« 伊豆紀行 その2 川端康成、伊豆の踊子 | トップページ | 太陽のしずく(sundew)、モウセンゴケまたはドロセラ(dorosera) »

水の安全性の科学について

すごい時代になったものだ。あの日以来、明けても暮れても、シーベルトとベクレルの数値から逃げられない。水道水は突然、毒水になったのだろうか?以下、東京での生活感覚で述べる。

そもそも、水の安全性とは何か。これは、とても包括的問題である。

僕の学生時代、借家にセールスマンがやってきた。彼の主張は、水道水の塩素は健康上極めて有害であり、多くの科学者が警鐘を鳴らしている。だから、今すぐ、この浄水器を買いなさい、というもの。さもなくば、がんになって死ぬよと脅された(科学的?データ提示あり)。

そんでもって、実験まで披露してくれた。試薬を入れると水道水が真っ赤になる、しかし、浄水器を通せば、大丈夫(やるねぇ)。

なかなか、劇的である。隣の学生は、ローンでこの浄水器を買った。バイトも始めた。彼の留年との因果関係は不明だ。

塩素、一点を絞っても先の例では深刻なイメージである。だが、鉛などを含んだ古い水道管から、体に入る重金属の影響はどうだろう?こっちの検査も必要じゃないか。

いやいや、集合住宅の貯水槽、これだって大丈夫か。定期的にメンテナンスしているのか。ネズミが浮かんでいたって話もある。これじゃ、浄水器どうこうの問題ではない。東京都の衛生部門の職員いわく、「必要性を認識していますが、とても検査、指導が追いつきません」。

これから問題になるのは、プール。もともと、念入りな消毒処置を施すのか通例。僕が小学生のとき、スイミングスクールをやめたのは、目が痛くて仕方がなかったからだ。

つまり、数値以前に体が拒否したわけだ。これだって科学的根拠である。

プールの水を消毒する理由は、感染症より少しくらい目が痛くなる方がまし。ということだろうが、それは程度の問題である。程度の問題といえば、個別の条件により、放射性物質より、塩素の方が有害である場合もありうる。

微生物も、ヒトも同じ生物には変わりない。これはベタな科学的事実である。放射性物質はすべからく生物に有害な点、これは塩素でも同様だろう。けど、わざわざ塩素は水道水にも、プールの水にも使われている。

もし、政府のいうことなど信用できない、行政上の措置などあてにならない、と考えて、放射能も含めた万全の検査機器を駆使して日常生活を営むとすれば、ビョーキだろうね。もちろん、本人の思考の筋道自体は筋を通すことができるだろうけど。

この場合、経済的バランスを欠くことになるだろうし、ひいては幸福感を低下させることになるだろう。けど、”命より?健康管理が大切”みたいな人はいる。

古い記事で記憶もはっきりしないが、北欧のとある国の疫学データ記事を思い出した。極端な健康志向の人は、そうでない人より、長生きできない!という結果だったと思う。

もともと、具合の悪い人が健康志向にこだわるからか、それとも、健康志向がストレスを高め、免疫力を低下させるからなのか、その点は分からない。

結局のところ、科学は、自然の事象の一部分を切り取り、信用可能な情報を提供できるが、あくまで部分情報でしかない。しかし、私たちの生活は、水を含め、極めて包括的に自然界と関わっている。

だから、科学的データを本当に活用するには、総合的な、ビジョン並びに重要性の判断基準が必要になるだろう。かつ、これを自分自身の生活スタイルに落とし込むこと。この作業を、名づけるとしたら、「良識」ではないかな。

大げさにいってみたが、少なくとも、特定のデータを偏重しないことだと思う。水道水の水質に限らず、実生活のリスクは他にいくらでもあるし、それは自然界の数値にも限らない。

« 伊豆紀行 その2 川端康成、伊豆の踊子 | トップページ | 太陽のしずく(sundew)、モウセンゴケまたはドロセラ(dorosera) »

時代精神」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 水の安全性の科学について:

« 伊豆紀行 その2 川端康成、伊豆の踊子 | トップページ | 太陽のしずく(sundew)、モウセンゴケまたはドロセラ(dorosera) »

2019年10月
    1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31    
無料ブログはココログ