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2011年11月

公務員と教養 沖縄防衛局長発言について

原則論でいえば、公務員とは、政策・法令推進マシーンのようなものであるから、その人間性みたいなものまで、いちいち問われるべきではない。

が、これは常軌を逸している。昨日のニュース、結局何を言ったのかが報道されず(僕の知る限り)、なんだこりゃ、と思っていたのだが、新聞記事でよく分かった。強姦ネタかい!

例のあの人、経歴まで判明しないが、スーパーエリート官僚だろう。これほどの重大問題の矢面に立つべく、特段の抜擢でその地位にも就いている(沖縄の基地問題に詳しいことがその理由の一つ)。

抜群に頭のよい人なのだろうが、その教養水準と極端な差がある例の典型の一つか。ってこのテーマ、このごろしつこくこのブログの題材になっている。

ところで、教養とはなんだろう。難い文芸書読んでるとか、複数言語話せるとか、こういった素養は確かに教養なのだろうけど、その結果得られるものは、知的、感情的な他者理解と自己認識だと思う。今回の場合なら、歴史と文化を踏まえた沖縄の現状理解と自分の置かれた立場である。

つまり、時と場所、相手をわきまえた言葉、振る舞いの問題。今回のような、深刻な対立、不信が混沌とした場面ではなおさらのことだ。

基地問題に詳しい、それは期待されることなのだが、知識問題レベル。後任は、ヤマト系でいいから、三線片手に、琉球の心を歌える人にしたらいい。あまりいないだろうな、高級官僚にそんな人。

以下余談、

スコットランドに赴任した日本の外交官がいた。この人、バクパイプの名手になり、地元でも有名になった。

そしたら、戦時中、日本の捕虜になり、過酷な扱いを受け(タイの鉄道建設)、以来、日本と日本人を憎悪していた元英兵が、自宅に彼を招待したい申し出た。

外交官は、ひたすら話を聴き、そして演奏した。

そして、老いた英兵は日本と和解した。

この内容、「キルトをはいた外交官」ランダムハウス講談社発行から

高尾山紀行 その6 初雪を迎える

下山途中に初雪が降り始めた。紅葉の秋景色はしんしんと雪景色へ変わっていった。それは、数年まえのできごと。

Hatuyuki_2

目で見えるものがすべてではなく、山では、季節ごと、葉音の変化も楽しむことができる。落葉樹ならよく分かる。

春の木の葉はたっぷり水を含み、パタパタ柔らかい音がするが、夏が過ぎ、秋が深まるにつれ、カサカサと乾いた音になっていく。そしてサクサクの落ち葉となる。

ある日、山全体が雪に包まれたら、季節のサイクルが一つ完了する。雪の積もった山はほんとうに静かだ。

 

高尾山紀行 その5 旧街道を行く そして小仏へ

この道は、かつて甲州に抜ける道として重要であった。今は、清流に沿った山里である。この地域の一部は、高尾梅郷とも呼ばれている。

手っ取り早く高尾山口駅から登るのもよい。それがこのスーパー観光地を楽しむ正攻法。しかし、高尾山には裏道があって、こっちの鄙びた風情もお奨め。

高尾駅発小仏行きのバス路線にもなっているが、高尾駅から歩いて損はないと思う。

駅から現在の甲州街道(国道20号線)に入る。この地域の名物、酒饅頭屋などある。湧き水が豊富なので、豆腐屋の豆腐も一味違うだろう。すでに旅情を感じることができる。

そのまま甲州街道を進めば高尾山口駅。これでは意味がないので、中央線の鉄橋を過ぎたあたりで、右に折れ、本来の旧街道に入ることができる。この道は高尾山の北側を通っている。

すると、旧関所跡がある。これが歴史の道に入った証拠。景観も次第に山里になっていく。古い家の造りをみるもの楽しい。かやぶき屋根までは期待できないが、それなりの庭をしつらえ、日当たりのよい縁側を備えた家が多い。いい文化残してますね。

