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2011年10月

ハロウィーンに関するメモ

さて、明日は何の日か?キリスト教(宗派にもよる)では、諸聖人の日(万聖節)とされている。

英語でいえば、All Hallow's Day、またはAll Saints' Day。

今はその前夜なので、Eveだ。つまりAll Hallow's Day Eve。これが訛りに訛って、かつ単純化して、Hallow-e'en,Halloween。

かといって、オバケが跋扈する日なんて意味はそこにはない。また、キリスト教ではそんな日を定めていない。というか、魔女とか幽霊とかどちらかというと反キリスト的である。

一般には、古代ケルト人の歴の大晦日がこの日だったとされる。キリスト教以前の、ヨーロッパの痕跡がこの日の習慣?に反映されているわけだ。

ディズニーランド紀行 その1 魔法の空間

ガイド的楽しみ方ではないのであしからず。こういった視点もあるって話。

東京ディズニーランド(以下「DL」とする)の中心はシンデレラ城である。DLは、巨大な曼荼羅のように、この城を中心としてサブテーマ別の区域が配列され、個々のアミューズメント施設がイメージ的に関連しあって点在している。

Photo_2

とにかく広大なのだけど、 キャラクターをそこかしこに配置することで、外の世界とはっきり線引きがなされている。たとえば、飲みなれた銘柄のペットボトルのお茶を買うとする。おっと、そこには、あのティンカー・ベルがいるって発見がある。否応なしに、別世界体験というわけだ。

この日、ハローウィン近くだったせいもあろう、コスプレーヤーの数も凄かった。普段着で入場することがマヌケに感じられるほどだ。つまり、観客を巻き込み”らしさ”が演出 されている。日本のDLはこの点もスペクタクルではあるまいか。非日常のお祭り空間はますます盛り上がる。

反対に、これだけ人がいても興ざめな行為は見なかった。興ざめとは、ピカチューの着ぐるみ着てる、あまりに長い行列待ち時間の中で日経新聞読んでる、ベンチで缶ビール飲んでる(持ち込み禁)とか、その類。

つまり、特有の場の雰囲気ってものがある。これもDL的魔法効果。

しかし、突き詰めれば、この魔法の源泉は呪文である。この場合、呪文とは、著作権法、商標法など知的財産権に関わる法令のことだ。これらの裏づけがなければ、そそり立つシンデレラ城も落城してしまうはず。

ディズニー関連の映画丸ごとから個々のキャラクターの図案まで、無数の権利の網の目がここにはある。先のペットボトルの例なら、キャラクターの図案の使用について、相当に念入りな契約書面があるだろう。

ただし、この”魔法”を限定的に解除する方法もある。たとえば、固いこというと、シンデレラ城のデザインは、それ自体著作権を派生しているはずだから、本来は許可もなしにウェブ上にアップできない。

ただし、こうやって批評を加える場合などには、OK。

余談、アメリカには、ソニー・ボノ法という法律がある。別名、ミッキーマウス保護法。これが、この世界を存続させている”セントラル・ドグマ”みたいなものだ。興味のある方は、調べてみると面白いかも。

高尾山紀行 その4 小角(役の行者)あるいは神変大菩薩

薬王院山門に入ってすぐ左、そこに彼のお堂がある。高尾山では、欧米系の旅行者を案内する日本人の姿をよく目にするが、彼を紹介するにあたっては、one of the greatest wizard of Japan (日本で最も偉大な魔法使いの一人)というべきだ。

このお堂は、彼に、捧げられた(dedicated)もの。彼とは、日本の修験道の開祖、小角(役の行者)のことである。

Uzunu

実在の人物であるが、壮大な神秘的逸話に満ちている。まさに、魔法使いである。この意味で、空海、安倍 晴明も偉大な魔法使いと表現できるが、正統な宗教家や国家官僚であった彼らとは異なり、小角は全くの自由人であった。その無軌道ぶりは彼の魅力の一つ。

見落としがちな場所にこのお堂はあるが、ぜひお参りしたい。一応お寺の中なので、彼には仏教的な称号が表示されている(神変大菩薩)。いわゆる菩薩のイメージからするとなんだか妙な称号だ。なんとか、仏教の枠に収めたって感じ。このお堂が境内の外れにあるのもそのせいか。

「努力せよ、力を持て、そして存分に人生を楽しめ!」

make effort,keep power and enjoy your life!

