それなりの作法がある。

以下余談、

最近の発見である。毒蛇であるヤマカガシは、牙と首の付け根に毒腺を持っている。牙の毒成分もユニークなもののようだが、首の付け根にある毒も興味深い。

これ、強く押されると出る仕組みなのだが、その成分は食べたヒキガエルのものを再利用しているらしい。

眉唾的だが、数年前、新聞で見た記事による。

大河ドラマ「平清盛」考 その4 西行、旅をする詩人の原型

清盛の影を人格化するなら西行、まだドラマの中では俗名で登場しているけど。

政治史的なことはさておき、清盛に率いられた平家一門は、その悲劇的な最期によって日本の文化に多大な影響を与えた。

反対に、あえて権力の道を捨てることによって、後世の文化に多大な影響を与えたのは西行。同じ北面の武士であったが、彼は清盛と対極の道を選んだ。

西行の数百年後、芭蕉はみちのくへ旅立ったが、この旅は西行を追想する旅でもあった。そう考えれば、西行の影響は現代にもつながっている。山頭火の美学の源泉もこのあたりと思う(かなり屈折してるけど)。

そもそも、詩的なイメージを探索するために旅をするなんて、当時としては文芸革命みたいなものであったのではなかろうか。

都の上級貴族たちは、よほどのことをしでかして「左遷」でもされないかぎり、現地歌枕を見る機会なんてなかったはずだ。あくまで、都で思い巡らすのが当時の常識。

このドラマ、清盛の革命児性を強調しているが、西行を並列して考えてみるのも面白いと思う。おっと、次回は佐藤義清(のりきよ)改め、西行のデビューらしい。

カルロス・カスタネダと心のある道、そして出会い

カルロス・カスタネダといえば、あのぶっ飛んだ呪術師修行のシリーズ。かの有名な幻覚植物レシピの件はとりあえず置いておこう。

第一巻にある「心のある道」、これがいつも気になっている。カスタネダの師匠、ドン・ファンの教えにある言葉である。

俗な話だが、「いい人にめぐり合いたい」とか、「男運が悪くて、、」なんて女性の悩みを聴いていると、このドン・ファンの言葉を思い出す。

率直にいうと、「心のある道」を歩いていけば、意味のある出会いがある、と僕は思う。

「貴方の意識するその場のニーズではなく、魂の指し示す方向性」、なんて神秘主義的脚色で大げさに表現してもいいけれど、

もっと日常的な例でいえば、特定の好きな楽器の練習を頑張って続けること、でもいい。反対に、毎日、深夜にヤケ酒飲んでグテングテンでは、ロクな出会いはないだろう。

どんな人であっても、「心ある道」を歩いているなら、輝いて見える、というか、内面から輝くのだ。

それは、同じ方向に歩く人からすれば、お互いによりはっきり見える。これが肝心。

なんて、ことを書くきっかけは、このブログの読者の方から、「離婚成立、新たな人生再出発」のメールをいただいたからである。

よき、道を歩まれますように!

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