道路脇、用水路の豊富な水音も聞こえる。左手には小仏川。清楚な清流である。ひたすらまっすぐ進めば小仏峠。かつて、相模から関東に入るための難所であった場所。

往時は軍勢だって行き交った。その最後は、近藤勇の甲陽鎮撫隊。彼らは峠の山道を大砲を引っ張って甲府に向かった(砲弾もあるはず!)。

結果、敗走。落ち延びる隊士たちは、この峠を越えたとき、どれほど安堵したことか。ちなみにこの街道筋、名だたる佐幕派、八王子千人同心の勢力が強かった。今でもその末裔を誇る人たちがいるようだ。

小仏峠まで行かず、素直に高尾山に登るなら、その途中で左折しなければならない。第一のポイントは蛇滝口。第二は日影。蛇滝口は滝行を行う修行場に直通している。そこは、本来の高尾山の姿を残している、スピリチュアルなポイントでもある。

日影って、地名だが、そういう場所だからだ。蛇滝口も山の北側だからあまり日が当たらないが、こちらはさらに暗いというか、まさに日影の森林を歩く道で、山頂に行くには蛇滝口より遠回りになるが、勾配は緩め。

これら、山陰で晩秋から冬は陰気な場所かも知れないが、あの怒涛の人ごみを避けて、山を楽しむことはできるだろう。当然、夏は涼しい。

この街道、さらにマニアックに行くなら、高尾山ではなく、巨大な史跡、八王子城を目指すコースもある。この旧街道を右に曲がり、中央線を渡る道だ。かなり分かりにくいが、探検的な面白さがある。

紀行文だからお土産も書いておこう。このコース、日影のあたりに鱒釣り場がある(手ぶらOK)。養殖された鱒だが、まぎれもなく高尾の水で育った鱒だ。すぐその場でさばいてくれるのでありがたい。

経営者と教養について その2 大王製紙事件

例の方、子ども時代の逸話などからすると、生来、知能が高そうだ。また経営者としての実務能力も相当なものだと思う。ただ、教養水準は疑問である。もちろん一般の平均値よりも高いだろうが、身分相応的に期待されるレベルとして。

こういったタイプの人、メンタリティに大きな断層がある人とも表現できるかも知れない。かのオーム真理教の幹部たち、彼らのメンタリティにも近い雰囲気がある。

で、例の方の破滅のプロセスなのだが、投資の大失敗、ギャンブルで大当たり、札束を投げまくるようなギャンブルへの暴走、、、。こんな具合のようだ。んー、投資とギャンブルって似ているようで質はかなり異なると思うのだが。

偶発的大当たり(ギャンブルならすべて偶発であるが)が、見える世界を変えてしまった観がある。

こういったエピソードは古来事欠かない。だから、警告する言葉も数多く残されているだろう。古典の中に少なくとも一つ見つけたのでご紹介したい。

キケロ「友情について」の一部(逸身喜一郎著 ラテン語のはなし 通読できるラテン語文法 大修館書店の訳文から)

”幸運の女神は、自らが盲目であるだけでなく、女神が抱きしめた人をも盲目にしてしまう”

これ、怖いでしょ。だからこそ心に留め置くべき。

原文ならもっと格調高いが、すべて原文で覚えるのも大変なので、一部を覚えておくのもお勧め。

Fortuna caeca est.フォツナ カエカ エスト

(幸運の女神は盲目である)

これだけでも、深い意味を読み取れるだろう。

幸運は相手を選んだりしない。

思わぬ!いいことあったら、浮かれる前に、この言葉を唱えよう。

映画スイートプリキュア批評 その2 世界観

この話、アフロディテ、ミューズなどギリシア神話的ネーミングがところどころ散見されているが、世界観もまたギリシア的である。

この場合、ギリシアとはプラトン主義のこと。音楽って審美的な題材が基礎にあるが、これってイデアな問題だ。

つまり、こっちの現実世界とは別に音楽の世界があって、音楽の源はそこにあるという設定がある。で、この映画では、そのイデア的な世界に不都合が発生したので、をプリキュアたちが救いにいくって話。