彼の伝承から僕なりに彼からのメッセージを読み取るとしたら、こうだ。皆さんもここで手を合わせてみるといい。一般の仏様とは異なる声を聴くことができるだろう。

彼は、鬼神を二人従えていたとされる。このため、彼ら(鬼神)は今も彼のお堂を守っている。

高尾山紀行 その3 行基

物事の根源を探ること、それがこのブログの指針の一つ。だから、もう少し高尾山の源を探ってみよう。

宗教施設としての高尾山の中核は、薬王院である。”薬王”ってこれは、薬師如来のことだろう。救済のイメージを薬にたとえた仏様である。

高尾山の開山は、あの、行基とされる。はるか奈良時代のことだ。この行基が最初に祀ったのが薬師如来。今はご本尊ではないけれど、薬王院という名称に痕跡が残されていると推測できる。

ところで、行基って、つまり坊さんなのだが、あまりにスケールが大きくぶっ飛んでいる。そのコンテンツを今風にいえば、

1 過激な思想家

最初、仏教は国家が独占した宗教制度であったが、これを民衆に広め絶大な支持を得た。このように国家の政策に真っ向反逆したが、その影響力を国家も認めざるをえなくなり、国家は、破格の待遇で迎えることになった(ついには生存中に菩薩の称号)。

2 国家事業を推進するスーパー官僚

その最大の業績は大仏建立。その他、国家事業的に各地に寺を建てまくる。当時としては、仏のパワーは国家安泰の中心エネルギーだった。行基は、勅命を得て、高尾山も開山している。

3 ゼネコンの総帥

精神面だけでは全然ない。関西地方を中心に土木事業を展開し、物的インフラを整備した。その特徴は、治水対策。貯水池とか、橋づくりが得意だった。

4 日本の福祉事業の先駆者

仏教という理念のもと、困窮者の福祉施設も数多く設立している。

こんなことしていたら、いくら人生があっても足らない。おそらく、行基を頂点に、巨大な勢力があったのだろうね。こういった背景を考えると、日本史上の仏教のイメージもずいぶん変わると思う。

実際のところ、はるばる奈良の都から、行基が一人でやってきて、一から寺の造営を始めましたなんて想像できない。おそらくは、あくまで行基は基本的なプランナーであり、その影響下にある人たちが実務を担当したのだろう。

しかし、なぜここに、白羽の矢が立ったのだろう。これも推測だが、古代からの聖地であった可能性がある。

少なくとも、この場所の設定は実に的確であった。天平16年(744)から絶えることなく寺であり続け、20~21世紀には、巨大な観光業がこれに加わった。

行基のビジネス感覚、恐るべし。

 

高尾山紀行 その2 飯綱権現の原型

イイズナとは、れっきとした日本原産の北方系哺乳類である。極レアである。かつ、日本原産の哺乳類の中では、ダントツに可愛い。特に、冬バージョンの真白なものは、すばらしい。

イタチの仲間だ。体型は細長。テン、イタチ、オコジョ、そしてイイズナと小さくなり、イイズナは手のひらに乗るくらい。可愛さのライバルは、ピカチュー体型のヤマネだろうけど、ネズミに近いヤマネとは別系統の、純然たる食肉獣、最小のハンターだ。可愛い猛々しさ、これも魅力かも。

一方、妖獣としての飯綱もいる。別名、管狐(くだきつね)。小さいけれど、恐るべき魔力を持つとされる。昔、これを使いこなす民間呪術者がいたそうだ。名づけて飯縄使い。その技を飯縄法という。

彼らは、管の中に飯縄を保管して持ち歩いていたそうだから、これ、ポケモンマスターそのものだ。

飯綱の恐るべき呪術のイメージが次第に神格化して、飯綱権現となったのだろうね。これが、高尾山のご本尊となっている。そのお姿は、いかにもコワモテの密教系であるが、由来は純粋の和物である。

かの上杉謙信の兜の前盾にも、その姿があり、武田信玄もその小像を持ち歩いていたそうだから、上杉謙信VS武田信玄の対決とは、同種のポケモンを使ったバトルみたいなものでもあった。これじゃ、勝負がつかないはずだ。

ポケモンというと、ペットの類みたいでご本尊様に不敬であるが、ぼくの言いたいことは、軍神的意味合いが強かった点だ。

ポケモンの中でもビクティニなんてものもいる(関連映画参照)。ところで、ビクティニの語源は、明らかにVICTORY(勝利)である。

江戸時代に入っても、高尾山は徳川家によって庇護されていた。しかし、オリジナルであった飯縄法は厳しく禁じられたそうだ。そうだろうね、徳川幕府の天下泰平の脅威にもなりかねない。

さて、飯綱権現のご利益か、最近では海外からも注目され(ミシュランの評価)、休日の高尾山の人出はすさまじい。しかし、人出が増える時間帯は結構遅い。ぼくのお奨めは、早めの登山、早めの下山である。少なくとも、昼を過ぎたら下山するくらいが無難か。

幼児の経験世界 共感性の拡張

うちの娘を連れて、夜の街を歩いた。うちは、かなりの早寝、早起きなのでこんな経験はめったにない。遠くまで、フルートのメンテをしてもらうため出かけたので、帰りが遅くなったのだ。

