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幼児の経験世界 共感性の拡張

うちの娘を連れて、夜の街を歩いた。うちは、かなりの早寝、早起きなのでこんな経験はめったにない。遠くまで、フルートのメンテをしてもらうため出かけたので、帰りが遅くなったのだ。

娘が車道わきで虫を見つけた。「カマドウマ」、、日常的には、ほとんど見かけない虫だ。下水溝の網状の蓋が近くにあったが、ここから散歩に出たのだと思われる。

しかし、これは危険な状態だ。見るに忍びず、救出しようとしたが、車の通行を止めるわけにもいかず、右折してきた車に轢かれ、「プチッ!」とつぶれてしまった。

娘は、ずいぶんと心を痛めた様子。そのうち泣き出した。この虫自体もかわいそうというが、心配なのは、この虫の、「赤ちゃんたち」なのだそうだ。

娘のイメージの世界では、この虫は母親であり、家には帰りを待つ子どもたちがいる。母が外出先で死んでしまったら、帰りの待つ子どもたちは、おなかを空かすだろう、さびしくて泣くだろう、と推測したらしい。

ずいぶんと、共感性が拡張されたものだ。が、深い問題提起でもある。昆虫は、主観的経験を持ちうるのだろうか。どちらかといえば、機械に近い生物という気がしないでもない。つまり、心の存在を想定するまでもなく、刺激と反応の連鎖で事足りているのか。

一方、犬を飼ったことのある人なら、飼い犬に主観的経験があることを疑わないだろう。では、主観的経験は、生物主のどのレベルから存在するのか。

それは、中枢神経の複雑性に応じて、アナログ的に、程度の問題として発生するのだろうか。それとも、一定のレベルに到達すると、いわば、構造的跳躍みたいなものが起きて、突然に生まれるものなのだろうか?

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