その媒介者となるのは、第4のプリキュアであるアコちゃんである。この子、本来こっちの世界の住人ではない。

あっちの世界とこっちの世界を媒介するもの、エリウゲナ的にいえば、天使。天使的イメージもこの作品には明確に活用されている。

あっちの世界とこっちの世界の交流というか、流れに注目すると、それは新プラトン主義の主題(相当にアバウトに)だ。つまり、この映画の世界観はこれである。

本来、哲学ってものは、汎用性と時代を超えた影響力を発揮できるもの。子ども向けアニメにだって使える。

プラトンなんかは、神話的記述のイメージを多用しているから、ぶっ飛んだお話には実に使える(と思う)。とはいえ、プリキュアの作者がプラトンの愛読者とは思わないけれど、間接的に影響を受けているのではないかな。

まぁ、一般の鑑賞する側にとっては、どうでもいいことだけれど、創造的な仕事をするなら、こういった古典に触れてみることはお奨め。

映画スイートプリキュア 批評その1 ハープの活用

この秋の映画版では、新しい主題歌が加わっている。この曲、ハープを伴奏に使っている(題名=「心の歌」)。ハープを使った”アニソン”なんてすばらしい。

この曲、ハープの使用が効果的で、かつ、歌にあわせたその奏法もトラディショナルに近いように感じる。間奏のリコーダーもいい。

歌詞の内容的にも、”子守唄”。覚えやすい曲なので、さっそくティン・ホイッスル、フルートのレパートリーに加えてみようと試みている(CD買ってしまった、、、)。

しかし、奏でて歌うわけにはいかない。アイリッシュ・ハープやってる方がうらやましい。

ところで、映画の中では、最後の戦闘シーンに使われている。かえってこういった使い方は壮絶さを引き立てる効果があるだろうね。

実をいうと、この美少女戦隊ものの系列、過去の作品は、僕はほとんど知らないが、少なくともスイートプリキュアは音楽の世界が基礎になっている。この点、もう少し次回に書いてみよう。

リサとガスパールのこと

Bonjour,Messieurs-Dames.

ボンジュール、メスィユ・ダム(今日はみなさん)。

娘との付き合いで観ているこのアニメ、なかなよろしいかと。公式ウェブサイトはここ。

http://www.lisagas.jp/introduction/index.html#top

ミッキーマウスの世界(ミッキーマウスクラブハウス)と似ているようで、かなり違う。違いとは、それが開かれた世界であることだ。

現実のパリがその舞台。僕は行ったことがないけれど、馴染みの風景と重なる方もいるだろう。リサとガスパールはまったく架空の生き物なのだが、それぞれに父、母、兄弟がいる。そして、地域の住民も登場する。そして、子どもにとってありがちなエピソードがそこに発生する。この日常的やり取りにエスプリが効いている。

ミッキーの世界には、おそらく周到な配慮によって、家族関係がない。またその世界は、自己完結していて、現実世界との接点もない仕組みになっている。

これは大きな違いだ。だからミッキーがどうだとは言わないが、観る側にとって共感性の質もかなり異なると思う。

たとえば、ガスパールの父は、自分の事務所で働いている。だから、うちの娘に「パパが働いているところはこんなところ」と画面で説明できる。これで、日ごろからの懸案事項がビジュアル的に解決した(三歳児に事務所の説明は難しい)。

さて、テレビのミッキーになじんだら次はディズニーランド。なかなかの出費、、附属のホテル、中身もいいが、料金も、、。

しかし、リサ(Lisa)とガスパール(Gaspard)の場合は、現物パリ!こいつはさらに難題だ。

以下長い余談。世の中カタカナ名を意識した子どもの名づけが流行りだが、ガスパールは漢字化が変。ところが、リサは使える。マトモに漢字化できる。

最後がaで終わるし、ラテン系の言葉の基準で女性名詞でもある。

で、問題はパスポート表記(そこまで考えるなら)。原則はヘボン式ローマ字だから、たとえば理佐さんは、Risaになる。LでなくR。あくまで欧風基準でいくなら、当局との折衝が必要になるだろう。