娘が車道わきで虫を見つけた。「カマドウマ」、、日常的には、ほとんど見かけない虫だ。下水溝の網状の蓋が近くにあったが、ここから散歩に出たのだと思われる。

しかし、これは危険な状態だ。見るに忍びず、救出しようとしたが、車の通行を止めるわけにもいかず、右折してきた車に轢かれ、「プチッ!」とつぶれてしまった。

娘は、ずいぶんと心を痛めた様子。そのうち泣き出した。この虫自体もかわいそうというが、心配なのは、この虫の、「赤ちゃんたち」なのだそうだ。

娘のイメージの世界では、この虫は母親であり、家には帰りを待つ子どもたちがいる。母が外出先で死んでしまったら、帰りの待つ子どもたちは、おなかを空かすだろう、さびしくて泣くだろう、と推測したらしい。

ずいぶんと、共感性が拡張されたものだ。が、深い問題提起でもある。昆虫は、主観的経験を持ちうるのだろうか。どちらかといえば、機械に近い生物という気がしないでもない。つまり、心の存在を想定するまでもなく、刺激と反応の連鎖で事足りているのか。

一方、犬を飼ったことのある人なら、飼い犬に主観的経験があることを疑わないだろう。では、主観的経験は、生物主のどのレベルから存在するのか。

それは、中枢神経の複雑性に応じて、アナログ的に、程度の問題として発生するのだろうか。それとも、一定のレベルに到達すると、いわば、構造的跳躍みたいなものが起きて、突然に生まれるものなのだろうか?

高尾山紀行 その1 昭和初期の記述

これ、シリーズ化してみようと思う。最初は、ごく基本的な俯瞰から。

手元に、昭和初期のガイドブックの復刻版(髙尾山誌)がある。ざっくり本質的なビジョンが記述されているので、現代語で書き直してみる。

「高尾山は、ただ単に、風光の明美、寺院の壮大さに驚くべきではない。歴史上、信仰上の視点、また、かつての戦略上の位置、山林経営の視点からも注目すべきである。さらには、この山に生育する動植物の研究も興味深い」。

今のガイドブックも概ねこんな感じなのだが、「戦略上の地位」ってものは聞いたことがない。つまり、ここはかつての”国境”なのだ。大体の感覚で、高尾山を含む山塊によって、武蔵の国、相模の国が分かれていたわけ。

当然、戦国時代には、力のせめぎ合う地帯であった。また、当時大きな寺社は、一種の封建領主であったと考えてもいい。

信長の比叡山焼き討ち、みたいなことにはなっていないが、隣の山にあった八王子上は、秀吉の天下統一のうえで、大規模な攻防戦が展開されている。

この文脈で、高尾山の歴史を考えてみても、面白いかも。

また、僕的には、宗教上、つまり修験道の視点にも興味がある。これ、神道でもない、仏教でもない、本来は、日本の伝統上、第三の宗教みたいな要素があると思う。

実は、昨日も登った。3歳の小娘と一緒だから、探索に限界があるけれど、その都度、ささやかな発見もあるので、以降、継続的にレポートしてみたい。

権利と倫理、そしてM.サンデル

今の日本の社会で、権利意識の高い人が増えているかどうか、その裏づけはどのようなデータによるのか、それなりに実証的に考えてみる必要があるだろう。

少なくともクレーマーと呼ばれる人たちが、たとえば学校運営などに影響を及ぼしている実感はある。

自由主義(リベラリズム)が真っ先に標榜されているのなら、まず自由が大前提、自由の規制は例外的なものだ。また、当然の帰結として、権利の主張は各自それぞれの論拠で(価値観も自由だから)、バンバンやってよろしいとなる。

ところで、権利は、英語でRight。ところが、Rightには「正しい」という意味もある。つまり、倫理性なのだけれど、もっと平たくいえば道徳性に近い。

そうすると、権利としてのRightとは、必ずしも整合しない。社会生活を営む人として、従うべき価値の基準がある、と考えれば価値観まで自由にはならない。

はるか、古代ギリシャの街角で、明けても暮れても、対話を通じ、人の従うべき価値基準を論じている人がいた。これが、プラトンの描くソクラテス。

M.サンデルの討論法、その思想は、この直系といえるだろう。彼の著書、「これから正義の話をしよう」の原題は、「Justice:What’s the Right Thing to Do?」である。このRightは、当然、後者の意味である。

いわゆるグローバリズムが世界規模で経済的自由を拡大して、リーマンショックをしでかし、世の中先の見えない混沌となった。

おまけに、日本では、大震災。しかし反面、この大震災は、共同体の倫理を認識する機会にもなった。

こんな、時代の転換点には、M.サンデルを読むことには意義がありそう。

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