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2012年1月

大河ドラマ「平清盛」考 その2 陰陽師(かなり横道の話)

マイナーなネタを拾ってみよう。たとえば、陰陽師である。

陰陽師の進言により、危うく殺されそうになった清盛(史実の記録にはないだろう)。そこで、後の清盛の父とされる男が助命の嘆願をする、、これが冒頭のストーリー。

迷信など信じるなって理由と解釈されるが、このあたりいかにも現代風の味付けであろう。

ところで、陰陽師なのだが、れっきとした国家官僚団、それも、現代でいえば、科学技術を統括するような立場である。呪術、占いだけでなく天体観測をして暦を作ることも仕事であった。

当時の呪術を、現代の社会の仕組みの中で置き換えれば、ほぼ科学に相当するだろう。それは、国家の指針も同様に左右している。

あの原発事故後、テレビに登場した国家直属および傍系の技術系の人たちを、清盛の時代でいえばまさに陰陽師である。

当時風にいえば、「この毒気、封じて見せましょう」って具合。ところがこの毒気は、だれも直接体感できず、所定の”道具”で知るしかない。また、よほど強く当たることがない限り、その結果は、統計上の数値でしかない。したがって、陰陽師じゃなかった、科学者を信頼するしかない。

国家の原子力行政は相当に疑念を持たれているが、かといって、科学そのものに疑念を持たれているとはいえない(僕自身そうである)。

しかし、科学技術そのものを、僕も含め、どれだけの人が一から理解しているかといえば、ほとんどいないだろう。科学は、そう思わせる社会の仕組みによって信頼されている。

社会学者、P.バーガーは、こういった社会の仕組みを(たしか)信憑構造と呼んでいるが、当時も現代も、この仕組みが”リアリティ”を支えていたことに違いはないはずだ。

かなり、横道に反れたが、いろいろ考えるネタがこれからもあるだろう。

大河ドラマ「平清盛」考 その1 リアリティ

この映像、小汚い(衣類その他)。上級貴族を除き、見ているだけで匂ってきそう。それに、平安京の猥雑さ。実にリアリティがある。歴史の教科書では実感できない事柄だ。実際、こんなものだったのだろう。

歴史上の悪役を再考証するのは面白いとおもうが、テーマ性、これはかなり現代的脚色がなされていると思う。

歴史を果敢に切り開くヒーロー、これは龍馬伝と同様の主題だが、龍馬はさておき、この時代の人の行動指針としては、大いに疑問だ。

もちろん、現代の感覚に外れすぎては面白くないだろうから、それはそれでいい。ヒーローはかっこよくなくてはならないし、大いに悩まなければ共感できない。

現代的脚色をもう少し考えると、近代的自我の問題に関わるだろう。夏目漱石とかが、わざわざ”発見”した代物である。たぶん、これがないと今の人たちにとって感情移入が難しくなるのではないだろうか。

つまり、今の人たちは、自律した個人を前提にストーリを考えるが、”個人”という概念は、かなり新しいものだと思う。

清盛にとっては、まず一門や血脈が大前提であって、平家一門の興隆のために、その役割に応じて生きた。そして、子々孫々自分の血脈が、名誉を持って栄えることを願った。

僕は、これが当時のそれなりの地位の人たちの生き方だったと推測する。清盛なりの結果が日本の歴史にどのような足跡を残したか、それは後世の人たちの歴史解釈の問題である。

清盛が、さあ、この日本に武家の世をつくろうと志を立てるとか、自分の出生の秘密に悩み、克服、自立するとか、そういうことは多分、なかっただろう。

僕は、全然、この大河ドラマに水を差すつもりはない。もちろんお勧めである。受信料払って見る価値もある。

ただ、この機会に、少し関連事項を勉強してみたいと思っている。そして、この楽しみをささやかなレポートに綴ってみたい。

ゲール語のテイストを学ぶ 10 発音

一言でいえば、「勘弁してくれ!」である。そのままの綴りと発音が相当違っている。それなりに規則を持っているが、とても手短に説明なんてできない。だから、一例を挙げてみる。