なんだか、所帯じみてきた。このへんで、Salut!(サリュ、またね)。

経営者と教養について

経営者向けの雑誌、プレジデントの最新号は、ブッタとイエス・キリストの特集である。ついに景気もそこまで落ちたか。

つまり経営が、文字通りに、仏様、神様頼みになったということは、これが景気の底というべきものかも知れない。イタリア国債の次に日本国債、、そうはならない限り。

別な側面から考えてみると、明確に経営者の教養度が問われる時代になった、ともいえる。もしそうなら、これは大きな変化である。

教養といえば、その最たる担い手は大学であるが、バブル期以降の大学の経営は、ベタな教養をさておき、すぐに仕事ができる人材育成にシフトしていると思う。新設の大学ほどその傾向が強いだろう。ところが、いわゆる人間力とかより基本的な素養の重要性がかえって求められるようになったことは実に皮肉である。

企業経営というものが、常に一歩先を進むものであるならば、この大学教育の方向性も原点回帰にシフトすることは十分に考えうる。おそらく、あのグローバル化なるもの(本当に善いかどうかは別として)がこの変化をもたらす圧力になるだろう。

たとえば、今注目を集めているオリンパス事件で問われていることは、企業内村社会の作法が世界基準でどうなのか、ということだと思う。

フリマでティン・ホイッスルを売る話

もちろんそれほど本気ではない。が、楽しめた。うちの娘もがんばってくれた。

メインの商品は、うちの娘の古着。とにかく子どもはすぐに成長する。だから、子ども服はフリマ向きである。

ついでに、ほとんど使っていない笛をいくつか置いてみた。ティン・ホイッスルは、運指表つきだが、まだまだマイナーな楽器だ。笛ってことは子どもでも分かるが、日本の文化にはほとんど無縁なので、基本的に売れるわけないだろう。そもそも、民族楽器なので、特定の音楽世界に特化していることも大きい。

とはいえ、NHKの田舎訪問番組など、けっこうこの楽器が使われている。けど、現物を吹いてみよう、って話はかなり飛躍である。

ただし、日本の義務教育にはリコーダーが採用されている。この点、日本人にとってこの楽器の演奏は有利かも。

真っ先に目をつけてくれたのは、リコーダーやってるご婦人。実をいうと、この方、並べて置いたソプラノ・リコーダーが欲しかったのだが、オマケでティン・ホイッスルも一本買ってくれた。

さて、このティン・ホイッスル、ただのヘンテコな笛で終わるか、それとも異文化音楽世界への窓となるか、それは持ち主次第。

以下余談。

子ども服の売れ行きはまずまず。意外に売れたものは、山歩きのガイドブック。おじさんたちが続々と買ってくれた。清清しい山の上で、ティン・ホイッスル吹くのも悪くないのだけどね。持ち運び便利だし。

オリンパス事件について

世界が注目するこの事件、実業ネタはこのブログの例外だけれど、少し書く。

国際基準でキモイです。だから、日本の上場企業の信頼まで問われている。世界的企業の統治が、オジサン(経営陣)たちの、親密な、隠微な個人的関係で損なわれていたわけ。

このオジサン関係が、20年間重大な秘密を隠していた。表向きの文化、すなわち会社法、国際会計基準とか公的なものの裏側に”隠された文化”が存在していた。

グローバル企業に、しがらみフリーの外国人社長を迎え入れた、しかし、この人はこんな世界があるとは思ってもみなかった。「なんだこりゃ!」これが事の発端。

日本独自の企業文化には、注目すべき利点もあるのだが、これはまずい。企業の存続ミッションに関わるからだ。分かりにくいねちっこい人脈関係が、本来の企業ミッションに優先されてしまったというわけだろう。

