子どもとの対話 大いなる循環
今日は月曜日。古代ローマ人が月の日(Lunae dies)と名づけ、明治維新後の日本人もこの習慣を受け入れている。
通常の日付は直線的な進行しかないが、曜日は循環する。日本古来の十干十二支も同じ。直線的な時間感覚とは別に、このような循環的な時間感覚もある。こちらは自然の摂理に根ざしている。
「今日は月曜日なの?」。うちの娘も、だんだん分かってきたようだ。月曜日が来ると、しばらく保育園に行かねばならない、、、。けれど、また両親が一日中遊んでくれる日が来る(しばらく我慢)。
この世界の法則。季節の循環はすでに知っている。葉っぱは落ちるが、また春になれば芽吹く。冬が来て、死んでしまった虫さんたちも、夏は来ればまた会えるとか。
月の満ち欠けがあること、これも不思議なことのようだ。保育園の帰りの夜道で、時々レポートしてくれる。そして季節の星座、これは今後の課題。
季節や月の満ち欠け、これはコスモロジー(宇宙論)の感覚。しかし、近代化された生活様式の中では、このような自覚は薄れていくもののように感じる。
人間の作った小賢しい秩序を学ぶことも大切だが、こればかりだと尊大になりそうだ。
一方、生をいつくしむこと、死と向き合うこと、そして自分が何者であるかの確かな根拠、それらは自然界の大いなる循環の認識から、育まれる心性だろう。
人間の一生もまた、生かし、生かされる循環の歯車の一つ。
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