特に困るものは、A,E,I,O,Uの使い方だ。アエイオウならいいのだが。

英語でも例外は多いが、ゲール語はこれらの組み合わせが多く、また、独特の発音に結びついている。

女性の名前で、「Aoife」さん。ドネゴールの歌手でそういう人もいる(日本でもCD出してる)。

で、読み方。アオイフェさんではない。aoiはこれだけで、イー。

で、答えは、イーファ。

eは語頭の場合、まず、エでいいと思うが、語尾は日本語のアやエに相当する場合がある。te(熱い)は、チェ。

応用その1

naoiの発音は、ヌィー。9という意味。

応用その2

同様に、caoi(やり方)は、クィーだし、faoi(~の下に)は、フィー。

僕の頭の中では、「あおい」は「イー」と憶えている。

ドイツ語ならeiはアイとか、かなり少ない例外を除き、アルファベット表記のままでいけるが、ゲール語はとんでもなくややこしい。

というか、日本語は漢字の読み方があるのでもっととんでもない?

そもそも、ローマ字感覚で、アルファベットのままで読んでいいヨーロッパ系の言語はあるんか?といえば、思いつくのはラテン語。

昔昔、話し言葉しかなかったケルト人たちが、古代ローマ文明との接触により、自分たちの言葉をなんとかアルファベットに置き換えたのだろうね。

だから発音と文字表記のうえでいろいろ例外が生じたのか、、これ勝手な学説。

さらにいえば、ケルト語一般に、言葉の流れ、響きを重視する傾向があるようだ。かっこよく言えば流麗さ。これは、彼らの言葉で聴かせる詩の文化とも関連するだろう。

Aoifeさんは、本来アオイフエさんだったかも知れない。それが、長い年月話される中でさらりとイーファさんになったとか。

広島刑務所脱獄事件 その2 逮捕、その後

夕暮れの街角に沸き起こる拍手喝采、54時間の逃走のフィナーレである。

「疲れた、刑務所に帰る」「所持金10円」「くだものナイフ提出」、、などがエピソード。できるだけ情けなく逮捕される方がいい、その方が「応報」の追加にもなる。

脱獄犯が逮捕される意義とは、実際的な治安維持の意味もあるが、(とりあえず)犯罪に対する刑罰が実現されていることの証でもある。一般的には、国家・社会への信頼が保たれている感覚に関連している。

この感覚が低下すると、「この世の中、マジメにやるのがアホらしい」ってことになる。だから刑法は適切に実現されなければならない。

加えていうと、国内問題だけではなく、対外問題でもある。相手が外国人ならなおさらだ。あそこの国はやりたい放題、なんて、ナメられてはいけない。

この受刑者、もとの事件では警官に発砲している。制服を着た公務員って、その人個人がどうあれ、国家の主権を表現しているわけだ。だから、日本の社会そのものに対する挑戦という意味合いもあるし、今回の脱獄もズバリその線に沿っている。

脱獄にどれほどの勝算があったか分からないが、いかに凶悪犯とはいえ、それなりに改悛の情を示していれば、仮釈放の筋道に乗っていたはず。

いわゆる在日でもない限り、仮釈放後は本国に送還され、以後のことは問われない(海外では取消手続ができないから)。これが外国人犯罪者の利点である。

ところが、今回の事件で数年分の追加。逃走罪を犯した受刑者の仮釈放審査ってどうするんだろう。

また、今回の捜査費用+満期までの収容管理費を試算したらどれほどの額だろう。年齢的に、これから医療費も発生するだろうし。これも文明国であることの必要経費か。

以下、冗談。

ある意味、日本の財政を攻撃する生物兵器かも

広島刑務所脱獄事件について その1総論

刑事施設からの脱獄の成功例は、1996年2月、東京拘置所からのイラン人集団脱獄以来ではないか。この意味でもこれは大きな事件であるが、その背景には複合的な問題がいろいろありそうだ。よって、継続的に追ってみたい。