僕は、岩崎弥太郎のことを思い出した。この人、日本の大企業の先達みたいな人だが(三菱を創った)、とても泥臭い、発想の経営者であった。ライバルのモダンな渋沢栄一とは対照的。

彼の経営は、分かりやすい。ざっといえば、

企業は俺のもの

俺がすべてを決める

そしてこの俺がすべての責任を負う

このあたりは、今でいう定款にも書いてある。そしてそのまま実行した。

で、彼にとって企業の目的は、国家に奉仕すること。

だから、軍需産業化もしたのだが、いつの時代であっても、こういった明快さは重要だと思う。

ところで、オリンパスの企業理念は、「Social IN」、とされている(この英語、シャラ臭いなあ)。なんてこった。

古風にいえば、これが”大義”。経営陣間の忠義は存分にあったかも知れないが、さらに古風にいえば、「忠義は大義あっての忠義」。

僕自身、オリンパスの製品自体に、悪いイメージはない。カメラ好きだし。ただ、一般論として家族でもないのに、オジサンたちがやたら徒党を組む組織風土ってものに嫌悪を感じる。この点、女性の社会進出は歓迎。組織文化も風通しがよくなると思う。

タータンを着る 身近なスコットランド

秋も深まると、タータン柄を身につけた人が多くなる。今年の秋は、とりわけBlack Watch tartanが多いようだ。おそらく50人いたら、1人くらいの割合で、このタータンを身につけているのでは。

ただし、タータンはただの柄ではなく、それ自体伝統的な意味を持っている。一般的な意味では、スコットランド氏族(Clan)の印。その他、軍隊の所属・地位、社会階級を表す場合もある。

Tartan これが、僕のタータンのネクタイ。エジンバラで買ったもの。

上は、お馴染みのBlack Watch。スコットランドでは衛兵などがキルトとして腰に巻いている。特定の氏族の印ではない。

しかし、シャツならいいが、ネクタイなどワンポイント的な使い方には向かない感じ。着合わせに苦労している。

下はれっきとしたクランのタータン。その氏族とは、Lindsay一族。少なくとも11世紀の終わりころから登場した氏族である。

デザインもいいが、この氏族のモットーは、”Endure boldly”、勇気を持って(困難に)耐えよ、という意味か。なかなか勇ましい。心して身に着けよう。

こんな具合に、氏族のモットーを踏まえてタータンを使うのも一興。

以上は、タータンのガイドブックを参考にしている。加えていうと、タータンは日本の家紋に相当する意味もあるけれど、スコットランド氏族には、別途、紋章(Crest)もある。

Lindsay一族の場合は、王冠の上に羽を広げた白鳥をあしらったもの。カッコいいです。王冠は、王家に近い家系だからだろう。

セシル・コルベルの故郷 ブルターニュから

久しぶりの音楽ネタ。ブルターニュから画像が届いたので公開する。ハープとフィドルのユニット、街頭の演奏だ。

Photo_2

「借りぐらしのアリエッティ」で多少?日本でも有名になったブルターニュのハープ。ブルターニュでは、普通の楽器である。だから、その辺の街角で聴ける。

帽子が置いてある。つまり、これ、バスキング中だ。マナーとして聴いたらコインを入れる。クラシックのハープだったら、豪勢なドレスを着て、オーケストラをバックしにて、、、なんてことになるが、ケルトなハープはこんな具合。後は屋台の雑貨屋だし。

雑貨を買うことも、ハープを聴くことも並列した日常空間の出来事なのだ。

クラシックなハープとの構造上の違いとは?、こんな質問は野暮である。むしろ、文化的背景、心の問題が重要だ。

ついでにいうと、相方の女の子が演奏しているのは、バイオリンではない、フィドルである。どこが違うかって?それも心だ(もちろん演奏法も)。

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