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高尾山紀行 その3 行基

物事の根源を探ること、それがこのブログの指針の一つ。だから、もう少し高尾山の源を探ってみよう。

宗教施設としての高尾山の中核は、薬王院である。”薬王”ってこれは、薬師如来のことだろう。救済のイメージを薬にたとえた仏様である。

高尾山の開山は、あの、行基とされる。はるか奈良時代のことだ。この行基が最初に祀ったのが薬師如来。今はご本尊ではないけれど、薬王院という名称に痕跡が残されていると推測できる。

ところで、行基って、つまり坊さんなのだが、あまりにスケールが大きくぶっ飛んでいる。そのコンテンツを今風にいえば、

1 過激な思想家

最初、仏教は国家が独占した宗教制度であったが、これを民衆に広め絶大な支持を得た。このように国家の政策に真っ向反逆したが、その影響力を国家も認めざるをえなくなり、国家は、破格の待遇で迎えることになった(ついには生存中に菩薩の称号)。

2 国家事業を推進するスーパー官僚

その最大の業績は大仏建立。その他、国家事業的に各地に寺を建てまくる。当時としては、仏のパワーは国家安泰の中心エネルギーだった。行基は、勅命を得て、高尾山も開山している。

3 ゼネコンの総帥

精神面だけでは全然ない。関西地方を中心に土木事業を展開し、物的インフラを整備した。その特徴は、治水対策。貯水池とか、橋づくりが得意だった。

4 日本の福祉事業の先駆者

仏教という理念のもと、困窮者の福祉施設も数多く設立している。

こんなことしていたら、いくら人生があっても足らない。おそらく、行基を頂点に、巨大な勢力があったのだろうね。こういった背景を考えると、日本史上の仏教のイメージもずいぶん変わると思う。

実際のところ、はるばる奈良の都から、行基が一人でやってきて、一から寺の造営を始めましたなんて想像できない。おそらくは、あくまで行基は基本的なプランナーであり、その影響下にある人たちが実務を担当したのだろう。

しかし、なぜここに、白羽の矢が立ったのだろう。これも推測だが、古代からの聖地であった可能性がある。

少なくとも、この場所の設定は実に的確であった。天平16年(744)から絶えることなく寺であり続け、20~21世紀には、巨大な観光業がこれに加わった。

行基のビジネス感覚、恐るべし。

 

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