僕の考える重要ポイント

1 脱獄方法そのもの

2 社会によく知られていない新たな犯罪集団の存在

3 監獄法改正後の刑事施設の変容

4 プロファイリング、この受刑者そのものの特性

5 入管行政、つまり、そもそも!なぜ日本国内にいるのか、入国できたのか

6 もちろん、これからどうなる

(ごく基本的なこと)

すべての受刑者には、その特性に応じて収容分類級が割り当てられる。この受刑者は、外国人で(F級)、初めての実刑だが、その犯罪容態からして犯罪傾向が進んだもの(B級)なので、原則FB級。

ところがウェブ上広島刑務所の組織図をみると、国際対策室というセクションがない。このセクションはF級に対処するものなので、本来、広島刑務所はF級処遇施設ではない。

どういうことかというと、特別な配慮というよりは、本人はF級に分類されていないということだろう。よって単純にB級。

つまり、確かに国籍は中国なのだが、在日期間も長く、日本語も十分でき、特段、日本人受刑者と区別する必要はない、と実務上判断されたということだ。

これが脱獄後捕まらない原因の一つ。本人にとって、日本は勝手知った場所だから。当然にサポーター?だってあちこちにいるだろう。

おまけに!監獄法改正により、外部交通(面会とか手紙とか)が大幅に緩和されていたので、脱獄に必要な情報のやり取りがなされていた可能性も捨てきれない。(あそこに、いい足場があるぜ、、とか)

もちろん、面会には職員が立ち会うだろうけれど、「中国語混じりだけどまあ、いいか」なんてことがありそうだ。

あたり前だが、Fだ、Bだ以前に、当局にとって要注意者であることは紛れもない。

本人の特性、そもそもの事件と逮捕後の脱走歴を観れば、それだけで非常に例外的な受刑者であること、すなわち、想定を超えた行動には相応な管理が必要だったはず。

以下余談、

テレビドラマ、「プリズンブレイク」を思い出した。

確かに、マイケル・スコフィールドも特別な受刑者だったけれど、イメージ違いすぎ。彼を追い詰めるマホーンみたいな(アイルランド系?)すご腕捜査員登場もなさそう。人海戦術のようだ。

報道によると、すでにビールを堪能し、着替えも済ませたようだ。素人的に捜査を考えると、面会者リストを当たってみるのも筋だろう。

謹賀新年 今年はどうするこのブログ

みなさん明けましておめでとうございます。今年もこのブログをご覧いただけたら幸いです。

今年の指針ですが、基本的に今までどおりです。ある読者の方から、「パッチワーク」のようだと、批評いただいたことがありますが、その通り、一見関連のない各種話題が同時進行していきます。

しかし、ざくっと抽象化すると、「物事の根源を探る」、これが基本テーマです。

たとえば、子どもの成長を追っていくと、大人にとってあたり前のことがどのようにあたり前になったのか、を考察することができるでしょう。大人にとってその効果は、人間性の再発見だと思います。

引き続き「うちの娘」が登場しますが、今年は言葉の発達もあり、益々親とのやり取りが面白くなりそうです。私のノリとして、小難しい理屈を加えるかも知れませんが、子育ての面白さを共感していただければうれしいです。

私にとって最近の新しいことといえば、ラテン語学習です。これ、非常に労力を使いますので、なかなかご披露できませんが、西洋社会の源の一つだと実感しています。

既存のゲール語などケルト関連のネタとは双極にあたりますから、このブログとしては、避けて通れない?

もう一つ新シリーズのネタ候補は、「宮古島紀行」。観光ガイドとしてご覧いただいてもよし、日本を再発見する企画?にもなればと考えています。

その他、清盛(大河ドラマに便乗)、ハリーポッターなどどうかなぁ、とか。

ところで、昨年、ウェブサイト「アイルランド・廃墟と伝説」を閉鎖しました。いろいろ応援してくださった方も多く、申し訳ありませんでしたが、そろそろ節目と感じましたので。この写真コンテンツ等は、このブログの中で二番煎じするものも多いと思います。

では、今年もよろしくお願いいたします。

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